夜珠あやかし手帖 ろくろくび

井田いづ

 暗い夜だった。

 じきに春だというのに、びゅうびゅうと冷たい風が吹き付けていた。その中を女はひどく軽い身形みなりで──それも裸足で歩いていた。

 夜深く、通りにはその女一人である。

 一歩、また一歩、踏み出すたびに小石が食い込み、血が滲むが気にもとめていない。ただただ虚な目で、すっかり灯りの落ちた夜の町を何処へともなくまっすぐに進んでいく。


 ああ悲しい。

 なのに愛しい。

 ほんとうに恨めしや。


 きっと迎えに来ると言った人を、随分と首を長くして待ち続けた。馬鹿な女だと謗られても、捨てられたのだと言われても、それでも待ち続けた。その間、春が何篇来たことか。夏が、秋が、冬が何遍来たことか。

 それでも来ない。

 どれだけ待ち続けても、あの男はついぞ女の元へは来なかった。細々と来ていた便りすら、途絶えて久しい。それでもやはり、女は約束ひとつを信じて待ち続けていたのだ。

 ──本当に、ひどい人。

 あの盗人は人の心を盗んで、人の宝を盗んで、一体どこへ消えてしまったのだろう。何処かでのうのうと生きてるのだろうか。一緒に消えてしまったあの子は一体どうなったのだろう。きっと女の顔も──存在すら知らないのだろうか。

 何もわからないのだ。女は何一つ知らなかった。

──全てを知りたい。苦しいくらいに憎らしい。

──けれど何も知りたくない。怖くて、恐ろしいのだ。


 ああ、こうも無力に裏切られるのなら、沢山の季節を無駄にするくらいなら、せめてあの男に一泡吹かしてやれたらよかったのに。一言己が悪かったと、迎えに行けなくてすまなかったと言わせてやれれば、それだけで。

 今日も町の何処にも男はいなかった。家にも勿論来なかった。便りのひとつ、来なかった。

 それからぷつん、と女の中で何かが切れた。


 女は足を止める。目の前に影を落とすのは、背の高い大きな大きな松の木。

「ああ、恨めしや──────」

 吹いた風に首を長くした女の影がぶらりと揺れる。

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