宇宙刑事が異世界に放り出されてしまったのです

今卓&

プロローグ 次元宇宙

男は薄く眼を開けた、その視界にはコックピットに大きく投げ出した両足とその間から除くモニターに線となった恒星の光が映っている、男は見慣れた光景に何の感慨も無くコントロールパネルに無造作に置いたグラスへ手を伸ばし、かの惑星で唯一気に入ったウィスキーを舐めつつ、光の軌跡を眠そうに眺めていた。


この時、男は長期間の任務を終え帰路へ就いていた、名は無い、いや無いわけではない、偽名ならば幾つも持っていたし、戸籍上の名もある、男の持たない名とは生みの親から授けられるそれで、諸々の事情により元来存在したであろうそれを彼は知りえる事が出来なかった。だからといってさして卑下することもなく、彼の人生に然したる影響はなかった、そうなった理由こそが彼の人生を狂わせた原因ではあったのだが。故に時折男は名に悩んでいた、ここ暫くはキーツと名乗っている、響きが気に入りかつ覚えやすい名前であったからだが、本来苗字であり名では無い事を最近知った、それでも良いかと鷹揚に構えているが、助手の恋人からは今一つ不評であった。


彼の仕事は銀河連合隷下れいかの警察官である、俗に宇宙刑事とか銀河警察等と呼ばれている。正式な組織の名称は御多分に漏れず長い、故に職業を明かす場合俗称を伝える方が便利が良かった、尤も、警察という組織概念が存在する社会で、銀河連合へ参画している文明であればの話ではある、その条件に合う社会文明は未だ比較的に少数で、彼等が赴く先は概ねその条件に合わない地であった、彼の前回の任務地は警察は存在したが連合へは未加盟であった、その為現地の市民に偽装しつつ任務にあたった。


また彼は軍属上がりでもあった、名も適当で出自が訳アリの彼が市民権を得る為には軍に入るのが最も妥当な方策であったからだが、軍に於いて彼は主に情報工作と作戦の立案を担当した、経緯はまた若干複雑であったが、要は彼の出自がそうさせたようである。後方勤務の汚れ仕事をこなした後に作戦参謀付き下士官を勤め除隊する事となる。

それなりに苦労人でそれなりの事務処理能力を持ち、それなりの肉体労働が出来るとは彼がよく言う自己評価であった。


彼が今脱力しつつアルコールを楽しめているのは、任期を終え帰路にあるからであるが、帰路は長い、といっても時間にして49時間程度、骨休めと言うには短い時間ではあるが、一時の開放感を享受するには丁度良いいとまではあった。


任地であるNCC-1701-3「地球」での現地時間で数年、彼は激務の中にいた。主な仕事は不法入国・密漁業者の取り締まり、侵略者と呼ばれる原始社会の乗っ取りを企てるやからの排除である、現地の警察組織又は軍の協力は仰げない、一般人の協力等論外であるが少しばかりの協力はあった、報告書には記載していないが。


では、その銀河警察とは何かを説明しなければならない、その為には銀河連合と銀河警察が保護対象とする文明社会との関係性を知る必要がある。

銀河連合とは複数の文明社会が加盟する巨大な組織である、発足をいつに定義するかで度々歴史家が議論しているが最も短い期間でも地球時間で300年以上である、加盟する文明社会に共通するのは同じ銀河内に存在する事と恒星間航行技術を持つ事、惑星を破壊する手法を幾つか持つ事、そして武力による領土拡張を是としない事である、この原則は時と共に変化している為、歴史家の見解の相違の源でもあるのであるが。

銀河連合の存在は未加入の文明社会へは秘匿される、それは文明社会の健全な成長を見守る為と、過度な科学技術を未成熟な知性体へ伝播させない為である、ではどうやって銀河連合へ参画するかであるが、その為にはまず文明社会が銀河連合に加入する何れかの文明社会へ接触する事が第一条件である、それには高度な航宙技術が必須であり、恒星間航行さえままならない技術レベルではお話にならない、次に接触した連合側の文明社会は被接触文明の武力と暴力傾向を調査する、その上で銀河連合へ報告し派遣した使者のさらなる調査の上で加盟を勧誘されるのである、一見迂遠な上に排他的とも言えるプロセスであるが、銀河連合は本来そういった組織であった。

ここで問題になるのが連合未加盟の文明社会や銀河連合内の犯罪組織は連合への参画が不能な社会を観察している、そしてそれらはその社会へ接触を試み、収奪の対象とする。

かつてそうやって滅びた文明が数多あまた存在した、技術力と倫理は往々にしてイコールにはならないのである。それを問題視した連合加盟国家と避難民の声を勘案し、銀河連合は未加入の文明圏の保護に乗り出す事となる、しかし軍を派遣するのは難しく、連合内での不和を招きかねない。

そこで銀河警察機構の一部がその任にあたる事となる、逮捕権と暫定的司法権を併せ持ち、一定の武力を有する組織となると軍以外には警察組織しか存在しなかった。


逮捕権については、形や程度は違えど多くの法治文明で共通の概念があり、それに準じる権限を付与されている。


暫定的司法権とは司法を司る組織との連絡が困難な地域も多い為、建前として付与された仕組みである、一部より批判の声もあったが、実質的な影響は連合外の社会へ限られる為、積極的に制限をかける者も少なく、犯罪被害者からの受けも悪くない為、やや強権なれど認められていた。


一定の武力とは犯罪組織の武力攻勢を一定期間押し留められる程度と定義されている、軍の装備と比べればヒヨコ程度と揶揄されているが、連合外文明と比較すれば、それはまさに異次元の兵器類であり、犯罪者の持つそれと比較しても過剰と感じられる装備が散見された、しかし現実に使用される装備は治安維持のパワードスーツとそれに関わる補助装置が主であり、大型破壊兵器の使用は数える程度しか実戦使用されていない、またそういった装備は使用制限が課されているものも多く、抑止力として喧伝けんでんされてもいた為、様々な意見はあれど概ね認められている状況である。さらに警察官の中には特殊能力を持つ者が多い、そういった者は装備品そのものを使わない傾向が強く、装備品に関しては宝の持ち腐れと公的に非難の的になる事もあった。


つまるところ銀河警察とは、被保護者に気づかれぬように、被保護者の技術的に数段上にある侵略者を逮捕もしくは追い返す事が任務となる。その為の権限と武力は付与されている、その力を行使するのは、当人と駐在員の判断による所が大であり、文明を崩壊させる懸念すらあった、その為彼の仕事は実に難解なのである、彼曰く遣り甲斐しかない、後アヤコが居てくれる、は現地駐在員に何度かボヤいた言葉であった、激務の表現は決して誇張表現では無かったのである。




「マスター、航路へ乗りました、オートパイロットへ切り替えます」


助手のアヤコがそう言って確認を求めてきた、キーツは了解任せたと気の無い返答をし、グラスを掴むと一気に煽る。

アヤコはキーツの助手である。長い黒髪と長身、紺色の瞳とすっと通った鼻筋、白い肌、誰もが認める美しい造作である、しかし美し過ぎる為か彼女の纏った空気感は静寂で冷たい。キーツとは2期連続でコンビを組んでいた、6年程度の付き合いである、何時の頃からか恋仲にもなっている。初見の印象はお互い良いものでは無かったとベッドで語り合った事があった、寝物語に訥々とつとつとお互いの不幸話をした事もあった。

仕事中の彼女はアンドロイド以上にアンドロイド然としいる、一部の同僚は青の女王と彼女を評していた、それをアヤコは無感情に聞き流していたが、後から聞くと賛否の意思が良く解らなかったと困惑していたそうである。


「あとどれだけだっけ?」


「次元航行開け迄約6時間、通常航行移行後約12時間です」


アヤコは航行制御パネルから目を離さず声だけを返してくる、


「あー、一眠りするには丁度かな?」


「マスター・・・、寝すぎです」


アヤコはやっとキーツに向き直り、若干呆れた顔をして席を立つと、キーツのグラスをそっと奪って退室を目で促す。

キーツは一度コントロールパネルを振り返り、ボトルは食堂室だったか等と思いながら連れだってコックピットから通路へ出ると、アヤコは思い出したように話し出す。


「マスター、収集物の仕分けができておりません、到着までにまとめておかないと到着後ゆっくり休めませんよ、報告書は送信済みですし、犯罪者の時間凍結も終了しております、通常航行中はコックピットを離れてはいけませんし、壊しまくった装備品の修理・整備・補給諸々終了してます、残った作業はマスターが趣味で集めた収集品の検疫と区分けとレポート作成だけです」


キーツは若干思案して、


「君のも無かったけ?」


「何がですか?」


「収集品の中にさ、君のも」


「・・・ありましたっけ?」


わざとらしくすっ呆けるアヤコの目をじーっと見下ろす。藍色の瞳を覗き続けるとアヤコはすっと視線を外し、もうまたですかと頬を赤らめた。


「違うわ、誤魔化すな」


キーツは、即座に否定した。


「えっ」


とアヤコは驚いた顔をして、ニヤリと悪戯がバレた時の笑みを浮かべた、とても愛らしい。


地球での任務は彼女に感情の表出を促したらしい、現場就任以降日々表情を増やしていくアヤコを見るのは面白くもあり奇妙でもあった、診断プログラムに掛けてみたが特に異常は無く、今までがストレスによる抑圧下にあったものとの判断が下された。

キーツもアヤコもその出自は特殊なものであったし、アヤコに於いては感情を無くすのも致し方なしとも感じられる程であったが、公私共に大事なパートナーの変質はキーツにとっては大変嬉しくもあり、羨ましくも感じられる事であった。


「分りました、一緒にやりましょう、二人でやれば到着迄には終わると思います」


事務的な対応に戻っている、すっとアヤコの顔から表情が消えるのが感じられた。


「到着後でもいいんじゃないの?」


キーツは食い下がる、


「反省会に時間かかりますよ」


反省会ねと溜息を吐いた、


「次の辞令が用意されているようですし、マスターは腕利きなので」


と微妙に褒めそやす、


「優秀なアシスタントのお陰だな、俺の評価より君の評価の方が上じゃないのか?」


「あら、お褒め頂き嬉しいです、先に食堂室へ・・・、紅茶入れます」


そう言って、廊下の突き当りで別れた、キーツは観念して収集品を収める倉庫へ向かう。


「あ、さっきのお代わりを、まだ残ってたはず」


ふと、足を止めアヤコの背に声をかけるも、却下ですとあっさり断られた。不満げに唸ってみたがアヤコの背はそのまま遠ざかり、食堂室へ消えた。

キーツは素直に諦め階段を下り貨物室へ足を向け、密閉された大小様々なコンテナが20ほど乱雑に置かれた倉庫へ入る。


我が事ながらよく集めたなと関心しつつ呆れながら、壁面パネルから作業ポッドを呼び出す。

フォンと大気を混ぜつつ、円盤と逆三角錐が上下連結された浮遊ポッド「ジルフェ」が天井から降りてきた、


「イエス、マスター、御用件ハ?」


逆三角錐を青色に発光させつつ、合成音声が問いかける。


「倉庫の整理、収集品の検疫とレポート作成、一個一個見ていくからサポート宜しく」


「イエス、マスター」


と逆三角錐を黄色に点滅させ、了解の意思表示を見せる。


さて、どれからいくかと呟きつつ、最も手近なコンテナに歩み寄り開封する、大気圧が開放される音と共にコンテナの上面が開く、これまた乱雑に突っ込まれただけの統一感の一切無い有象無象な品々が目に入る。


「うはぁー」


この内容量でこのコンテナ数かと作業量を想像し若干の絶望を感じつつ、手近な紙袋から開封する。

中身は確か、駄菓子と呼ばれる食物であった、派手なパッケージに楽し気な文言と奇妙なキャラクターが踊っている。

もしかしてと他の袋も開けてみて、手を止めた。このコンテナはアヤコのだと、キーツは結論付けて開封した袋を戻し、隣のコンテナを開けると中は冷凍されていた、嫌な予感はしたものの確認する。

ほとんどが食料であった、それもキーツには魅力が感じられない類の、ようは甘味である、デザートである。カロリーが異常に高く食感が良い程度の、疲労した場合の栄養補給には適しているか程度の、挙句やたら食べにくい事この上ない食物群である、これもアヤコのコンテナであった。


キーツは溜息をつきつつ、


「ジルフェ、俺のコンテナはどれだ」


と問いかけつつ、2つのコンテナを同時に閉めた、開けっ放しにして中身に何かあったらアヤコに何を言われるか分ったものでは無いからだ。


「検索シマス・・・、マスターガ管理スルコンテナハ」


ジルフェはすっと飛んでいき最奥の最も大きいコンテナと周辺を周回する。


「マスターノコンテナハ、コノ周辺ノ7基デス、ナンバリングヲ変更シマスカ?」


「わかった、俺のコンテナは000からナンバリング赤色点灯、アヤコのは100からナンバリングし直してくれ青点灯で」


「・・・変更シマシタ」


コンテナのナンバリングが変更され、コンテナの四隅がそれぞれに発光する。

倉庫内の半分以上のコンテナが青色表示であった。


「・・・ジルフェこの点灯合ってる?」


キーツはジルフェへ再確認する、青色点灯つまりアヤコのコンテナが多すぎるのである。

ジルフェは思考する暇も無く間違いないと返してきた。


「・・・なら、まぁいいか」


アヤコの収集品の多さに少々驚いたが、当初の目論見より作業量が減った事実の方が大事であった。

改めて自分のコンテナを開ける、任地であった地球での収集物である。検疫が必要な物品から始めるかと品々を確認する、植物の種・書物・ガラス製品・アルコール飲料等々雑多に収められている、これらは親交を結んだ現地民からの贈り物も多かった。

一つ一つがそれなりに思い出を纏っている。


「マスター、如何です?」


アヤコが盆に茶器を載せて現れた、あぁーと空返事をしつつ、ゴソゴソとコンテナ内を物色する、ナマモノ優先だなぁとパッケージされた野菜の種を取り出していると、見覚えのない銀色のケースが現れた。


「なんだっけこれ?」


と開けてみる、首飾りが2本並んで固定されていた、確か流行のネックレスである。

宝飾店を下見した際、愛想の良いお姉さんに薦められ会話の流れ上購入せざるを得なかった一品である、それなりに高価な品であったと記憶している。


「マスター、お茶です」


背後で声がする、また気の無い返事をしつつ手の中の物をどうしようかと思案する。


「マスター、お茶です」


背後で声がする、今度は耳のすぐ後ろ、若干の怒気が感じられる。ビクッと背筋が寒くなりペンダントのケースを思わず閉じる、ゆっくりと振り返るとアヤコの無表情な顔が鼻の先にあった。うん、いまいくと片言に呟くと、そうですねとアヤコはニコリと笑った。




小型コンテナをテーブルに紅茶を囲む、地球へいってからアヤコはこの飲料が殊の外お気に入りであった。今回は黄色の果実片が沈んでいる、確かレモンであったかと思いつつ、口を付ける、紅茶の香りが鼻腔を通り抜け、レモンの酸味が爽やかに口内を満たした。


「あ、これ美味しい」


思わず呟く、アヤコは嬉しそうにダージリンですと言って微笑む。


「一緒に、これも」


と見慣れない菓子が差し出された、側にあるコンテナが口を開けている、


「2時間並んで買いました、一押しのチーズケーキです」


任期が終わり地球を去る前日、半日アヤコを見掛けなかったがこういう事かと理解した。


「?いいの?土産に持っていけば?」


「ふふん、お土産ならいっぱいですよ」


と、アヤコは倉庫内を見渡す、青色発光のコンテナが誇らしげに輝いて見えた。


「レポート作成の駄賃?」


コンテナの数とその作業量に若干の眩暈を覚える。


「・・・私の分は、レポートも検疫も済んでいますよ」


えっそれは凄いとアヤコの処理能力に素直に関心した。

であれば自分の分だけなら何とかなりそうだ、などと思いつつ、チーズケーキとやらに手を伸ばす、添えられたプラスチックフォークで3割程度切り崩し口へ運んだ、


「あ、これ美味しい」


リアクションが一緒ですとアヤコは笑って自分のケーキへ手を伸ばす、黒色の固まりに金箔がちょこんと飾られた一見食物とは思えない代物である。


「同じ店のチョコレートケーキです、シェアしましょう」


「シェア?ってなに」


「ちょっとあげます、ちょっとください」


そう言って、キーツの皿に手を伸ばすと残った分の半分程度を切り崩し、さらに半分に分けて口へ運ぶ、


「うん、間違い無いです、素晴らしいですこのチーズケーキ」


「確かに、こんなものは甘いだけかと思っていたが。旨味が感じられるよね・・・出汁入り?」


「ケーキに出汁はないですよー、・・・多分ですけど、・・・いやもしかして・・・」


「成分検査はしたの?」


と、手を伸ばす、このままではアヤコに全て食われかねない、


「レポートに付記してありますが、詳しく見てないですね」


「再現可能?」


「試してないですね、データ化は済んでいますがこの味を再現出来るかと言うと・・・、食堂のレプリケーターではどうしても」


「難しそう?調整次第かな?」


「どうでしょう、あ。こちらもどうぞ」


手付かずのチョコレートケーキを差し出す、


「何か悪い気がする、先に手を付けて」


「うふ、わかりました」


アヤコは半分程度から輪切りにし、さらに半分を口へ運ぶ、


「・・・これも良いです」


幸せそうに微笑む。

キーツは崩された半分へフォークを運び、そのまま口中へ。


「・・・うん、確かにこれも素晴らしい、甘味が抑えめでチョコレートの香ばしさが感じられる、なにより、味が良い」


「そうなんですよね、味が良いのです、美味しい料理は沢山知っていますが、ホントの意味で美味しいケーキは初めてです」


「・・・まいったな、地球戻るか・・・何かやり残した感があるぞ」


「そうですね、マスター仕事ばっかりでしたから、お陰で私は堪能できましたけど」


「えっ、そうなの」


「ええ、その証拠がこの倉庫ですよ」


悪びれずにそう言い切った、賢い人物は時間の使い方が上手いと聞くが、アヤコもキーツに負けず劣らず仕事をしていたように感じていたし、少し暇をやろうかと考えた時期すらあったように思う。


「・・・宝の山だね」


「・・・そうですね、ただ生ものも多いので少々心配です」


「冷凍しとけばまぁ大丈夫じゃないの?」


「うーーん、やっぱり風味とか、あるじゃないですか、それと食感とか」


とケーキを頬張る。


「レプリケーターでどこまで再現できるかはやってみないと分からないんですよね」


「確かに、香りが飛んでる時あるもんな、あれ、改良が必要だよね」


「物質の再構築だけでは、加工過程で生じる諸々を置き去りにしちゃうそうです、技術士官が言ってました」


無粋ですよと、アヤコは続けた。


「なので、なるはやで現物を食べさせて、再現物と比較させたいのです」


「・・・なるはやで?」


なるはやでとアヤコは笑う、任地での潜入と同化はこの仕事の最も重要な因子であるが、アヤコは現地の影響を特に受けやすい質なのかもしれない。

なかなか馴染めないキーツとは違い友人も多く出来た、別れる時辛いだろうと話した事もあったが、その点はとてもドライで一期一会ですよと事務的に言われた記憶がある。


「本物を知れば、偽物の違いが分かると思うのですよ、本部ではどうしても偽物に囲まれてしまいますから」


まぁそうだよねとキーツは言って、最後の一欠けらを頬張り紅茶を楽しむ、若干の物足りなさを感じた。


「何です?」


アヤコは覗き込むようにキーツを見る、面と向かったパートナーの口元にチョコの欠片が残っていた、一瞬迷い中指でそれを拭って飲めとる、アヤコはムッとするような恥ずかしそうな微妙な顔になり、誤魔化す様に紅茶へ手を伸ばす。


「足りない気がする」


と呟いてみた。


「そういうものです」


とアヤコは言って、


「ケーキは別腹ですから」


と続けニヤリと笑う。


「それってそういう意味なの?」


「うーん、ちょっと違いますかね、でもニュアンスは近いと思います」


そう言いつつ空いたカップへ紅茶を注ぎ足す、


「・・・反省会でもする?」


注がれたカップに視線を落とし何とはなしにそう言った、


「・・・どうでしょう、戻ってからチーフとの打合せで十分では?」


「・・・口裏合わせ?」


「どの件でですか?沢山ありすぎません?」


それもそうかと紅茶を口へ運ぶ、レモンの酸味が薄れ紅茶の風味が強くなっている。


「合わせますよ、不正に問われる事は殆ど無いですし、被害を抑止する点については、反省する事はありますが、後手に回るのは仕様がないです、我々は刑事ですから」


若干寂しそうにそう言った、そうだねとキーツは視線を落とす、視線の先に銀色の箱があった。


「・・・そうだ、お返しがあったんだ」


これをとアヤコの前に箱を置く、開けてみてと続けた。


「えぇー、何ですかー」


アヤコは一転嬉しそうにそれを手に取る、


「うーーん、お気持ち返し?」


「お洒落なパッケージですね、あの星の人達はパッケージに拘りがあるんでしょうか?中身より凝ってるような気がします」


「そう?」


「えぇ、恐らく未だ現物展示の販売方法であるからかなと邪推しますが、本国では権利を購入してレプリで再生が主流ですし」


「あまり、買い物したことがないからなぁ、大概支給品で間に合うし、書物の類は読み放題だし、種と土壌細菌位かな購入するの」


「種?ですか、あぁお好きでしたね家庭菜園」


「うん、種と苗かなそれと土壌細菌、あそこらへんは生物扱いで再生不可じゃん、プランターと土壌は再生できるけど、なもんで種のパッケージはそこそこ凝ってるよ、専用プランターと推奨関連商品の説明とか書いてるし」


「もしかして、種毎にプランター再生してるんですか?」


「うん、」


「それでプランターばかり山になってるんですね、あの部屋、いつ片付けてあげようかと思ってました、ちゃんと返還しないと損ですよ」


「うん、戻ったらね、多分」


うんうんと親子のような会話になった、どうも最近アヤコとはこんな感じになるなと感じる。


「それより見てみてよ、・・・もしかして、開け方が分からない?」


と促す、箱はアヤコの手の中で所在なげであった。

失礼なとムッとした顔をして、箱を弄る・・・、開かなかった。


「やっぱり、俺も最初開けられなかった」


と笑いつつ箱を受け取り上下にスライドさせて差し出す。


「わ、わ、わぁー」


中を見た瞬間アヤコの顔は喜びと驚きに溢れる、コロコロと変わる表情がとても愛らしく見えた。


「いいんですか?ホントですか?綺麗です、かわいいです」


「お気に入った?」


君の為に探してきたんだよとキメ顔をしてみた、アヤコは見てなかったし聞いていないようで、


「わー、すごいです、これ雑誌に載ってたのです、こんなに小さかったんだ、繊細な細工です、それに輝きが凄いです、あぁーとってもかわいい」


踊りだしそうな勢いであった。


「・・・それは、良かったね」


キーツは紅茶に手を伸ばす、少々寂しい。

暫くの間、アヤコはキラキラと輝く瞳でネックレスを見つめ続け、やっと顔を上げた、口元に微妙な笑みが見える。


「これペアですよね、お揃いですよね」


「・・・?、そういうものではないの?」


アヤコの意図する事が分からずに疑問で答える。


「ペアネックレスですよ、白いのが女性向け、黒いのが男性向けです」


と箱をこちらへ向ける。


「・・・2本で一組かと思った」


「同じネックレスを2本着けるんですか?」


「そういうお洒落かと・・・」


「斬新ですね・・・、あぁ褒めてないですよ」


微笑が若干冷笑に変わっている。


「これは男女別なのです、なので2人で分けるべきです」


「・・・シェアってやつ?」


「・・・違います・・・」


決定的に呆れられた。


何とか格好つけようと話題を探すもこれといって良い言葉が出ずにいると、まぁいいですとアヤコは言い、白いネックレスを取り出すと、着けてくださいと背を向けながら後ろ髪をかき上げる。

キーツはネックレスを受け取りつつ、アヤコの細く白いうなじを見つめる。何度も触れた筈のそれはそれでも尚魅力的であった上に、着衣での無防備な状態に新鮮な興奮を覚えた。


「・・・着け方わかります?」


「多分、大丈夫」


暫く呆っと眺めていたキーツをアヤコが促す、キーツは誤魔化す様にそう言って立ち上がると、ネックレスの留め具を外しアヤコの首元へチェーンを回した、長い黒髪を巻き込みつつ留め具を止める。アヤコはチェーンから長い黒髪を引き抜き、軽く整えつつ向き直る。


「・・・如何でしょう?」


俯きペンダントトップを見詰め、はにかみながら聞いてくる。


「似合ってる、とても・・・」


「えへへ、嬉しいです」


だらしない笑みを浮かべつつ、頬を赤く染める。

キーツもその笑みにつられてか気恥ずかしさを感じ頬が熱くなった。


「では、次はこれです。着けてあげます」


すっともう一つのネックレスを取り上げる。


座ってくださいと微笑むアヤコに否を唱える事は出来ず、座りなおして背を向ける。

こう?とアヤコに問いかけると同時に細い腕に包まれた、離れると首に違和感を感じる。


「こっち向いて下さい」


「・・・なんか、かゆい・・・」


照れ隠しにどうでも良い事を呟きながら向き直る。

良い感じですよとアヤコは言いながらペンダントトップの配置バランスを整えてくれる。


「なんか違和感がね、というかしっくりこない」


「慣れです、お風呂と就寝時は外した方がいいとは思いますよぉ」


「えっそれ以外は着けとくの?」


勿論ですよ、と不思議そうな顔をする。お洒落って大変なのねと溜息を吐いてみせると、


「これはお洒落では無いのです」


「んじゃ、なにさ?」


「・・・絆の約定です」


そう言って抱き着かれた、ぎゅうっと力が込められる、


「照れてるの?」


アヤコのつむじを見ながらそう言ってみた。


「黙って下さい、今、・・・幸せを感じているのです」


「・・・そうか・・・なら」


キーツはアヤコを抱き締め、頭頂部へ口付けをする、アヤコは答えるようにこちらを見上げた。潤んだ瞳を見つめ返し唇を合わせる。


「・・・ホントなら・・・」


アヤコは言いつつ、キーツの肩に顔を預ける。


「・・・指輪の方が良いのですよ・・・」


とアヤコは続けた。


「どういう事?」


「地球での風習です、結婚指輪と言うそうです。婚姻関係を結んだ夫婦は同じ指輪をするそうです」


「・・・あぁ、ブリーフィングて聞いたな、不思議な風習だね、そういえば指輪している人多かったかな」


「駐在員さんも着けてました、社会的信用の為とか言ってましたけど」


「・・・なら、返品して指輪にしてもらうか」


アヤコはきっとキーツを見上げ、


「嫌です、これが良いです、とても気に入りました、返品は却下です」


と早口で捲し立てる、


「なら、嬉しいかな、似合わない買い物が役に立ったようだ」


このネックレスがこの場に来る迄の物語を思い出す、言葉巧みに買わされたものである事を知られたら、この抱擁は無かったかもしれない。


「・・・それに返品は暫く出来ませんよ、もう何マイクロGX離れているか・・・」


「それもそうだ」


「なので、本星に戻ったら、指輪も下さい、勿論ペアですよ、一緒じゃないと嫌です」


「初めてかな、おねだりされたの」


「・・・どういう意味か分ってますか?」


アヤコの瞳を覗き見る、潤んだ瞳の中に不安が感じられた、さすがのキーツも察したようである。


「・・・結婚しようか・・・」


キーツは恐る恐る口にする、ややあって、


「はい」


とアヤコは快活に答える、瞳の中の不安が安堵に変わっていた。

キーツは再びアヤコを強く抱きしめ、アヤコもそれに答える。

二人は暫し抱き合って、名残惜し気に体を離す、両手を緩く繋いだ状態で二人は共に恥ずかし気に俯いていた。


「・・・何か、照れるね・・・」


沈黙に耐え兼ねたようにキーツは顔を上げた、


「・・・そうですね、・・・どうしましょうか?」


アヤコも顔を上げる、目には涙が浮かんでいた、普段のすました美貌が複雑な感情を奥に秘めつつ可愛らしく歪んでいる。


「どうしたの?、らしくない酷い顔」


えっホントですかと顔を隠そうとするアヤコの手を離さずにいると、アヤコは顔と身を捩りつつキーツの視線から逃れようとする。


「・・・やだ、止めてください」


「何をさ?」


「見ないで下さい・・・離して下さい」


「嫌です、見たいです、可愛いですよ、とっても」


「ヤ、嘘です、酷いっていいました」


「うん、えーと、ブサカワってやつ?」


「・・・それ違います、と思います」


「えーー、可愛いのに」


とキーツは手を離す、アヤコは背を向け涙を拭った。


少しばかりからかい過ぎたかなとキーツは反省し、どう声をかけようか思案するも良い言葉が見付からず、何とも居た堪れない空気が二人を包んでいく。アヤコは泣いているのか両手で顔を覆ったまま身じろぎもせず、キーツに背を向けたままであった。


ふいに警告音が鳴る、第一種危険信号であった、船内の警告灯が黄色に点灯し異常内容を伝えるアナウンスが響き渡る。


「船体外殻に異常振動、船体外殻に異常振動、搭乗員は現状把握の上、対処指示を求む。繰り返します・・・」

キーツは顔を上げ、まいったなと頭を掻く、


「あの、アヤコさん、そういう事なんだけど、どうする?」


背を向けるアヤコに問い掛け、そっと肩に手を置こうとした瞬間、アヤコは振り返り、


「・・・無粋な艦ですね、もう少し遊びたかったのに」


といつもの顔いつもの声音でそう言った、


「・・・嘘泣き?」


「・・・ホント泣きからの嘘泣きです、いつかお返しします、楽しみにしていて下さい」


とニヤリと笑い、ジルフェを呼びながら壁際へ走る。キーツもつられて走り出し情報パネルを覗き込む。


「・・・貨物区画の外壁ですね、囚人凍結ブースの直ぐ側、ジルフェ確認できる?」


アヤコが指示を飛ばす、


「次元航行中ノ為、管理ポッドハ船外作業ヲ許可サレテオリマセン、船外モニターノ映像ダシマス」


パネルの一部に船外映像が表示される、灰色の外殻に紫色の異物が貼り付いていた、大きさにして1メートル四方も無い、異常振動の警告であったが振動している素振りは無く、有機物か無機物かさえ映像からでは判別は難しかった。


「・・・なんだこれ?」


キーツは素直な疑問を口にする。


「・・・なんでしょう、どちらにしろこれが原因かと思いますが」


アヤコは答え、船外モニターの倍率を調整する、


「よく解りませんね、一旦警告音切ります」


アヤコの指がパネル上を走り、艦内は平時へ戻った、騒音の影響だろうかより静寂さを増したように感じる。二人はパネルを注視し船外モニターを駆使するも、物質の正体について明確な答えは得られなかった。


「・・・探査艇ソウヤで外部から調査ですかね」


「あぁ、4番艦ならすぐ出せる筈だ、ちょっと行ってくるわ」


「それは私が、マスターは作業を続けてください」


「そういうわけにはいかないよ、次元航行中の船外作業だぞ、危険だし」


「母星に戻ってからやる事が増えたのですから、倉庫作業が優先ですよ」


「・・・?何か増えたっけ」


キーツの疑問にアヤコはやや不機嫌そうな眼を向けつつ、


「私の養父母に会って欲しいです、それと姉妹達にも」


「・・・なんで?」


キーツはそう問い返し、一瞬で間違いに気付いたが遅かった。アヤコが悲しそうにキーツを見詰めている。


「うん、やる事増えてたね、ウチの両親にも会って欲しいし」


キーツはゆっくりとアヤコへ視線を移しつつ、言葉を選んでそう言った。


「分かっていただければ良いです」


アヤコは薄く笑ってそう言った、しかし眼が笑ってない、これが尻に敷かれるという状態なのだなとキーツは思った。




「ソウヤ準備できました」


ヘッドセットから音声が入る、キーツはヘッドセットからパネルモニターを引き出し、右目にセットする、濃い緑色を背景に白色の数字が並び、左上方に探査船内のアヤコの顔が大写しになった、ハードスーツを着込みヘルメットを着けてはいるがバイザーは下ろしていない為表情が良く見える、その顔はやや高揚しているように見えた。

キーツはアヤコの顔の下に並ぶ探査船のエネルギー量・環境コントロール値を眼で追いながら手元ではコンテナの中身を並べ続ける、


「了解、ジルフェ記録開始」


キーツは屈んだ状態のまま指示を出す、


「あ、その前に」


アヤコに制止された、異常かとキーツは手を止める、


「ソウヤにコンテナが残ってました、中身はマスターのですね」


「・・・へ」


間の抜けた声が響く、アヤコは呆れたように続けた、


「中身は、原始的な火薬兵器ですかね、実弾多数確認できます、あっこの長物は・・・綺麗な文様、これは日本刀ですか、初めて見ました」


モニターの中の彼女はわざとらしげな口調である、


「・・・えーと、アヤコさん?」


「うむ、怪しいぞ、このバックパックは何ですか、あ、説明書きが・・・キャンプセットですか?非常食?使用感が無いですね・・・その他いろいろ・・・お酒かな?携帯ランタンに燃料まで、狐の面?何ですこれ?」


キーツは心当たりを思い出し、その顔からは徐々に血の気が引いていく、


「あの、アヤコさん、その・・・あまり漁らないでいただければと思うのですが」


「底の方には、ダンボール箱?」


「すいません、アヤコさん、それはダメです」


キーツは観念して悲鳴を上げる、


「・・・しょうがないですね、今はいいです」


キーツはほっと一息吐いて、


「ほら、山に登ったじゃない、隠れ家探しで、その時のほら、いろいろだよ」


一応誤魔化してみようと思って、咄嗟の嘘が口から出る、


「・・・狐の面が?現地の実体弾がですか?使用した形跡が無いですよ」


アヤコの訝しげな声に二の句が継げない。


「今はいいですと言いました、後程ゆっくりと御伺い致しますね」


「はぁ、分かりました」


否を認めない強く冷たい言葉に弱弱しくキーツは答えた、


「作業が増えてしまいましたねマスター、そちらの作業を早々に仕上げて下さい。こちらも迅速に対応致しますので」


「了解、それでは作業内容確認致します」


キーツはすっかり敬語で受け答えしている事に気付いたが、今アヤコを怒らせるのは宜しくないだろうと事務的な口調を続けることにする。


「ジルフェ作業記録開始、作業員アヤコ・来栖、作業補助ジルフェ警邏型08番台3基、後方補助員キーツ・アールシュバーグ」


「記録開始シマス、連合暦ニ続キ001番デ作業記録作成シマス、音声記録・映像記録開始」


ジルフェが青色に点滅しつつ、キーツの頭上を旋回する、


「作業内容を確認する、目的は外殻に取りついたアンノウンの排除、手段はソウヤ4番艦使用、方法として当該ソウヤを使用し外殻伝いに目標物へ接近、目標物のサンプル回収、その場にて分析、結果により対処方法を判断する事とする、以上」


「作業内容確認、安全基準確認、作業員アヤコ・来栖へ三次権限移譲、外壁トノ接触ニ注意サレタシ」


「三次権限移譲されました、4番格納庫減圧開始、減圧作業確認願います」


一瞬通信にノイズが交じり、すぐにクリアとなる。


キーツはパネルモニターに表示されるカウントダウンを確認しつつ、


「減圧終了まで、5・4・3・・・、減圧終了、艦内確認、艦内異常無し」


「ソウヤ確認、ソウヤ異常無し」


「4番格納庫隔壁開放、5・4・3・・・、開放、作業を開始」


「隔壁開放、目視にて確認、作業に入ります」


二人は淡々と準備段階を終え作業を開始した。


アヤコはソウヤをゆっくりと前進させつつ二本の連結アームを外壁へ取り付かせる、両手で2本の操作スティックを慎重に操りつつ操作ポッドへ指示を出す、


「前進中止、慣性制御、移動慣性を連結アーム基準へ」


「コピー、ソウヤ前進中止、慣性制御・・・、ソウヤ停止、連結アームヲ基準ニ慣性制御」


連結アームを屈伸させゆっくりと隔壁からソウヤを引き出し、外壁を基準として平衡へいこうを安定させた、


「ソウヤ、船外へ出ました、これより移動始めます、ジルフェ外壁に対して定距離を維持」


「コピー、定距離ヲ維持シマス、下部中央スラスター出力1%」


連結アームを交互に動かし目標地点を目指す、次元航行中である為母艦から物理的に離れるのは危険であった、最悪の場合次元内へ放り出され二度と戻れなくなってしまう。係留ロープは繋いでいるがそれはあくまで救急策である、二本の鈍重な連結アームが命綱であった。

しかし、アヤコはたいして緊張した素振りも無く、淡々と歩を進めていく。母船の外殻を地平線としてその天空を彩る恒星の光が色とりどりに直線を描く様を眺めつつ、ソウヤのコックピットに区切られたこの視界内を、この直線で埋め尽くすには幾つの恒星が必要で、その空間は何処かにあるのだろうか、その空間を訪れる可能性は等と考えていた。


「ソウヤ、ソウヤ、応答願います」


ヘッドセットからキーツの声が聞こえる、


「はい、こちらソウヤ、どうぞ」


「あぁー、異常は無いですか」


キーツの心配そうな声が聞こえる、異常があれば瞬時にパネルモニターへ表示されるものを、何を言っているのやらとアヤコは訝しむ、


「どうされさました、母艦に異常でも?こちらは順調です」


アヤコはヘッドセットを調整し、パネルモニターへキーツの姿を映し出す、倉庫にて作業中である筈の彼は、何故か倉庫内を動物のようにウロウロしていた。


「あぁー、ならば良いです、どうぞ」


キーツは立ち止まり天を仰いで何処かへ話しかけその言葉が終わりしな再びウロウロと歩き始める、アヤコは察した、と同時に嬉しくもあり愛おしさも感じてしまう、先程のちょっとした憤りをすっかり忘れる程であった。


アヤコは思う、彼は此方が心配で落ち着かないのであろう、無理もない事で通常業務であれば役割が逆なのである、彼が作業に当たらず後方支援でモニター監視等ここ暫く経験が無かった筈、いや、もしかしたら警察学校の研修以来かもしれない。それを加味しても、愛する男が自分の為に醜態を晒しているのは優越感を超え愛らしさすら感じる、醜態等と言っては彼に対して失礼かなと思いつつも、不安気なキーツの背中から目を離せない。


「ジルフェ、記録停止」


アヤコはソウヤのコックピットに埋没するように接続された作業ポッドへ指示を出す、


「記録停止シマス、記録保存義務ニツイテ再講習ガ必要デショウカ」


「一時的な停止です、ソウヤも移動停止して」


「コピー、ソウヤ一時停止、記録停止シマス、定距離維持」


アヤコは操作スティックから手を離し、コックピットへ背を預けると、未だウロウロと歩き続けるキーツの背を微笑みつつ眺める。


「アヤコ、ソウヤが停止したのか?何かあった?」


通信が入る、キーツは立ち止まり虚空を仰いだ。

アヤコはどう声を掛けようかと思案し、仕事モードで行くかと口を開く、


「こちらは正常です、後方補助員に問題が」


「後方補助員・・・えっ、俺?」


「はい、後方補助員は常に冷静である事が重要です、分かりますね?」


「うん、そうだね」


「マスター、何をそんなに歩き回られているのです?」


「えっ、歩き回ってた?俺」


「はい、四つ足かと思いました、そんなでは此方が落ち着きません」


「・・・すまん、気を付ける」


キーツは寂しげにそう言って手近のコンテナへ腰を下した、


「はい、それでいいです、それと・・・」


「それと?」


「心配しすぎです、と思いますがどうですか?」


アヤコは少し不安になった、


「心配?そりゃするだろう、未確認物質の調査だぞ、船外活動だぞそれも次元航行中なんてイレギュラーだろ通常なら」


「そうですけど、それだけですか?」


「・・・それだけって・・・」


キーツは口籠り、ややあって、


「そりゃ、君を危険な場所へは送り出したく無いし、本来俺の仕事だろうし、君は安全な所に居て欲しいし、あー、あれだ動いてないとダメだ俺」


支離滅裂に言葉を並べる、言いながら何を言わされてるんだと顔が熱くなる、


「えへへ・・・」


アヤコは照れたようにだらしなく笑ってしまった、


「どうであろうと危険は危険だ、連結アームが外れたらすっ飛ばされるぞ、今すぐにやらなければならないわけではないし、次元航行が終わってからでもよかったんじゃないか」


キーツは興奮しつつ喋り続けた、


「一旦戻って交代しようか、君も慣れない事はするもんじゃない」


「それはできません、そちらの作業を続けて下さい、こちらも細心の注意を払って任務続行致します」


アヤコはそういってジルフェへ作業の再開を指示する、


「わかった、異常があればすぐに言ってくれ、勿論モニターはするが慣れない作業は危険を伴う」


慣れない作業は自分の方かとキーツは思う、了解ですとアヤコは静かに答え、操作スティックに手を伸ばす。

ややあって、キーツは再びうろうろと歩き始めた、やはり落ち着かないらしい、意を決しアヤコへ話しかける。


「作業の進捗を確認したい」


「対象物へ移動中、もう少しで対象物を視認できます」


先程モニターした未確認物質を思い出す、紫色の何か、次元空間での付着物であれば研究対象として確保するのが望ましく、地球由来の物質であれば宇宙空間で変異した何かである可能性がある、どちらにしても研究対象である事に変わりはない。


「対象物を視認、モニター確認下さい」


アヤコが事務的な言葉で告げる、彼女はいつもどおり冷静であった。

キーツのパネルモニターに対象物の現場映像が映る、外壁にのっぺりと貼り付く紫色の物質、光沢は無く動く様子も無い、連想したものは乾いた塗料の残滓であり、それ以外には見えなくなってきた、


「なんだこれ?ペンキぶちまけてほったらかしたような」


「そうですね、サンプル回収します」


モニター内に作業アームが映り込み対象物に触れ固定する、切削の為電子メスが展開された、とゆっくりとそれは外壁から剥離していく、


「ん、何だどういう仕組みだ」


「分かりません、形態を維持したまま外壁から剥がれました、まるごと収容しますか」


「・・・危険かな、出来れば現状のままで分析したい所だが、ボックスにいれて牽引すれば少しはましかな?」


「そうですね、では回収ボックスへ格納、船外で牽引し帰投します」


「了解、まだどうなるか分からない、慎重に」


「わかりました」


アヤコは無言で作業を進め、ややあって、


「対象物確保、帰投します」


アヤコの報告にキーツが了解と答えた刹那、異音が響き船体が2度揺れる、


「何だ」


キーツが叫ぶと同時に警告音が艦内を満たす、レッドアラート、先程の警告より上位のそれである、キーツは壁面パネルへ走り寄り警告表示を告げるパネルへ取り付きつつアヤコへ呼び掛けた、


「アヤコ、レッドアラートだ、至急戻れ、大至急だ」


「マスター、状況確認を、強い閃光が走りました、状況不明、空間内に原因不明の振動・・・」


アヤコはそれを見止め言葉を無くす、


「どうした?アヤコ」


「・・・異常、確認できました、進路方向にワームホール」


アヤコは闇の中に闇を見る、宇宙空間の闇の中に更なる闇が口を開けている、エネルギーの奔流が渦となりあらゆる物質を呑み込もうとそれは前触れも無く表出した。


「なに?」


「いえ、次元ホールと思わしき事象です、詳細不明、そちらのセンサーは」


キーツは素早くパネルを操作し警告項目を確認する、


「次元不安定、未知の空間現象、次元航行の継続不能、船体崩壊の可能性・・・」


キーツは警告内容を読み上げる、その項目の多さに血の気が引いた、


「マスター、次元航行緊急停止、このままでは事象と接触します」


「わかった、ジルフェ、緊急停止、左舷スラスター全開」


「コピー、緊急停止、次元内慣性航行ニ移行シマス、左舷スラスター出力80%」


「ジルフェ、前方の事象の分析を急げ、事象に接触するな」


「コピー、事象ノ分析ハプローブの撃チ込ミガ必要デス、プローブ準備シマスカ?」


「そんな暇あるか、航行制御、事象へ接触するな」


「マスター無理です、事象との相対距離縮まります、事象側へ引きずられています」

アヤコは悲鳴交じりに伝えてくる、


「アヤコ、何とか戻れるか」


「戻ります、必ず」


「わかった、待っている必ず戻れ」


アヤコの声は冷静でキーツの声は怒声であった、しかしそれが二人の別れの言葉であった。

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