第1章

聖女の子

第1話   聖女の子

 シロツメ草の群生する原っぱで、座りこみ小さな花を摘んでいる少女がいた。名はアリアという。白銀の髪に薄紅色の瞳をしている。10歳のアリアは、5歳の時プラネータ公爵に連れられ、プラネータ公爵家の子になった。プラネータ公爵はアリアが生まれた頃から養女に欲しいと望まれていたが、公爵家の奥方が嫌がった。奥方を説得するのに5年かかり、養女に迎えられてからは、養父に実の子よりも可愛がられている。


 養父は右手の肘から下が無く不自由な身体をしている。アリアは養父の右手の代わりになろうと、務めた。


 家族は義母と義理兄に続き義理姉がいる。義母と義理の兄妹達はアリアを嫌っている。口に出すとプラネータ公爵が怒るので、口には出さない。口に出さない分、アリアに口も利いてくれない。いない者として扱われている。愛してくれるのは、養父のプラネータ公爵だけだ。


 人形のように可愛らしい洋服を着せられ、美味しい物を食べさせてくれる。


 プラネータ公爵家は、アリアを招いた日から家族が分解している。もしかしたら、招く前から壊れていたかもしれない。義理兄のラウエルは隣国の寄宿舎のある学校に入り、義理姉のカレーナもやはり寄宿舎のある学校に入った。家には継母のイーニがいるが、アリアが何をしていても何も指摘しない。ふらりと出かけて帰って来ない日も多い。



「お父様、綺麗な花束ができましたわ」


「編むことはできるかな?」


「できますわ」



 シロツメ草の編み方を教えてくれたのは、教会のシスターだ。アリアは教会の聖堂で生まれたことをシスターに聞いて知っている。本当の母が、どうして死んだのかも知っている。


 アリアを産んで死んだと教わった。力の強い聖女様だったと昔話もしてもらった。

 プラネータ公爵と母の墓参りにも時々行く。遺品のネックレスは、肌身離さず持っている。



「アリア、そろそろ帰ろうか」



 プラネータは激しく咳き込んだ。急いで背中をさするアリアの腕をプラネータは握る。



「お父様、お疲れですか?」


「冷たい風が吹いてきたからね」


「わかりました、お父様」



 アリアは父の片腕の代わりに、立ち上がる手伝いをする。



「お父様、どうして手が無くなってしまったのでしょう。可哀想だわ」



 父はニコリと笑う。


 不自由な身体で、ゆっくり立ち上がる姿は、以前より大変そうだ。


 プラネータ公爵家に来て、5年が経ち、父も歳を取った。


 物心がついた頃から、アリアを尋ねてきていたプラネータ公爵のことを、父と呼んで欲しいと、ずっと言われていたアリアは、時々、本物の父のような気がしていた。

 そんな本物の父のようなプラネータ公爵は、突然現れたゴブリンに呆気なく殺された。


 魔窟の結界が弱っているのだと、父の葬儀の時に、神父に言われた。


 プラネータ公爵家でアリアは一人になってしまった。


 父が亡くなると、義理兄も義理姉も寄宿舎から帰って来た。


 使用人達も家族も誰も、アリアに口を利かない。


 人形のように可愛く飾られていたアリアは、使用人の古着を着せられ、屋根裏部屋に部屋を移された。人形のように可愛い洋服は暖炉に放り込まれ、焼かれてしまった。


 一日中掃除をさせられ、食事は一日パン1個になった。たった1個のパンではお腹は膨れない。


 とてもひもじい。

 ずっとお腹が空いて、夜になると部屋に戻って倒れる。



「お父様、助けて。誰か助けて……」



 暗闇に人の姿を見て、手を伸ばすと、掌にパンを握らされた。



「ありがとう……」



 柔らかな美味しいパンだ。

 優しい誰かがこっそりくれているんだ。

 泣きながらパンを食べていると、トレーをそっと置かれた。

 トレーの上には、パンもスープも美味しそうな料理も載っている。



「ありがとうございます」



 アリアは親切な誰かにお礼を言いながら、温かい料理を食べる。美味しいオレンジジュースまであって、やっとお腹が膨れて、眠りがやってくる。

 床に倒れて眠ると、誰かがベッドまで運んでくれる。

 温かく優しい腕だ。

 朝目覚めると、できたての温かい料理がテーブルに載っている。

 親切な誰かのお陰で、生きていられる。

 毎朝、感謝のお祈りをして食事を食べていた。



「この子は気持ちが悪いね。食べ物も与えていないのに、痩せてこない」



 継母は、血色のいいアリアを見て、顔を顰めた。



「盗み食いをしているのか?」


「いいえ」



 アリアは急いで否定する。

 この家の誰かが、秘密で食べ物をくれているのだろう。

 見つかったら大変だ。



「この子は気持ちが悪い。悪魔でも憑いているんじゃないだろうね?」


「母上、この子は我が家の子ではありません。奉公に出したらいかがですか?」


「それよりも、お母様、教会に送ったら我が家の名声も上がりますわ」


「それもそうだね。この子はもともと聖女の子だ。聖女の子なら聖女になれるだろう」



 ある日、継母は、アリアを教会に預けた。



「父の敵を取るために、聖女になり魔窟の結界張るといい。それくらいの恩返しはしてもいいだろう」



 プラネータ公爵家の家族は、アリアに使命を与えた。

 わずか10歳の幼い子供に……。

 たった5年、父の……人の優しさに触れられただけも幸せだったのだろうか?

 アリアは文句を言わずに、聖女見習いになった。

 親切な誰かに迷惑をかける前に、この屋敷から出た方がいい。



 +



 聖女の勉強は、瞑想中に過去の聖女の行いを見て学ぶ。幾万年の習わしを瞑想だけで学べるのは容易いけれど、瞑想の間は食事も睡眠もなくなる。それを我慢すれば、1週間後には立派な聖女になれる。


 現在、魔窟の結界を行っている聖女様は25歳の美しい女性だ。聖女は基本的に美しい女性がなるようだ。


 聖女は神に仕える身なので、規律正しく、清らかでなければならない。


 聖女はアリア以外に、何人かいた。10歳で聖女になったのは、アリアが初めてのようだ。最年少のアリアの仕事は、雑用が主だった。


 聖女は雑用をしなくてもいいのだが、10歳の幼い聖女に聖女の仕事は勤まらないと、聖女の中でも、仲間はずれだ。


 聖女は主に、18歳から25歳くらいの女性がなるらしい。


 アリアは論外だった。


 それでも、アリアは正式な聖女として目覚めている。魔窟の制御の仕方も覚えたし、病気や怪我の治し方も覚えた。この国の和平の祈りもできる。

 ただ誰にも認められていないだけだ。



 +



 清めの儀式の後、教会に向かう途中で、一匹の猫が血を流して倒れていた。カラスにでも襲われたのだろうか?苦しげに喘ぐ姿を見て、まだ生きていると認識した。


 誰にも認めてもらえないけれど、アリアは治癒の力も持っている。手を翳し、歌を歌う。呪文のような歌だが、その歌が治癒の魔術だ。猫はおとなしくなった。喘ぎも無くなり、じっと横たわっている。5分ほど歌を歌うと、猫が立ち上がった。

 お礼をするように、アリアの足に甘えて身体を寄せる。



「良かったね」



 アリアは猫の頭を撫でて、喉元も撫でる。ゴロゴロと喉を鳴らせ、気持ちが良さそうだ。

 白い猫はしばらく甘えていたが、アリアが立ち上がると、アリアを見上げて「ニャー」と鳴いた。



「もう怪我をしちゃ駄目だよ。そろそろ行きなさい」



 アリアは急いで掃除に向かう。

 いつもより始めるのが遅くなったが、誰にも咎められないので、遅刻しても構わない。

 ただ、その日は気持ちが清々しかった。

 猫の命を救うことができて、嬉しかった。

 聖女の力が、きちんと備わっていることが立証できて誇らしかった。

 アリアは日課の教会の拭き掃除を終えると、母の墓地に来た。

 母の墓地に来るのも日課になっている。

 誰かが毎日、来ているのか、毎朝、摘み立ての花が1本置かれている。

 アリアは、その花の横に、草花を備える。



「お母様、アリアはお母様に会いたかったです」



 毎日、同じ願いをする。

 わたしを産んで死んだのなら、わたしが悪いのでしょうか?

 アリアは自問自答する。

 わたしが生まれなかったら、お母様は死ななかったかもしれないわ。わたしなんか生まれなきゃ良かったのよ……。

 母の墓地の前で眠っていると、また温かく優しい腕に抱かれて運ばれる。

 目を覚ますと、ベッドで目覚める。

 誰かがわたしを運んでくれている?

 食事をくれたりベッドに運んでくれたり、いったい誰だろう?

 アリアは不思議に思いながら、その優しい腕を忘れられない。

 もっと甘えたい。

 誰?だれ?会ってみたい。


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