辻のあやかし(一)

 いつ頃からか、その辻には辻斬りが出るらしいとけったいな噂が立っていた。

 しかもただの辻斬りではない。辻斬りのなりをした妖だと言うのだから恐ろしい。噂好きな人々の口に妖の話が絶えないのは常のことだし、昨今流行っている怪談の数々も今に始まった話でもない。……ないのだが、よりにもよって一人で出掛けている時にそれを思い出してしまうなんて。お遣いからの帰り道、たまは思わず口角を下げた。

 堪ったもんじゃないとたまは思う。だってくだんのその辻は、たまが働く団子屋の目と鼻の先にあるのだ。何処か遠いお城なり土地でのお話ならともかく、身近な場所なのだから、ついついあれやこれやと考えてしまって殊更怖いったらないのである。ひゅうどろろ、そんな風が吹くだけでたまは毎度毎度震え上がってしまうのも、仕方ないのだ。


 とは言えその辻斬りについて法螺話ほらばなしだという人も少なくはなかった。

 なにせ、誰かが斬るのを遠目に見た人はいる、誰かが斬られるのを遠目に見た人もいる。それなのに斬られたはずの死体を見た人も、斬ったその辻斬りの姿をハッキリと見た人もどこにも居ないのだ。辻に差し掛かるところで辻斬りを見たような気がして、おっかなびっくりそこへ行ってみれば死人も咎人もいなく、もぬけの殻だったとか。

 それが一層話を不気味に仕立てていた。

 辻斬りはやはり妖で、斬った人を妖力で消してしまったのだろうか。それとも異様に片付けが上手い生身の辻斬りなのだろうか。はたまた酔っ払った人の見た幻だったのか。あんなのはただの作り話さ、怖がることはないさと読売よみうりの男も言っていた。事実人が斬られていたとして、その惨劇の現場に血の一滴もないなんてことはあり得ないのだからと。

 しかし、そんなことはたまにはどうだって良い。


 ──嘘でも本当でも、怖いモンは怖いのよ。


 菓子箱を持って、たまは足早に通りを歩いていた。お得意様に菓子を届けた帰りである。

 頼まれていた菓子を届けて終わり……のはずが、お茶をいただくついでに当の届けた菓子なんかもいただいて、ついには昼餉ひるげまで馳走になってしまったのだ。当然の結果として、たまの帰りはこんなにも遅くなってしまったのである。

 そうやって遅くなるのも、なにもこれが初めてのことではない。たまは実際よりも幼く見られがちで、しょっちゅう彼方あちら此方こちらでなんやかんやご馳走になるもんだから、行き先を伝えた以上おかみさんもだんなさんもこうなることは想定済み。きっとそこまでの心配はしていないだろう。それに今日はお店の方もそう忙しくはないだろうし、その点については何ら問題はない。

 問題は、帰りが夕刻を過ぎてしまったということだ。

 まだ遅くない時刻だというのに、通りに他の人影は見当たらない。妖の噂が出る前から──それこそたまの生まれる前から、ここはらしい。

「あの辺りは人も居ないし、何かあっては危ないからこの時刻にはあまり出歩くなよ」

小さな頃から、たまもよくそう言われてきた。数月おきに人攫ひとさらいの噂なんかも出てくるくらいなのだ。

 なにも一日中こう閑散としているわけではない。

 朝昼は辻売りに市子に町人なんぞで賑わうし、夜も屋台や蕎麦屋が出たり飲み屋が開いたりで大いに……とはいかないまでも、多少なりは賑わっている。なのになぜかこの時間帯だけは、ぽっかりと空洞が空いたみたいに人の気配がまるきりしなくなるのである。


 暮れ六ツの逢魔時おうまがとき


 仄暗ほのぐらくなりかけた空の下、件の辻に差し掛かる手前──そこでたまは足を止めた。

「あれっ」

 この人通りの少ない道、たまよりちょっと先に人影があるのである。見れば二つの影が忙しなく動いている。追いかけているのか、喧嘩でもしているのか。背格好を見るにどちらも男だろう。

 たまは菓子箱を胸にきつく抱いて一歩退がっていた。まさか件の妖と被害者か。もしくはただの連れあって歩く町人なのか。安心していいのか、いけないのか。

 恐る恐る見ようと目を凝らして──その前に答えは出た。


 迅、と風が鳴いたのである。


 遅れて片方の男が刀を抜いたのだとわかった。抜いた刀で、もう片方の男の首を横薙よこなぎに一閃した音だった。ぶしゅりと血飛沫ちしぶきの如き黒煙が男から上がるのもわかった。それら全てがほとんど落ちかけた夕陽によって影絵になって、男の首が飛ぶのまでもがよく見えた。どさりと男の体が地面に落ちた。遅れて頭が落ちた。

 たまは震えながらそれを一部始終見ていた。気が動転しているから視界がブレているのか、元々そうなのかどうにも分からなくなる。

 たまはもう一歩退がった。

 震えた腕から空いた菓子箱がこぼれ落ちる。がらんがらんといやに大きな音を立てる。あの辻にも届いたのだろうか、抜き身の刀を握った男の目がこちらに向いたような気がした。揺れる影に叫ぼうにも、息を大きく呑み込んでしまって声も出ない。

「ひ、ぃ……っ」

 こちらを向いた男の口が開いたような気がして、何かを言いかけて──。

 それを見届ける前に、たまは意識を手放すことを選んだ。


 たまは、おっかないことは嫌いなのだ。

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