真夜中の王妃
千石綾子
王妃は夜に徘徊する
「陛下、何とかしませんと……」
言葉は控えめだが、宰相の口調は有無を言わせぬものだった。
「分かっている。俺に任せろ」
国王は沈痛な面持ちで宰相の言葉を制した。
真夜中に王妃が彷徨い歩く、という噂は既に城下にまで広まっていた。美しかった金の髪を乱して、寝間着に裸足という姿は尋常ではない。
そしてそれに出会ってしまった者は、近くの高い建物から転落死するという噂も飛び交っていた。
「ずっと王妃のところに行かれていなかったではありませんか。きっとお寂しいのですよ」
痛いところを突かれて、国王は黙り込んだ。そしてしばらく考え込んだ後にぼそりとつぶやいた。
「だから任せろと言ってるんだ。今日、離宮に行ってくる。一人で行くから近衛兵は付けるなよ」
驚いたのは宰相だ。相手は正気ではないし、国王を逆恨みしている可能性が高いのだ。陛下には王妃以外に愛する者がいる、という妄想が王妃を狂わせていたのだった。
「いけません。せめて私を連れて行って下さい」
「だめだ。正気に戻った時に俺以外の人間がいたら、王妃が傷つくだろう」
「正気にもどるかどうかも、もはや怪しいではありませんか!」
言ってから、しまった、と宰相は後悔する。このことで一番心を痛めているのは陛下その人ではないか。
「俺にいい考えがあるんだ」
聞こえなかったかのようなそぶりで国王は席を立った。今日の真夜中に向けて準備をしなくてはならない。赤毛の宰相は遠巻きにそれを眺めていたが、諦めて執務室を出ていった。
正装に着替えた国王は艶やかな長い黒髪をなびかせ、馬に乗って単身離宮へと向かった。真夜中の白亜の宮殿は月明かりに照らされて、ぞっとするほどに美しい。荒野に囲まれている国だが、何故か水資源には恵まれており、離宮の庭は緑で埋め尽くされていた。
この庭園は離宮が出来る前からここにあったものだ。王妃と出会ったのもこの庭。ここでパーティが催され、一緒に踊ったのが彼女との馴れ初めだった。
物陰で、何かが動いた。
「マチェーラ!」
国王が王妃の名を呼んだ。それを待っていたかのように王妃の姿はピンクの薔薇のアーチの陰から現れた。
「陛下。やっと来てくれたのですね」
微笑む王妃の目はうつろで、顔には狂気が貼りついていた。国王はこの表情を見たことがある。
生前彼女が心を病んでしまってから転落死するまでは、まさにこのような状態だった。国王の胸が切り裂かれる程に痛んだ。
「マチェーラ、寂しい想いをさせて済まない。もう、静かに眠るといい」
「寂しい? そんなことはありませんわ。こうしてあなたは来てくれたもの。これからは昔みたいに一緒に過ごしましょう」
にい、と笑う。やはり彼女は自分の死を理解していないのだ。だから夜な夜な彷徨っては寂しさを埋めるために出会った人を道連れにして、何度も何度も転落死を試みるのだ。
王妃はすっと右手を差し出した。
「踊りましょう、陛下」
その言葉に、国王は宰相に言われた事を思い出した。
「死人と踊ってはいけません。一緒に連れていかれてしまいます。絶対に、手を取ってはいけませんよ」
国王は妻の手をじっと見詰めた。躊躇はなかった。そっとその白い手を取る。王妃は嬉しそうに微笑んで、くるくると踊りだした。ステップは軽く、そのまま離宮の階段を上って最上階のバルコニーまでやってきた。
「陛下、私の陛下」
バルコニーの端までやってきてそう微笑んでいた彼女の顔が、ある一点を見た瞬間に強張った。
「──どうして……」
彼女の目は、離宮に隣接した建物に釘付けになっていた。その目から涙があふれ出てくる。涙に洗い流されたかのように、その目から狂気は消え去っていた。
「どうしてここに私の廟があるのですか……。もしかして私は、もう──」
「──マチェーラ、お前はもう旅立つべきなんだ。寂しいなら俺も連れていけ」
国王は妻の手を強く握りしめた。
王妃は己の霊廟と国王の手を何度も見返してから顔を横に振ると、王に向かって笑顔を作った。
「その手を離して。そして、私から自由になって……」
彼女は陛下の手を振りほどくと、バルコニーの柵から身を投げた。4階建ての離宮の最上階から落ちた王妃の姿は、途中で光の粒となって消えた。
以来、真夜中に徘徊する王妃の姿を見たものはいなかったという。
了
(お題:真夜中)
真夜中の王妃 千石綾子 @sengoku1111
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