本編

第1話 ルカの福音

 えっ。

 画面に向かって、あたしは言った。だって【まいちゃむ@DMtL 4/26参戦】は、るかくんの配信に来るようになってまだたった7回目なのに。


「まいちゃむさん、また来てくれて――ああ、くださってるんですね。ありがとうございます」


 あたしは彼が敬語で話すのが苦手だって言っていたことも、それをマネージャーに矯正されていることも、それから密かに決められた基準以上の人にだけタメ口をきくというルールを作っているのだって知ってるのに。


▶︎ まいちゃむ@DMtL 4/26参戦:課題やらなきゃなのに、通知みたら来ちゃう(˙༥˙)


▶︎ まいちゃむ@DMtL 4/26参戦:単位取れなかったら責任とってね笑


 連続でコメントをすると優しいるかくんはちゃんとレスポンスをくれる。るかくんは本当に優しい。だから彼のことを知らない人に紹介するのはとっても簡単だ。「優しくてかっこよくて爽やかで博識で……そんな完璧な人この世にいないだろ、漫画のキャラだろ……と思うような人が実在したみたいなもの」と説明すればいいのだ。


「『単位取れなかったら責任……』? あー、そうだね。おれが先生に謝っておくよ」


 こういうとき、長く一定の人とやりとりをして他のファンを飽きさせたり呆れされないように、優しいるかくんはそれ以上話が広がらないような返事をしてくれる。彼は本当に頭の回転が早い。

 あたしが彼なら「どんな先生?」とか、「何の単位?」と聞いて同じファンと何度もやりとりをしてしまうかもしれないし、もしくは反対に、新規のファンをないがしろにしてしまうかもしれない。

 あたしはファン歴もそれなりに長いので、そんなふうに新参の子と何度もやりとりをしていても微笑ましく思えるようになったけど、それを快く思わない子の気持ちもよくわかる。だって彼女はまだるかくんの配信に来て7回目なのだ。


▶︎ まいちゃむ@DMtL 4/26参戦:先生めちゃめちゃ怖いよ??


▶︎ emma ❥❥❥凪原ルカ✥推し:《いいよ》×10


▶︎ ゆーぴの(凪原ルカ✥信者):♡×1000


 グロウライブというアプリを使ったこの配信では文字やハートや星といったスタンプを画面上に投げることができる。いわゆる投げ銭というやつで、この場合、《いいよ》10個とハート1000個はどちらも1000GPグロウポイント(日本円でおよそ1200円くらい)の課金が必要になる。その一部は配信者の懐にも入るため、投げられたらるかくんのように優しい人は必ずお礼を言ってくれる。タイミングがかなり悪いときを除いて、コメント欄を遡ってまで律儀にお礼を言ってくれる。なので、反対にタイミングを見計らって投げ銭をすることで嫌な話の流れを変えたり、特定のファンとばかりやりとりするのを防ぐことができるというテクニックもあった。るかくんもそれで助かることもあると前に言っていた。


 案の定、小さな声でまいちゃむのコメントを読みかけた彼はすぐに言った。


「おおっ、emmaさんから《いいよ》いただきました。ふふ、何がいいんだろう? あっ、ゆーぴのさんもハートありがとう」


 たぶん、先生に謝っておくという彼に対して、許してあげるという意味での《いいよ》なのだろうが、ときどきるかくんはふと話を見失うことがある。勉強はできるし、記憶力もいいのだが、天然なところがあるのだ。


▶︎ あやち@冴木祥太アイコン配信中:《かわいい》×5


▶︎ 都々音らび@新人Vtuberは嫌?:今日の部屋着かわいいね ˃◡˂


▶︎ ゆーぴの(凪原ルカ✥信者):こちらこそありがとう(*ˊᵕˋ*)



 かわいい。あやちさんという時々見かけるファンの人が投げたスタンプの通りだ。かわいい。そんなのってずるい。何かしら人としての欠点を探そうと穿った目で見たって、黙っていればかっこいいし、笑うとかわいい。自分に素直で包み隠さず、時には言わない方がいいようなことまで言ってしまう彼が打算的にアイドルとしての自分を演じているとも思えず、これはきっと奇跡なのだろうとあたしは日々感じている。

 宝くじだって当たる可能性は奇跡に近いけれど、毎回当選している人は現実に存在しているのだ。だからこんなにも完璧な人間だって存在しないわけではない。ものすごい確率の奇跡と、今わたしは巡り合えているのだ。


 それを思うと、それだけでなんだか泣きそうになってくる。


「部屋着かわいい……あ、これ? 事務所の先輩からもらった……というか半ば強引に奪ったやつなんです。前に大阪の仕事で泊まらせてもらったときに借りたんですけど、めっちゃくちやあったかくて、これ。そのままもらったという」


▶︎ 小鳥遊ひらり@凪原ルカ✥担:もしかして天宮先輩?


▶︎ ゆーぴの(凪原ルカ✥信者):出た、大阪の天宮先輩! エナコン観たよ〜



 あたしにとってはそれだけで十分。

 彼が心から気持ちよさそうに袖口に頬をつけて目を細めるから、あたしはスクショボタンを連打する。それだけでもうあたしの胸はいっぱいだ。

 例えば知識量で昨日今日ファンになった子たちからマウントを取ることは容易い。だけど、そんなことをして、何になるというのだろう。この奇跡の出会いを、あたしは無駄になんてしたくない。

 そりゃあ、あたしだってできる限りのことはしたい。持っているだけのお金ならば、彼に預けたって変わらないじゃないかと心の底から思っている。だけど、あたしはそれほど勤勉でも博識でもないし、何か革新的なアイディアがあるわけでもない。フォロワーだって多くはないし、他に何もしてあげられない。だからせめて、新しいファンの子を増やしたり、彼の魅力に気がついてもらうその邪魔だけはしたくないと思うのだ。だから――。


「ん? 天宮先輩? やっぱりすごいね、みんな知ってるんだ。天宮遙樹さんっておれの大学の先輩で声優の……『クロードの遺産』とかって知ってるかな? ラノベ原作のアニメで……」


 るかくんはもともと、関西の大学に通っていたこともあって、大阪に本社のある芸能事務所に所属している。お笑い色の強いその事務所が初めて手掛けるアイドルグループとして、売り出されているのだ。

 そして、そんな大学時代の友人であり先輩の天宮遥樹はそのアニメで主人公の家の執事の役を演じて一躍有名になった人気声優だ――と言っても、あたしはるかくんの配信で存在を知ったのだけど。



「でね、その天宮先輩が所属してるFloyd Flowっていう声優さんたちの、なんていうのかな。アイドルみたいなグループのね、そのコンサートで『エナジー・オブ・ザ・ブルームストーム』、通常エナコンってのがあるんですよ。もうそれがおれ、めちゃくちゃかっこよくて――」


 天宮先輩のことも、るかくんのことも今ではちゃんとあたしは知ってる。その「エナコン」に出てくる低音ボイスの天宮先輩を真似て、るかくんがお風呂場で裸のまま、鏡に向かってポーズを決めて歌を歌っていたことも、それを見ていた飼い猫のりゃんが「ご主人(るかくん)が別の人になった」と思って足を引っ掻いてしまったことも、その翌日に運悪く海の家でのイベント公演があって困ったと大騒ぎしたことも。あたしは知ってる。


▶︎ ゆーぴの(凪原ルカ✥信者):心に咲く 花のように〜♪ だよね!


▶︎ emma ❥❥❥凪原ルカ✥推し:りゃんくん、引っ掻かないでね!


▶︎ めるん@LivStipsエルト推し:初見です!


「ちょっと待って。みんな早いよ! いや、嬉しいけどね? あ、ほら初見さんも見てくださってるんで。こんにちは、めるんさん。よかったらグロウライブ、各種SNSフォローお願いします。リブスト、おれも曲聴きます。かっこいいですよね」


▶︎ ゆーぴの(凪原ルカ✥信者):いいな〜。エナコンの話また聞きたい(笑)初見さんも知らないだろうし。


「……でね、あのですね、先にオチを言われてしまいましたが、エナコンの話ね、するってば、ゆーぴのさん」


 そういえば、機種変更をしてもう使わなくなったスマートフォンを充電して、あたしはるかくんの配信をいつも録画している。だからこの話ももう何百回も繰り返して聞いている。でも、今日も録画してしまうし、スクショは止めることができない。なんだったらスクショボタンの押しやすさでこの機種を選んだのだ。


「えっとね……そう。それでおれ、そのエナコンのときの天宮先輩の真似をですね、してたんですよ。お風呂場で、まぁ、一糸纏わぬ姿で。いや、ほんといつもじゃないんですよ? たまたまそのときは、久々にエナコンのDVD見て燃えちゃって。ほら、お風呂場ってどくとくのエコーかかるじゃないですか。そしたらね、うちの可愛い猫ちゃんが――」


 ちなみに、ご主人様を引っ掻いた不届きものの猫をファンの人たちはみんな「りゃんくん」と呼んでいるが、実はこの子はメス猫だ。SNSで動物病院の検診があったときにるかくんがそうつぶやいている。

 それなのになぜ未だに「りゃんくん」と呼ばれているかと言えば、「例え猫であろうと、るかくんの一番そばにいる子に必要以上に嫉妬してしまわないため」なのだと一部のファンがつぶやいていた。ちょっと怖いなって思う。

 あたしはせいぜい、そんなりゃんくんがご主人様を引っ掻いてしまった話を聞いて、「エナコン」のDVDを買って見た程度で、そんなふうに猫に嫉妬したりとかはしたことがない(他の人に合わせて「りゃんくん」と呼んではいるけれど)。



▶︎ まいちゃむ@DMtL 4/26参戦:え〜大丈夫? 痛くなかった?


▶︎ めるん@LivStipsエルト推し:リブスト、何の曲が好き?


▶︎ ゆーぴの(凪原ルカ✥信者):やっぱり何度聞いても面白い ˃◡˂ ♡ りゃんくん的に、るかくんには低音ボイスはまだ早いのかな?


▶︎ ゆーぴの(凪原ルカ✥信者):《ありがとう》×1



「まいちゃむさん、『痛くなかった?』、痛いですよ! でもそれよりもその次の日に海の家でイベントがあって、下は水着だったんでそれが困りました。めるんさん、『リブスト何の曲が好き』……あー、おれ、実はプレイ動画とかをよく見させてもらうだけで自分ではやったことないんですけど、Liv Stips……あれかなー、エルトくんじゃなくて、長髪でここに薄い紫でメッシュの入ってる……あ、バージルだ。バージルさんのソロ曲とかよく聴きますっておれ、やっぱり低音ボイス好きだね。あ、ゆーぴのさん、《ありがとう》、ありがとう! かっこいいんだけどなー、低音ボイス」


▶︎ めるん@LivStipsエルト推し:バージルさん? わたしも好き!


▶︎ 小鳥遊ひらり@凪原ルカ✥担:リブスト、私レベルカンストしてる笑


▶︎ ゆーぴの(凪原ルカ✥信者):可愛い系だもんね、るかくん♡


 るかくんの配信を見ていると、かっこいいなぁとかかわいいなぁと思うのは当たり前で、その点に関してはもはや中毒的な何かを感じてさえしまうけれど、それだけではないからいつまでもいつまでも追いかけ続けてしまうのだと思う。

 たくさんの彼のファンたちが流れを読まずにコメントをしても、ちゃんとそれを全部拾ったうえで、元の話に戻してくれる。もちろん、長年のファンの協力もあるが、今みたいにそれぞれのファンがばらばらに話をしていても、結局は低音ボイスの天宮先輩の話にうまくまとめあげてしまうというわけなのだ。


▶︎ りぃ@4.25秋葉原tiaraスタジオ:聴いてみたいな、るかくんの低音ボイス♪


▶︎ あやち@冴木祥太アイコン配信中:《がんばれ》×10


▶︎ さーにゃ(凪原ルカ✥信者):耳で恋するタイプだね


▶︎ ゆーぴの(凪原ルカ✥信者):るかくん、そろそろ30分経ったよ(*ˊᵕˋ*)



「小鳥遊さん、カンストすごっ。バージルさん、いいですよね! てかおれ、本当にCV坂井諒太さんのキャラ大概好きですけど。ふふ、さーにゃさん、ほんとうそうかもしれないです。『耳で恋するタイプ』。りぃさん、『聴いてみたいな』? ……頑張ります! でも基本無い物ねだりでもあるからなぁ。声高いんですよね、ボイトレの先生に相談しよう。あー、あやちさんまたまたギフティングありがとうございます! 頑張りますよ。音域広げてきますね。へへ、じゃあ、そろそろ終わりにしようかな? 30分あっという間だったなぁ。えー、754人の皆様、ご視聴ありがとうございました。お相手はAXxC所属アイドルHoney Wand's Magicの凪原ルカでした!」


▶︎ まいちゃむ@DMtL 4/26参戦:リブスト面白いよ〜


▶︎ ゆーぴの(凪原ルカ✥信者):おつかれさま! また明日、収録頑張ってきてね〜


▶︎ emma ❥❥❥凪原ルカ✥推し:おやすみ〜


▶︎ emma ❥❥❥凪原ルカ✥推し:《Loveくま》×2


「あ、リブストやってみようか――」


 と、配信はそこで終わってしまった。このグロウライブの配信終了は秒単位での設定ができないので最後が中途半端になってしまうことが多々あるのだ。

 ちなみに、emmaさんのように、ファンの中にはそんな隙を狙ってあえて投げ銭をすることがある。お礼なんてわざわざいらない。ただ推しに課金できればそれでいいという思いなのだ。《Loveくま》はハートのクッションを抱えたくまのスタンプで、一つだけで1000GPする。もちろん、それをもらったるかくんは次回の配信までちゃんとそれを忘れないので結果お礼を言われてしまうのだけど。


 そんなファンとは違い、まだ慣れていない人だと配信の終わるぎりぎりまで話しかけてしまい、結果中途半端なところで配信が途切れて相手を困らせてしまうことがある。もちろん、それがるかくんの負担になるとまではいかないが、帰ると言っている相手を引き止めて困らせるみたいであたしは好きではない。


 無視されたっていい。

 お礼なんていらない。

 ただ推しが、幸せな一日だったなと思いながら寝ることができれば、あたしのちっぽけな生命にも意義が生まれる。それで満足ができない人は本当のファンとは呼べないと、あたしはそう思っている。



 ちなみに、あたしのグロウネームは「ゆーぴの」だ。

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