第13話
四人でショッピングモール内の映画館に入って、十代向けのいかにも青臭い恋愛映画を見た。その酷い内容については特に言及しないが、すぐ隣に座っている澪田のことを気にしてか、真姫は映画の展開に動きがあるたびに小声でキャーキャー言いながら俺の腕に抱き着いてきた。鬱陶しい、という感情だけで脳内を埋め尽くせばよかったのだが、真姫のその決して控えめではない胸が俺の腕に接触したりして、俺の中で余計な感情が台風を起こすように渦を巻いて、映画の内容を観ている場合ではなかった。
映画が終わった後はショッピングモール内にあるレストランに入った。ソファ側の席に澪田とアスカさんが座って、その反対側に俺と真姫が並んで座る。
「ごめんね、こんな安っぽいファミレスで」
アスカさんが少し声を潜めて言った。
「いえいえ、奢ってくれるならどこでもいいですよ~」
と真姫がすかさずフォローする。澪田はニコニコ笑っている。俺もなんとなく合わせて苦笑いをする。
俺だけがあまりこの空気感に馴染めていないような気がする。
俺たちは四人で映画の感想会をしつつ、昼食を食べた。意外と真姫もアスカさんもあの映画を真剣に観賞していたようで、俺だけがいまいち話についていけなかった。
澪田は四人での会話を楽しんでいた。自然に、それでいて上品に笑っていた。
俺と出会った頃の澪田は、いつもどこか不自然な笑い方をしていた。毎回、何かが決壊して溢れ出すような笑い方をしていた。澪田は限界まで笑うのを我慢する癖があった。
しかし今の澪田は、笑うべきところで自然に笑っていた。
「じゃあ、そろそろ出ようか」
話がひと段落したところでアスカさんがそう言って、俺たちはファミレスを出た。会計は、唯一の大学生ということで全額アスカさんが払ってくれることになっている。しかしアスカさんは本当は大学なんか通っていない。
「じゃあ、そうだな。次はボウリングでもしようか」
「えっ」
「ん、どうかしたかい? 成宮くん」
「あ、い、いえ。いいですよね、ボウリング」
アスカさんがあまりに自然にボウリングという単語を発したので、俺は思わず驚いて声が出てしまった。こんなことは段取りになかったはずだ。
ちらりと真姫のほうを見やると、真姫は笑顔で平然としていた。先を行くアスカさんと澪田についていこうと歩き出し、俺も慌てて真姫の隣に並ぶ。
「な、なぁ、これからカラオケに行くんじゃなかったのか?」
聞かされていた段取りでは、昼食のあと、カラオケの予め指定されている個室に、偶然その部屋が空いていたと装って入店し、その室内で澪田を殺害する、という段取りになっていたはずだ。
「ボウリングに行った後に、カラオケに行くんじゃないかな」
「ボウリング行く必要ないだろ」
「知らないよ。アスカさんに何か考えがあるんじゃない?」
考えがあるのだとしたら事前に共有しておいてほしいんだが……。
前方の澪田とアスカさんは楽しそうにいちゃいちゃと会話をしていたが、その後ろの俺と真姫は終始無言のままで、ゲームセンターに併設されているボウリング場にやってきた。
「今日は朝まで投げようか」
「……マジすか」
「あっはは、冗談だよ。未成年の女の子を一晩中拘束するわけにはいかないだろう」
最初にアスカさんはそう言ったが、それから俺たちは三時間もボウリングの球を投げ続けた。三時間が経つ頃には、俺の右腕は壊死したようにぶらりと垂れ下がっていた。
俺はボウリングなんて今まで数えるほどしか経験がない。つまり初心者だった。しかし他の三人はかなり経験豊富だったようで、三人がスコア表で抜きつ抜かれつの接戦を繰り広げる中、俺だけが大差でぼろ負けしていた。一応俺は亜魔人だから、真姫やアスカさんよりも基礎的な身体能力は上回っているはずなのだけれど。
「……ちょっと、トイレ」
アスカさんが何十回目になるかわからないストライクを決めたところで、俺は立ち上がった。俺の隣に座ってストローでジュースを飲んでいた真姫が「ん」と返事をして、軽く俺の腰を小突いた。真姫が小突いた俺の腰には暗器としてナイフが装備されている。澪田は馬鹿みたいな黄色い声をあげてアスカさんを褒めていた。
騒々しいボウリング場のレーンを眺めながら通路を進み、端にあるトイレに入る。用を足すことはなく、俺は水道水で顔を洗った。五回ほど水を顔に浴びせかけて、ぽたぽたと顎から水を滴らせながら、鏡に映る自分の顔を見る。覇気のないやつれた男の顔があった。十七歳らしい若々しさは感じられなかった。もう一度下を向いて、大きく息を吐く。
服の上から、腰あたりのナイフの位置を確認した。
きっともう少ししたら、ここに澪田がやってくる。
そうしたら俺は、このナイフで、澪田を、
「ハンカチ持ってないの?」
と思ったら既に俺の隣に澪田が立っていた。顔を上げて鏡を見ると、そこには覇気のない男に笑顔でハンカチを差し出している品の良い少女の横顔が映っていた。
男子トイレの中は不気味なほど静かだった。外の喧騒が耳に入ってこない。
「よかったら貸してあげるよ。これで顔拭いて?」
「……あぁ、ありがと」
俺はその白いハンカチを受け取って、自分の顔を豪快にごしごし拭いた。
「なんで澪田が男子トイレに入って来てるんだ?」
つい最近にも似たような状況があったことを思い出す。
「そんなことはどうでもいいじゃない」
「……どうでもよくないだろ」
「わたしの正体が実は男の娘でしたー、なんて展開はないんだから、どうでもいいでしょ?」
澪田は俺の真後ろに立って、俺の両肩に手を置いた。そして、その小さな顎を俺の左肩の上に置く。
澪田の胸と俺の背中が軽く触れあう。澪田の体温がほのかに伝わる。
澪田の香水の匂いをより強く感じる。
「成宮くんはもう、人間じゃないんだよね」
俺は表情を動かさないように努める。
「知っての通り、わたしももう人間じゃないんだ」
澪田は俺の肩の上で、つまり耳元で、囁くように優しい声色で呟く。
「ねぇ、成宮くん、知ってる?」
「……何を?」
「成宮くんにはもう、生きる道はひとつしか残ってないんだってこと」
「…………」
「成宮くんには選択の余地が一切ない。これから何か夢や目標を見つけたとしても、それを叶えることは絶対にできない。高校に行っても大学に行っても、そんな勉強にはほとんど意味はない。成宮くんの場合、そんな勉強は何の糧にもならないことが確定してるからね。成宮くんはこれから一生、死ぬまであの組織で仕事をしなければならないの。それ以外に生きる道は、もうないんだよ」
「知ってるよ、そんなことは」
「知らないよ。知らないというか、わかってない。成宮くんは、未来がたった一本の道だけに狭まってしまっていることの意味を理解できてないよ」
澪田はあくまでも落ち着いた声音で、続ける。
「成宮くんには、もう生きている意味なんてないんだよ。あんな組織でずっと魔人の魂を捕まえ続ける人生に、意味なんかないよ。成宮くんの人生には就職も結婚も出産も老後も、充実した人生の一ページであるはずの思い出が、尽く何もないって既に決まっているんだからさ。そんな人生に、何の意味があるの?」
「たとえ一本の道しかなくても、生きていくしかないだろ。俺はこんなところで死ぬわけにはいかない」
「成宮くんは、なんだかんだ自分はなんとかなると思ってない? いつか魔人がいなくなって、自分も人間に戻れて、また普通の生活を送ることができると思ってるんじゃないかな? でも、魔人がいなくなることはないし、成宮くんが人間に戻ることも絶対にないよ。死んでしまった人間が生き返らないように、起きてしまったことは覆りようがないの。それは、ちゃんとわかってる?」
「…………」
「ねぇ、わたしと一緒に逃げちゃおっか」
鼓膜を艶っぽく撫でるような、蠱惑的な囁きだった。
「逃げる……?」
「あんな組織から、わたしと一緒に逃げちゃおうよ。わたしと一緒に、新しい人生を切り拓こうよ」
澪田は後ろから、俺の手を両手で包み込むようにした。
祈るように俺の手を掴んで、澪田は少し潤んだ瞳で俺を見上げる。
「……俺は、……俺、は」
俺は、生きなければならない。
俺は澪田に手を引っ張られるままに、トイレを飛び出した。
トイレの中には、俺のポケットからずり落ちたサングラスだけが残った。
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