第25話

「……疲れた……」


 ヨゾラに押しつけられた英語圏の観光客からの電話がようやく終わった。向こうの質問を翻訳し、ヨゾラの返答をさらに翻訳する。


 多分正確に伝わってはいると思いたい。正直言って、模試より疲れた。


「いやー、ありがとう! 実は適当に返事してたら海外の口コミサイトに『ちょこっと英語が通じる』って書かれちゃってるみたいでさー、あたし全然わかんないからいつもヤバいなーって思いながら対応してたんだよね。助かる!」


 ヨゾラはなんで初日から気が付かなかったんだろう! とはしゃいでいる。その様子を見ると役に立って嬉しいと素直に思えるのだから現金なものだ。


「まあ、勉強しておいてよかったよ」


 後で母さんにも『あの英会話教室、役に立ったよ』と教えてあげようと思う。


「それでさ。実は、メールがあと二通あるんだよね! あたしご飯作るから、後はよろしく」

「えっ?」


「今日はお父さんいないけど、ご馳走つくるからさー!」


 ヨゾラはそれだけ言うと事務所を出て行った。金庫には鍵がかかっているが、不用心にもほどがあるのではないか。


 悪い気はしないけれど、これが俗に言う沖縄のゆるさか、としみじみ思う。


「……よし」


 考えていても仕方がない。僕は『仕事』に取りかかることにした。


 渡嘉敷島の公式サイトでは複数の言語が対応しているのに、どうしてこの人達は公式サイトを見ずにメールをしてくるのだろう──そんな文句が心に湧き上がってくるが、問い合わせに応答しなければならない。ホームページから返答に引用できそうな部分をコピーしていると、再び電話が鳴った。


 この島では誰も彼もがのんびりしている様に見えるが、実はそうでもないらしい。


「でんわー---、でてー--っ!」


 食堂からヨゾラの鋭い声が飛ぶ。僕はただの宿泊客なのだが、ヨゾラに出ろと言われたら出るしかない。


 彼女の先ほどの応答を真似て、極力明るい声で電話に出る。内容はレンタルバイクを借りているがエンストしてしまいました。と言う内容のヘルプコールだった。


 当然対応できる訳もなく、保留してヨゾラに指示を仰ごうとした瞬間に奇跡的なタイミングでおじさんが帰ってきたので電話をまわす。


「ありがとー! 超優秀ー!」

「ははは……」


 おじさんは観光客の救援のためまたすぐに出かけてしまい、僕一人が残される。再び作業にとりかかり、メールの下書きを終えて完了する。机の上にあったメモに確認事項を書き留めて、僕の仕事は完了だ。


 達成感に伸びをして、改めて壁に飾られたヨゾラの写真を眺める。左から右へびっしりと、ヨゾラの成長の記録を見ることができる。


 それをじっと眺めているうちに、妙にひっかかるところがあった。年代によって、写真の枚数にばらつきがあるのだ。幼少期は多く、幼児から小学生にかけては少なく、中高生は多い。


 一般的な感覚からすると、より小さい子供時代の方が写真が多そうなものだけれど──と首をひねる。


 しかし余計な事を考えても仕方がない。


 目を逸らした先には本棚があった。書類と、アルバムと、観光ガイドブック、小中学校の教科書が雑多に詰め込まれている。


 ただの本棚だ。しかし、一番下の段の最奥に少しだけ出っ張っている本があった。──よく目を凝らしてみると、それは本ではなく、古ぼけたアルバムのようだった。


 まるで、最近になって隠していたものを引っ張り出して、また慌ててしまい込んだみたいだ。


 妙に心がざわついた。そこまでして彼女の母親の顔を見たい訳ではなかったし、壁に飾られているものはともかく、僕を信頼してこの場を任せてくれているのに、わざわざ彼女の私生活を暴くのは悪趣味だ。


 そう、自分に言い聞かせる。


 しかし理性とは裏腹にどうしようもない衝動と好奇心が湧き上がってくる。彼女の気持ちを知るヒントが隠されているのではないかとも思うし、もしくはただ単に、彼女がどうやって暮らしていたのか知りたい。


 でも、彼女の事をもっと知れたなら。そうすれば、もっとうまくできるのかもしれない。


 しかしそれはやってはいけない事だ。


 そう思っているはずなのに、僕はなんとなく廊下の様子を窺ってしまう。耳をすませると水音が聞こえた。


 ──少し、中を見るだけなら。


 僕は好奇心に負けて注意深くアルバムを引っ張った。古ぼけた表紙だが中の写真は新しく、デジタルカメラからデータをプリントしたものだった。


 そこにも小さなヨゾラが写っている。道路にしゃがみこんで花火をしている。顔は見えないが隣に年下の男の子がいる。


 ページをめくる。ヨゾラそっくりの女性が小学校低学年ぐらいのヨゾラを抱き、食堂の椅子に腰掛けている。彼女がヨゾラの母である事は一目瞭然だった。


 しかし、その事実はどうでもよかった。女性はもう片方の手に、小さな男の子を抱いていた。


 ──この子は誰だ? 三人の顔はそっくりだ。特に目が。どう見ても血縁関係があるとしか思えない写真。


 ──親戚と言うこともあり得る。


 僕はさらにページをめくる。幼稚園の入学式。笑顔の家族が撮影されたもので、この日の主役なのだろう、例の少年が特撮ヒーローのバッグを持ち、はにかんでいる。


 笑顔の家族。弟と、姉と、そして両親、祖父母、そして曾祖母。どこからどう見ても幸せな家族そのものだ。


 ──ヨゾラの、弟?


 いなくなった母の話は聞いたけれども、弟の話なんてこれまでに一度も話題にのぼったことはない。夭折したとも、ただ単に進学して島にいないだけとも思えない。それなら、写真を隠しておく意味がわからない。


 震える手でアルバムを閉じようとした時、誰かが僕の手首をがっと掴んだ。


 ヨゾラだ。


「何を、しているの」


 彼女の声は、どこまでも冷たかった。彼女は怒っているのだ。今までにないほど、僕に失望し、軽蔑している。


 浜辺に打ち上げられた小魚みたいに、僕はぱくぱくと口を動かすことしか出来なかった。


 ヨゾラはすっと僕から手を離す。


「……ここに入って良いって言ったのはあたしだからね。それは悪かった。……でも、こういう事は、やっちゃ駄目だよ」


「あなたは、部外者だから」

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