【改稿版】どうしようもない幼馴染みが恋人に!?

朏猫(ミカヅキネコ)

1 イケメンの幼馴染み

 ――ピンポーン。


 三度目のチャイムを鳴らしても反応がない。ポケットからスマホを取り出してメッセージアプリを開き、約束したのは間違いなくこの時間だと確認する。「はぁ」とため息をつきながら、今度は呼び出しボタンを押さずに数字をいくつか押してオートロックを開けた。

 念のためおばさんに聞いておいてよかった。いや、おばさんが念のためにとオレの母さんに教えておいてくれて助かったと言うべきか。さすが母親、息子の行動パターンをよく理解しているらしい。

 エレベーターで最上階まで行き、出てから右側にあるドアのチャイムを押そうとして手が止まった。ドアが少し開いている。そこにスニーカーの先が顔を覗かせていた。なるほど、靴が引っかかってちゃんと閉まらなかったのか。


(いくらワンフロアに一部屋だけっつっても、無用心だな)


 入り口がオートロックだとしてもほかの階には住人がいるわけで、もう少し危機感を持つべきじゃないだろうか。そう思いながらドアを開け、一応「お邪魔しまーす」と小声で言ってから中に入った。

 広い玄関には何足かの靴が散らばっているものの廊下はすっきりしている。玄関横にある小さな部屋みたいなところを覗いてみたが、靴が数足あるだけで棚はガランとしていた。靴を脱いで廊下の突き当たりにある部屋に入った。おそらくリビングダイニングと呼ばれる部屋だろうが、とにかくだだっ広い。そう感じるのは物が少ないからだろう。


(まるでモデルルームみたいだな)


 ダイニングテーブルを見るとグラスや瓶、缶がいくつか置きっぱなしになっていた。それに、かすかにだがタバコの匂いがする。


(あいつはタバコ吸わないから誰か来てたんだな)


 高校を卒業したあいつに何度か「たまには飯でも食いに来いよ」とメッセージを送ったことがあった。結局家に来ることはなかったが、そのとき三日と開けず人が来るようなことを言っていたのを思い出す。きっといまでもそうなんだろう。


(つーか、一人暮らしなんだからそういうこと・・・・・・も遠慮なんてしないだろうし)


 それもどうなんだと思いながら、タバコの匂いをどうにかしようとベランダの窓を開けた。そこから見える景色に思わずため息を漏らす。


(すっげぇ眺めだな)


 建物自体は低層マンションながら小高いところに建っているからか驚くくらい眺めがいい。きっと家賃も馬鹿高いんだろうなと考えたところで「賃貸じゃなかったりして」なんてことを思った。


(ま、あり得なくはないか)


 昔から金にだけは不自由しなかった幼馴染みに多少毒づきながら、寝室だろうと思われる部屋のドアを開けた。

 部屋の真ん中に置かれたどでかいベッドの上で男が一人寝ている。金髪に近い長めの髪と程よく均整の取れた裸体を惜しげもなくさらした男は間違いなくイケメンだ。しかし俺にイケメンを鑑賞する趣味はない。せめてパンツくらい履けよと思いながら近づこうとして、ふと足元に落ちているものに気がついた。

 俺には馴染みがないが、それは間違いなくスキンと呼ばれるものだ。近くに丸めたティッシュもいくつか落ちている。それを見て「なるほどな」と悟った。全裸熟睡の理由も玄関の鍵が開いていた原因もこれでわかった。


「おい起きろ」


 形のいい頭を遠慮なく平手ではたく。


「……ったいなぁ。なに、帰るんなら勝手に帰っていいって言ったよね……」

「いま来たばっかだよ。さっさと起きろ」

「……あれ? コウちゃん?」

「誰がコウちゃんだ、オレには孝史こうじっつーちゃんとした名前がある。何回言えば理解すんだよ、そのお綺麗な形の頭は」

「え? なんでコウちゃんがいるの?」


 完全に寝ぼけていてもイケメンはイケメンのままなのか。「イケメンってのはすげぇな」と感心しながら、二十一歳のオレを「コウちゃん」と呼ぶ男の額を指でピンと弾いた。「痛いよ……」と涙目になるイケメンを無視し、大きな窓を全開にする。

 室内の冷えた空気と外の生ぬるい空気が混ざり合い、一気に湿度が上がった気がした。つけっぱなしのエアコンには申し訳ないが空気の入れ替えはしたほうがいいだろう。


「ねぇ、なんでコウちゃんがいるの?」

「『幸佑こうすけくんがちゃんと一人暮らしできてるか、やっぱり心配なの』って、母さんがおばさんに泣きついた結果だ」

「……どういうこと?」

「オレが聞きてぇよ。なんで二十歳ハタチを過ぎた幼馴染みの面倒をオレが見なきゃなんないのか、さっぱりわかんねぇわ」

「俺もわかんないんだけど」


 イケメンがキョトンとした顔でオレを見た。そういう顔をすると、昔のかわいかった幸佑が少しだけ思い出される。

 オレが四歳のとき、マンションの隣の部屋に引っ越して来たのが目の前のイケメン、渡辺幸佑わたなべこうすけだ。引っ越して来たときから母子家庭だった渡辺家を気にかけていた母さんは、夜の仕事で日中ままならないおばさんの手助けをしているうちに親しくなった。必然的にオレと幸佑も一緒にいることが多くなり、気がつけば仲良くなっていた。とくに幸佑が小学生まではほぼ毎日オレの家で過ごしていたし、ほとんど兄弟のように育ったと言ってもいい。

 一人っ子だったオレは幸佑のことを弟みたいに思うようになった。その気持ちはいまも変わらないが、さすがに大人になってからも幼馴染みの世話を焼くことになるとは思ってもみなかった。幸佑が本当の弟だったとしても、いい年した男の世話を兄が焼くのはおかしいんじゃないだろうか。


(それもこれも、母さんが幸佑を大好きすぎるのが悪い)


 小さい頃から人形みたいにかわいかった幸佑に母さんはいまでも夢中だ。どのくらい夢中かというと、「幸佑くんがお婿さんに来てくれたらいいのに!」なんて阿呆なことを言うくらいにはベタ惚れしている。つーか、お婿さんって誰のだよと心の中で何度突っ込んだことか。

 普段は息子のオレが心配になるほどポヤポヤしている母さんなのに、幸佑のことになると熱の入り方が違う。むしろ母親であるおばさんのほうが冷めて見えるくらいだ。


「目が覚めたんならさっさと起きろ。飯、食うだろ」

「用意してくれるの? え、なんで?」

「なんでだろうな。オレが知らないうちにそうなってたんだよ。つーか、さっさと服を着ろよ。あと床に散らばってるゴミは自分で捨てとけよ」

「ゴミ……?」


 床に落ちている使用済みスキンと袋、それに何個かの丸めたティッシュを見た幸佑が、「ゴミ箱どこだっけ……」とあくびをしながら口にした。「ゴミ箱は、そのやたらでかいベッドの反対側に見えてんぞ」と思ったものの、何も言わずにさっさと部屋を出る。さすがに他人の使用済みスキンを片付けてやる義理はない。


(しっかし、相変わらず入れ食い状態みたいだな)


 人形みたいにかわいかった幸佑は、中学に入る頃には身長がグングン伸びてモデルのようなイケメンになった。当然とんでもないくらいモテて、高校に通う頃には何人もの先輩や後輩と付き合っているという噂まで流れた。


(ま、噂じゃなかったわけだが)


 それどころか随分年上の彼女もいたし、なんならかわいい男と付き合っていたことも知っている。小中高とずっと同じ学校だったこともあり、オレはそういう幸佑の様子をずっとそばで見てきた。そんなつき合い方でいいのかと多少心配はしたものの、怒ったり憤ったりなんて気持ちはあまりない。そこまで気にしてやる義理はない、という意味じゃない。

 幸佑には父親がいない。そういうこともあったからか、シングルマザーのおばさんは日本有数の繁華街で毎日忙しく働いていた。だからといって息子を蔑ろにしていたわけじゃないと思う。誕生日には仕事を休んで盛大なバースデーパーティを開き、オレも毎年参加していた。なんなら「いつも遊んでくれてありがとう」と言ってオレの誕生日までパーティを開いてくれた。参観日には毎回行っていたみたいだし、運動会も母さんと一緒に慣れない弁当を作って見に来ていた。


(幸佑もおばさんのこと、嫌ってるわけじゃないみたいだしな)


 それでも小さい頃の幸佑は、おばさんが夜いないことを寂しく思っていたに違いない。ほかの家庭とは明らかに違うことにも気づいていたはずだ。昼寝のときも夜寝るときもやたらとオレにくっついていたのはそういう気持ちからだったんだと、少し大きくなってから理解した。

 そんな満たされない気持ちが成長するにつれて恋愛やセックスに向かったとしても別におかしいとは思わなかった。セフレが両手じゃ足りないくらいいると知ったときにはさすがにどうなんだと呆れはしたものの、本人は「恋人とか面倒くさいし」と言って改めようとはしなかった。

 そんなことじゃいつか刺されるぞと思わなくもないが、どうやらセフレたちとはうまくやっているようで危ない話は聞いたことがない。下半身は緩いのにコミュニケーション能力はまともだったんだな、なんて変なところで感心した。


(マジで何も置いてねぇのな)


 キッチンの棚をざっと見た感想はそれだった。調理器具はほとんどないはずだという情報をおばさんから得ていたオレは、朝ご飯にとサンドイッチとカフェオレを買ってきた。それをダイニングテーブルに出すついでに、置きっ放しだったグラスや瓶、缶を流しに移す。冷蔵庫をのぞくとミネラルウォーターと酒しか入っていないことにため息が漏れた。


(あとで買い物に行くか)


 今回の件ではおばさんからバイト代がもらえることになっている。それも破格の値段で、そういう豪快なところは昔から変わらないなぁなんて懐かしくなった。

 おばさんは昔から金銭感覚がおかしな人だった。小学一年のオレが保育園児の幸佑と駄菓子屋に行くと話したら万札を一枚渡すような人だ。今回も「孝史くんよろしくね」と言って、新卒のサラリーマンが地団駄を踏みそうな金額を提示してきた。もちろん丁重に断り、値下げ交渉をさせてもらった。


(それでも大学生のバイトとしては破格だけどな)


 そのぶんしっかり働こうと決意している。野菜室と冷凍庫も確認したところで幸佑が出て来た。上下スウェットなのに、やたら爽やかなイケメンに見えるのは納得がいかない。「これでセフレがたくさんいる無職ってどうなんだよ」とさすがに突っ込みたくなる。


「窓は閉めてきたか?」

「うん、閉めたよ。あ、サンドイッチだ」

「この部屋、調理器具がないからな。今朝はそれで我慢しろよ」

「いつもこんな感じだから平気だよ。大体買ってくるか食べに行くかだから」

「どうりで冷蔵庫が空っぽなわけだ」

「飲み物専用だからね。あ、でもたまにケーキとか入ってることもあるけど」


 そりゃあセフレの誰かが入れたんだろう。あとで自分で食べようと思ったのか幸佑へのプレゼントなのかはわからないがと思いつつ、テーブルにサンドイッチを並べる。

 幸佑の趣味じゃなさそうな食器も誰かが置いていったものに違いない。どうせなら調理器具を持ってきてくれればいいのにと思ったが、部屋でご飯を作って食べるセフレなんていないかと思い直した。


「今度、菜箸とかおたまとか持って来るわ。さすがに鍋だけじゃ何もできないしオレが困る」

「え? なんでコウちゃんが困るの?」

「コウちゃんじゃねぇって言ってんだろ」


 キョトンとする幸佑の向かい側に座り、チーズとアボカドのサンドイッチにかぶりついた。


(うん、旨い)


 ここのサンドイッチはオレがいまハマっている店で、とくにチーズが入っているものがお気に入りだ。


「飯作るからだよ。あと洗濯と掃除もやるからな」

「え? なんで? どういうこと?」

「『様子を見に行くついでに、うちの子が掃除洗濯もするから大丈夫よ』って母さんが言ったからだよ」

「……意味がわかんないんだけど」

「大丈夫だ、オレも意味わかんねぇから」


 幸佑が取ろうとしたサンドイッチを見て、そっちじゃないと手を伸ばした。固形チーズが苦手な幸佑の前からチーズ入りサンドイッチを取り、代わりにハムとキュウリたっぷりのポテサラサンドを渡してやる。「昔から幸佑はポテトサラダが好きなんだよな」と思っていると、サンドイッチを囓った顔がパァッと明るくなった。しばらく一緒に飯を食っていなかったが、どうやら好物は変わっていないらしい。


「おばさんがバイト代はずんでくれるから、夏休みの間はおまえの世話をすることになった」

「えぇー、そんなの必要ないのに。洗濯は全部クリーニングに頼んでるし、掃除は誰かが勝手にやってくれるよ」

「こんな割りのいいバイトなんてほかにないんだ、諦めろ」

「まぁ、コウちゃんがそれでいいならいいけど……。でも、なんでバイトなの?」

「一浪して大学入ったから、ちょっとでも学費とか貯めときたいんだよ。去年からやってたバイト先が店たたんで、ちょうど新しいバイト探してたとこだったからオレもありがたい」

「あ~、コウちゃんW大だっけ。頭いいよねぇ。俺、高校の勉強だけでムリって思ったもん。大学行ってバイトもするなんて、俺には絶対ムリ」


 そんなことを言いながらカフェオレを飲み、「あ、おいしい」と笑う。本人が言ったとおり、高校をかろうじて卒業した幸佑は大学や専門学校に進学することはなかった。かといって就職するでもなく卒業してすぐにこのマンションに引っ越した。おばさんの話では幸佑の父親が卒業祝いにと鍵を送ってきたのだという。


(鍵と一緒に権利書も送ってきてそうだけど)


 幸佑の父親が誰かは母さんも知らない。そういうことは尋ねないものだと言っていた。しかし近所の人たちは大会社の社長か大物政治家だと昔から噂している。真相はわからないし、興味がないのか幸佑からも父親の話は聞いたことがない。

 夜のお店の経営者になったおばさんから十分な生活費をもらっている幸佑は、二十歳にしてニート生活をこれでもかというほど満喫していた。生活感の薄いデザイナーズマンションに一人で住み、食べる物にも服にも困ることがなく、代わる代わるセフレが訪れるという自堕落な生活に浸かりきっているのは間違いない。たまにメッセージのやり取りをしているときにも薄々そうじゃないかと思っていたが、まさに想像どおりのニートっぷりだ。


(まぁ、それが許されそうなくらいのイケメンだけどな)


 こういう男がヒモとやらになるに違いない。そう、幸佑はやたら綺麗な顔をしたイケメンで、超絶モテて、男女関係なくセフレを作り、高そうなマンションで一人暮らしをしているゴージャスニートだ。それに比べてオレは真面目そうなメガネをした平凡で、W大生といっても飛び抜けて頭がいいわけでもない。ごく平凡で平均身長よりやや低い面白味も何もない男だ。

 そんなオレが、いくら幼馴染みとはいえ真逆の幸佑といまだに交流が続いているのは不思議な気もする。いまだって直接会うのは一年以上振りだというのに、そんなふうに感じないくらい自然に会話ができた。そういえばケンカらしいケンカもしたことがなかったことを思い出す。


(幸佑を見ても、うらやましいとか妬ましいとか思うことがないからな)


 人は生まれながら手にしているものが違う。幸佑は幸佑の、オレはオレの持っているもので生きていくしかない。それをひがんだり妬んだりしても仕方がないと思っていた。


(それに幸佑にもかわいいところがあるし)


 小さい頃なんて、いつも「コウちゃん」と言いながら後をついてきた。オレが先に小学校に入ったときは毎日一緒に家を出て、学校帰りに保育園の前を通ると「ぼくも帰る!」と言って勝手に門から出ようとしたことも一度や二度じゃない。「あの頃の幸佑はかわいかったなぁ」なんて思い出すと胸がきゅんとしてしまう。

 イケメンに育ってからも笑顔は昔のままだ。高校生になってあまり接点がなくなってからも見かければ「コウちゃん」と言って笑顔を見せた。そういう姿を見るたびに弟みたいだなと何度思ったことだろう。


(オレがそう思うのも母さんの洗脳かもしれないけど)


「幸佑くん大好き!」と言い続ける母さんがいなければ、こうして大人になってまで連絡を取り合ったりはしなかった気がする。破格のバイト代とはいえ世話を焼くなんてことを引き受けたりもしなかっただろう。


(ま、オレが一人暮らしするときの予行練習だと思えばいいか)


 それでバイト代がもらえるんだから、ありがたい以外のなにものでもない。そんなことを思いながら、「あとでオレが来る曜日と時間決めるからな」と言って残りのサンドイッチを口に放り込んだ。

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