第20話

「あたし、初日に、親に連絡しろって言ったよね!?」


 ヨゾラの怒号が食堂じゅうに響き渡る。


「はい、言いました」

「どうしてしなかったの!?」


 僕が親の事を口ごもったせいで、ヨゾラに言われていたにも関わらず、今日に至るまで連絡を入れていない事がバレてしまった。ヨゾラは僕が家出をした翌日ぐらいにはきちんと生存報告をしたとばかり思っていたらしい。


「気が重くて……」

「そういう問題じゃないでしょ!?」


 ヨゾラの怒りは怒髪天を突く勢いだ。


「もー、それが分かってたら、スーパーにも海にも連れて行かなかったよ!?」

「ごめんなさい」


「謝るのはあたしにじゃない。連絡しなさい、今すぐに。ここで」


 目の前で親に報告するまでは食事を出さないと言われ、僕はとうとう、家族に連絡を入れることにした。リュックの中に完全に放置されていたスマートフォンを取り出し、引き抜いたSIMカードを入れる。


 ……そこまでして、まだ電源を入れる事が出来ない。通信が開始された瞬間に、鬼の様な着信履歴が残っているとしか思えないからだ。


「今頃、警察に捜索願いが出されてるんじゃない?」


 ヨゾラの剣呑な声に僕は思わず姿勢を正す。


「書き置きは……残してきた」

「なんて? 沖縄に行くって? 違うよね。その場のノリでここまで来たんだもんね」

「いや……」


 あの時、何を書いたのだっけ。何せ決行前夜だったのだもの、夜中のテンションで随分しょうもないことを書いた気がしてくる。


「確か……数日出かけます。死にません。探さないでください。必ず戻ります……って書いたかな」

「ふーん。とりあえず、早くしなさいよ」


 ヨゾラは爪でスマートフォンをカツカツと叩く。彼女はイラついているのだ、僕に……。


「気が重い……」


「家族の事が面倒だって?」


それは、と言いかけると間髪入れずに怒りのフォークが僕に向かって突き立てられる。


「突然前触れもなしに、置いていかれる側の気持ちを、考えたことある?」


 僕はおそるおそるヨゾラを見上げた。彼女は怒ってもいるし、悲しんでもいる。彼女の母は、彼女をこの島に置いて出て行った。だから殊更に勝手に出て行ったあげく連絡も入れない僕が不誠実に見えるのだ。


「……ごめん。僕が馬鹿だった。クソガキだ。……今から、このスマホに電源を入れる。……見守っていてくれる?」


「……代わりに見てあげようか?」


 毎度の事ながら、自分でも本当にどうしようもないヤツだと思いながらも、僕はヨゾラに甘える事を止められなかった。あまりにも情けなくて、まるでに打ち上げられてどうにもならない小魚みたいだ。


「うわっ」


 僕の代わりに電源を入れ、神妙な面持ちで画面を凝視していたヨゾラが嫌な声を出した。続きを聞かなくても分かると、思わず顔が歪む。


「着信着信、着信……九十九件より上はカウントされないっぽいよ。知ってた? ま、そうなるよね……出ないって、分かってても」


 ヨゾラは寂しげに、ぽつりと呟いた。


「着信はともかく。まずはアプリから行こう」


 ヨゾラは通信アプリを起動し、僕にメッセージを送って来ている人達の名前を読み上げていく。


「ケンスケ。ケンスケはケンスケだから……あと回しでいいね。俊哉おじさん。……こっちは医者? それとも苺農家の方?」

「父方。ちなみにおじさんはやり手で、ネギとサトイモも育ててるし錦鯉も飼ってる」

「いいなー。庭に池があるんだ。栃木行きたいな」

「でも海なしの内陸県だよ? 海がある方が良いでしょ」

「バスとか電車ですぐ東京行けるもん、格が違うわ……って、栃木の話はいいとして。誰から行く? 母さん、父さん、ばあちゃん、じいちゃん、じいじとばあば……って何これ」

「じいじとばあばが母方。……昔から、そう呼んでる」

「可愛がられてんじゃん。父と母、どっちから連絡する?」


 僕は無難に父を選ぶ事にした。


「なんて送る?」

「えーと。まず確認なんだけど。何て書いてある?」


『ハルトへ。お母さんの事は俺がなんとかするから、お前はとにかく生きていろ。困ったらすぐ連絡しろ。俺でも、親戚でも、無理だったら交番でもその辺の人でもいい。とにかく危険な事、自分を傷つけるような事、反社会的な行動はするな。ただし追加の金は払わん。お前の事だから、どうせ電源を切って既読にならないようにしているだろう。頭が冷えて、これを見たらすぐに連絡しろ。俺がハゲたらお前のせいだからな』


 ヨゾラの読み上げが終わるのを待って、僕ははーっとため息をついた。冷静な人間が一人でも居ると言うのは得難い環境だ。


「事件現場にお父さんがいたら、きっと哀れなサバの味噌煮は生まれなかったね」


ヨゾラの言葉に頷く。ひとまずは安心だ。父さんが母さんの事をなんとかすると決めたのなら、それはどこまでも信頼できる言葉なのだった。


「さて、次はお母さん。『ハルト、今どこにいますか。ちゃんとご飯は食べられていますか……』」

「えっ、もう!?」

「当たり前でしょ? そんなぼやぼやしてる暇あると思ってるの!?」


 ヨゾラがかいつまんで、僕宛のメッセージを読み上げていく。大体書いてある事は同じなので、ちょっとずつ違う内容の部分をピックアップしてくれているようだ。


「大体はこんな所かな。で、誰から連絡する?」

「あー……」


 言い淀んだその時、アプリの着信コールが鳴り響き、僕は思わず叫んでしまった。


「父さんだって! 既読になったのを見たんだ。やるね!」


 ヨゾラは応答ボタンを押してから、テーブルの上にしゅっとスマートフォンを滑らせた。通話は既に開始されており、スピーカー状態だ。


「……もしもし。ハルトか?」


父さんの声は随分と落ち着いている。


「……うん」

『無事なのか? どこに居る?』

「……うん。今、沖縄にいる」


さすがに意表を突かれたらしく、息をのむ音がした。


『……沖縄? 一人でか?』

「そう。民宿へんなって所にお世話になっている……」


 僕がそれだけ告げると、父さんは一旦話を切り上げた。金は残っているのかと確認し、自分は会社を早退して、実家にいる母さんを迎えに行く。夕方に両親二人揃った状態にしておくから、必ず電話するようにと僕に指示した。


「分かった。十八時でいいかな」


『ああ。俊哉でいいから俺の実家にも連絡してくれ。そっちの方が母さんよりは気軽だろう?……それと、そのお世話になっている民宿の方も可能なら同席してほしい。……音の感じがスピーカーになっているから、そちらの方に説得されて連絡するつもりになったんだろう?』


 父さんの推理にヨゾラは万歳をした。『お手上げ』ポーズだ。


電話を切り、深くため息を吐く。僕がどこかへエスケープした事実は親戚中に広まっているらしい。


「さて。次はあたしの番」

「……何の?」


「うちのパパ、ハルト君がワケあり家出少年なのは分かってるけど、まだ大学生だと思ってるっぽいんだよねー」

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