第15話
昼休みになった。
先輩は研究施設に行っているので、今日は吸血に呼び出されることもない。いつも昼食は学食で取るという秋に連れ立ち、生徒で賑わう食堂に向かう。
僕が日替わり定食、もとい唐揚げ定食を頼んで席に着くと、秋はきつね色の衣が美味しそうなカツ丼をテーブルに置いた。出汁の効いた香りが漂ってくる。
二人で合掌して箸を持ち、思い思いに空っぽの胃の中へ燃料を流し込んでいると、ふと秋が顔を上げた。
「そういえば、いつもどこで飯食ってんだ?」
「ああ……えっと、外?」
「外」
「少なくとも教室じゃないな」
保健室だし。
「……そうか。まあ、ぼっちが寂しかったらいつでも言えよ」
「なんだよ、その憐れみ百二十パーセントみたいな表情は」
「いや、な? 俺だって、気持ちは分かるけどさ」
「絶対誤解してるよな」
「まさか」
全力で目が泳いでいるのは気のせいか? ……いや、勝手に解釈してくれるのはこっちとしても助かるんだけど。
秋は頬袋がパンパンになる程詰め込んだカツを飲み下し、さらりと言う。
「……ま、何かあれば言えよ。似たもの同士、話くらいなら聞けるからな」
「………ああ」
そっと目を逸らす。
何かあっても言えないどころか、出会った一年前から腹を割って話せていない。僕が先輩との関係を隠すためについた嘘を秋が知れば、どう思うだろうか。やはり怒るだろうか。
深々とため息を吐きそうになった時、背後から穏やかな女性の声が聞こえた。
「あれ? もしかして、天谷瑞希くん?」
振り返って見上げると、食堂のトレーの裏側の上に、制服を弾けんばかりに押し上げる二つの丸いもの――ではなく、見覚えのある女子生徒の顔が見える。
「あなたは……」
僕が反応した事にほったしたのか、その人――昨日の社会講義室にて、先輩に「遥」と呼ばれた茶髪の女性は、たおやかに微笑んだ。
「こんにちは。初めまして……かな?
優しそうな人だ。首の横で緩く一つに纏められた髪が、ふわふわと雲のように流れている。口元は柔らかな微笑をたたえ、大きな瞳は少し垂れていた。
僕は体ごと後ろを向き、彼女と目を合わせる。
「どうも……えっと、今日はどのような要件で?」
先輩のことを口に出されれば、秋に勘づかれる恐れがある。警戒した僕は、雛数さんが少しでも危うい言葉を発すればすぐ脱出できるよう、椅子に手を添えて構えた。
しかし、彼女にそんな気はないらしい。申し訳なさそうに手のひらを口元に当て、
「ああ、ごめんね。お友達と食べていたのに邪魔しちゃって。いつもあの子が話していたから、つい声をかけてみたくなったの」
「そ、そうですか」
「うん。それじゃあ、またどこかで会った時にでも話しましょうね」
「はあ……」
雛数さんはふわりと微笑むと、両手に持ったトレーの重みを感じさせずにくるりと振り返った。品よく伸びた背筋からは育ちの良さが伺える。
一体何だったんだ、と息を吐きながら食事に戻ろうとした僕に、秋が鼻息荒く噛みついてきた。
「おまっ――どういうことだよ! なんであの雛数先輩と親しげに話してんだ!」
「別に親しくはない。というか、知り合いの知り合いくらいの距離感だよ」
そんなに有名なのか? あの人。
「いやいやいや。あの聖母が男――しかも下級生と言葉を交わすとか、この学校じゃ大事件なんだぞ!?」
「下級生と一言も喋らない上級生なんているのか?」
「月神夜と並ぶ二大女神になんて、畏れ多くて話しかけられねぇって」
……聖母だとか女神だとか肩書きが多いな。
「つーかお前、昨日から月神夜に雛数遥と……人生の運使い果たしてるんじゃねぇの?」
「不吉なこと言うな。大凶しか出なくなったら怖いだろ」
「周りの奴らはどうやらそう思ってるみたいだぜ?」
「周り……?」
顔を上げて周囲を見回すと、何人かの男子生徒と目が合いすぐに逸らされる。その瞳には十人十色の感情が認められたが、向けられる視線の種類には孤児院で覚えがあった。
「……放っておけばそのうち忘れるだろ」
「どうだろうな。ああいう輩は中々被害妄想が強いから」
「気をつけろって言いたいのか?」
「あんまし目立つことはするなって言ってるんだ。ただでさえ、最近はこの街も物騒になってきてんのに」
「そっか。……一応、注意はしておくよ」
「そうしとけ」
空になった食器に手を合わせ、僕と秋はトレーを持って席を立った。返却口に返し、ごちそうさまでしたと声をかけて食堂を後にする。
教室に登る途中の踊り場で、何か銀色の雲のようなものがチラリと見えた気がした。
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