第11話
四方が真っ白の、立方体のような室内だった。
俺は、その室内の中央にある学校の机に突っ伏して眠っていたらしい。
顔を上げると、目の前の教壇の上に黒猫が座っていた。どこか超然とした佇まいで、俺を見下ろしていた。
「……死んだんじゃなかったのか」
「ほとんど死んだようなものだ」
俺と黒猫の声以外に音はなかった。目の前にいるはずの黒猫の声がなぜか頭の内側から聞こえてくるような感覚がした。
「ここはどこなんだ、教室か?」
俺は首を回して室内を見回す。窓はなく、不気味なほど滑らかな白色が壁床天井を覆っていた。
「ここがどこかなんてどうでもいい。いいか、俺の話をよく聞けよ」
「え、あ、ああ」
黒猫が姿勢を変えずに言った。なんだか最近人の話を聞いてばかりだ。
いや、こいつは人じゃないのか。
人でも黒猫でもなく、魔人。真姫の話ではそういうことだったはずだ。
「なぜか俺の魂はお前の内側に残ってしまったみたいなんだ」
「え、なんだ、やっぱりお前まだ死んでなかったのか。聞いていた話と違うぞ」
「あんな女の話は絶対に信じるな」
俺が真姫から黒猫の話を聞いたことを知っているのか。
「……俺の内側って、どういうことだよ」
「こうして、お前の精神の内側で、お前と会話することはできる。だがそれ以外は何もできない。この身体の主は変わらずお前だから、お前の身体を自由に操ったり、何かを発話したりすることもできない」
「つまり、いないものだと思っていいのか」
「お前以外にとってはいないも同然だが、お前にとっては存在している」
「……もっとわかりやすく言ってくれ」
「俺はお前の精神の内側でだけ、活動できるんだ。お前の記憶やら認知も共有できる。俺の意識だけがお前の精神の内側でふわふわ浮いている状態なんだ」
「……い、いまいちよくわかんないんだけど」
「わからんならわからんままでいい。ここから重要だ、いいか」
呆れたような口調で言われてしまった。昨日からずっと信じられないような話を聞かされ続けて、思考が徐々に混濁してきているのだ。
黒猫は、精悍とした様子で言う。
「俺には血液の魔人を殺すという使命がある」
「……お前一瞬で殺されてたじゃん」
「一回黙っとけ。いいか、とにかく俺は、なんとしても血液の魔人をこの世から消し去らなければならない」
何の戦闘能力も持たない黒猫にそんな使命を課した奴は何を考えているのだろう。馬鹿か。
「俺は昔、黒猫の身体になる前は、無限の魔人だったんだ」
「む、無限?」
「無限の魔人。それだけは覚えている」
無限とはどういうことだ。無限の能力を持つ、と言われても全くイメージできない。
「無限の魔人だった俺は、実体を持っていた。黒猫ではない、人型の実体を持っていたんだ。昔は、無限の魔人と血液の魔人だけが実体を持つ魔人だった。しかし気づいたときには、俺は黒猫の身体になっていた。その間のことは何も覚えていない。おそらく俺は誰かに記憶を奪われたんだ」
「……お前なぁ、そんな話信じられるわけないだろ」
あまりにも嘘くさすぎる。ただの無力な黒猫が虚勢を張っているようにしか見えない。
「もう俺にはお前しか頼れないんだ。そんなお前に嘘を吐く意味はないだろ」
黒猫は冷静に言う。
「血液の魔人は多くの命を殺している。人間だけでなく、魔人も、多くの命を奪っているんだ。それも、自分自身の欲望を満たすためだけにな」
「それが、何だよ。俺たちが殲滅対象としている魔人だって、おおかたそんなもんだろ」
「あいつだけはレベルが違う。血液の魔人を他の魔人と同列に考えてはいけない。あいつを放っておけば、人間や魔人の命がこの世から根こそぎ奪われるかもしれない」
「だから、血液の魔人を殺すのか?」
「そうだ。しかし今の俺には血液の魔人に接触することすらできない。だから、俺の使命はお前に託すしかないんだ」
「俺が真姫の妹を殺すのか?」
血液の魔人は、イコールで真姫の妹だ。真姫が魔人と戦う理由だ。真姫は、妹を殺さずに血液の魔物を排除しようとしている。
「あれは真姫の妹じゃない。真姫の妹なんか存在していない。あれはただの、血液の魔人だ」
「……本当にそうなのか」
「あの白川真姫とかいう女を信用するのはもうやめろ」
黒猫はきっぱりと言った。冗談を含むようなニュアンスは一切なかった。
「それは、俺が真姫のことを……」
「お前の好意なんか知ったこっちゃないよ。あの女は、女として危険なだけじゃない。仲間としても危険だ。絶対に信用するな。いつか痛い目を見るぞ」
「……なんでだよ。どうしてお前はそこまで真姫が嫌いなんだ」
「嫌いなんじゃない。お前に警告しているんだ」
「…………お前に何がわかるんだよ」
黒猫は教壇から、俺の机の上に飛び乗った。
その、エメラルド色の大きな瞳が俺をとらえていた。
「あの女は、人間じゃないんだ」
「え?」
その瞬間に、視界が白く煌めいた。
光が俺を包んだ。
そして俺は、アパート内の布団の上で、目を覚ました。
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