私は真夜中の時間が好き

スパイ人形

真夜中の楽しみ

 昼の喧騒に終わりを告げ、夜の喧騒もとうに過ぎ去り、騒がしかった街が息を潜める時間。

 人通りも疎らになり、昼間は聞こえないような遠くの音さえ聞こえる、そんな時間。


 私はこの時間がとても好きだ。


「ふぅ」


 賃貸マンションのベランダに出て、光を発していた建物が暗くなっていく様子が視界に入る。灯りの減ってきた街を眺めながら一息吐く。少し冷たい外気を吸い込んで、綺麗な空気を吸ったような錯覚を覚える。この静けさと心地よさが堪らなく好きだ。

 

 一服したくなって煙草を取り出しかけるが、最近管理会社から怒られたばかりだったことを思いだしすごすごと戻す。


「出掛けるか」


 財布とスマートホンだけ持って、部屋着に羽織るもの一枚だけ着て手早く部屋を出る。昼は暖かくなってきたとはいえ、日も沈んだ今となれば少し肌寒い。

 戸締まりを済ませて、エレベーターを使い一階へ降り、建物の外へ出る。やはりまだ少し冷える。


 目指すは最寄りのコンビニ。もう既に看板ならここから見ることができる。


 歩くこと物の数分でたどり着き、外に設置されている灰皿のところへ向かおうとして、先客の存在を認めた。気にせず足を運ぶと、あちらもこちらの存在に気付いたようだ。自分の隣部屋の大学生君は、一瞬驚いたような表情をして、すぐに人懐っこい笑顔を浮かべて見せた。


「こんばんわー」

かなでさんじゃないっすか。こんな時間に会えるなんて俺は幸せもんだー」

「どうもー。君は、バイト?」

「くぅ、いつも通りドライな反応が沁みる〜! ですです、今は休憩中で。真夜中は人があんまり来なくて時給良いからお得なんです。その上今日は奏さんが来てくれたんで嬉しさ100倍増しでっす!」

「そうなんだ。時給も100倍になるといいよね」

「それはほんとにそうです」


 彼が切実そうに最後言葉を漏らしたことに小さく吹き出す。

 気を良くしたのか、彼は私に色々他愛ない質問をしてきた。適当な相槌や返事、たまに質問を返すくらいだったがそれでも彼は楽しそうだった。


 やかて煙草一本吸い終わるかという頃になって、そろそろこの場を離れようかという考えが過った時、それが伝わったのかこの場に私を繋ぎ止めるように彼はまた質問を投げ掛けてきた。


「奏さん、その、彼氏さんか彼女さんとかっていま、すか?」

「んー、どっちもいたことはあるけど、今は居ないなー。私が中々にろくでもない人間なもんで、学生の頃はなんとか隠せていたけど、同棲とかしてみるとどうもね。まぁ昔の話ではあるけど、そんな良い別れ方はしてないから、その後はそういった付き合いの申し出があっても断ってるんだよね」

「そう、なんですか……」


 喜んでいいのか悲しんでいいのか、という複雑そうな声で返事をする彼に、内心で苦笑する。大人への憧れを好意と勘違いしている可能性もあるが、私への好意をひしひしと感じる。自分の事が好きなんだろうな、と自分で言ってしまうのは大変自惚れていて恥ずかしくもあるが、素直な子なのか表情や声音で大体分かってしまう。嘘を吐くのは大変そうだと思う。


「じ、じゃあ誰かに告白されても付き合う可能性はゼロってこと……すか?」

「うーん、どうだろ。その時になってみないと分からない、っていう曖昧な回答になっちゃうかな。告白されて付き合うかどうか初めて考えるから、いつも考える時間は貰ってちゃんと考えて答えるようにしてはいるね」

「可能性はあるってことっすか!?」

「かもしれないね。っと、それじゃ――」


 すっかり短くなった煙草を灰皿に捨てる。彼が口を開くより前に今日はここまでと会話を打ち切りこの場を去ろうとする。


「今日は……と言っても今日になったばかりだけど、ここまでだね。まだ仕事が残ってるから、私は戻るね」

「あっ、とすみません、引き留めちゃって。良かったらまた来てくださいね! お仕事頑張ってください!」

「またそのうち来るよ。君もね、仕事頑張ってねー」


 手を振りながら彼に別れを告げる。家の方とは別の方の道に歩いていき、当初の予定通りこのまま少し散歩をして戻ろう。


 いつか彼は私に告白してくるだろうか。――いや、してくるだろうな、うん。


 その時の私はどう答えるのだろうなと未来の自分に思いを馳せる。生活リズムの都合上、彼とは日中会うことはないだろうが、今後この真夜中の時間帯であれば会うこともあるだろう。不器用な彼が今度どう成長していくのか楽しみではあるが、こんなろくでなし人間じゃなくてもっと普通の人を好きになったら良いのにとも思う。


 それでも、好きな時間の楽しみが1つ楽しみが増えたなと思う。無意識にも上機嫌になりながら、真夜中の静かな道を楽しむ。やっぱり、真夜中という時間は自分にとって好きなことがたくさんある、とても良い時間だ。


「お仕事頑張ろうっと」


 

 私自身が、彼と会って話すことを楽しみと思っていたことに気が付いたのは、それからしばらく経って、彼と付き合い始めた頃のことだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

私は真夜中の時間が好き スパイ人形 @natapri

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ