第13話
瞼に透ける光で目が覚めた。
起き上がると、制服姿の上半身から毛布がずり落ちる。先輩の家のベッドだ。
「……いま、何時だ?」
手探りでシーツの上を探る。こつりと硬いものが当たり、引っ張り上げてみるとスマホだった。画面に表示された時刻は七時半。
「昨日、何してたんだっけ……え、っていうかなんで制服のまま?」
思い出そうと頭をひねるが、学校が終わってからの記憶が一切出てこない。先輩と車に乗り込んだ所までは覚えてるんだけど……
「……まあ、よくあることだし、別にいいか」
どうせ吸血の副作用か何かだろう。記憶もそのうち思い出すだろうし。その前に、今は早く先輩を起こさなければならない。
「先輩、起きてくださ――」
言いかけて、いつもの丸まった猫のような姿が無い事に気がつく。
今日は早起きなのかなと思いつつ、ベッドから降りてリビングに行ってみるが、そこにも先輩はいなかった。
「……」
なんだかよく分からないけど、先輩がいないとすごく寂しい。なんなんだ、この気持ち……?
首筋に残る吸血の跡をなぞり、首を傾げた。目線が下を向くと、テーブルの脚のそばに落ちていた白いメモ用紙が目に入る。見覚えのあるきっちりとした筆跡で何か書かれてあった。
「夜まで研究施設に……ああ。そういうことか」
昨日の朝、確かに先輩はあそこに行くと言っていた。メールが来たのが一昨日だったという事も憶えている。それで僕が不満を言ったのも。
「……出る前に一言くらい声を掛けてくれてもいいのに」
行く前の準備も大変だっただろう。朝の吸血も済ませていないし。あっちには献血や輸血で集まった血液があるが、口に合わないと先輩は前に言っていた。というか、いつもは弁当代わりに僕を連れて行くのに、どうして今日は一人で行ってしまったのだろう。
「やっぱり昨日、何かあったのか……?」
思い出そうとするが、頭の中の映像がぼやけて思考を妨げられる。まるでその記憶だけに鍵がかかったように。
「…………」
しばらく僕は唸りながら過去を探っていたが、どうしても出てきそうにない。無理に考えても時間を浪費するだけだと思い、ここは一旦退くことにした。
「ていうか、もう遅刻寸前じゃん……」
リビングの壁時計を見て呟く。時刻は八時ジャストだ。急いで冷蔵庫に行きお弁当を取り出そうとするが、中は空っぽ。昨日の夜、何も作っていなかったからだ。
そして、昨日の夜という言葉で僕は思い出す。
「そういえば、昨日吸血されたのって朝と昼だけだったよな……?」
吸血鬼にとって吸血とは食事だ。ある程度人間の食べ物から栄養は取れるといっても、限度がある。先輩は昨日の夜に続き、今日の朝も僕の血を吸っていない。吸われていれば特有の倦怠感ですぐに気が付くだろう。
つまるところ先輩は、人間で言うと昨日の昼から何も食べていない状態な訳で……
「大丈夫かな……? まあ、施設にはあの人もいるし、酷い事にはならないと思うけど……」
……っていうか、どうして僕は先輩のことばかり考えてるんだ。早く準備しないと。
頭を振って余計な思考を追い払い、洗面所で歯磨きと洗顔を済ませた。制服を新しいものに変え、鞄と貴重品を持って家から飛び出す。走りながら電話をかけた。
『――瑞希様』
「あ、運転手さん!」
エレベーターから降りたところで電話が繋がった。警備員が巡回するエントランスから走り出て、出口の門まで向かう。
運転手さんは昨日と同じく丁寧に話した。
『夜様からお話は伺っております。今日は瑞希様だけの送迎になるそうですね』
「あ、話は通してくれてたんですか、先輩」
『昨晩そうするように言われましたので』
「そっか。ありがとうございます、運転手さん。いつもの門のところにいますから」
『承知しました。……それと』
「はい?」
運転手さんはかなり躊躇いがちに言った。
『できれば私のことは、「運転手」ではなく、本名で呼んでいただければ……』
「あ……」
言われてみればその通りだ。その通りなんだけど……
僕は申し訳ない気持ちを全力で声に込めながら言った。
「……ごめんなさい。実はあなたの本名、まだ聞いてなくて」
『……そうでした。瑞希様には自己紹介していませんでしたね』
彼女も気まずそうに返事する。電話の向こうで目を逸らしている様子が透けて見える気がした。
「すみません……」
『いえ、忘れていた私にも責任がありますので。……私の名前は「鳥羽」と言います。以後、呼び捨てにしていただいて構いません』
「それじゃあ、鳥羽さんで」
と、そこで何かに気づいたように彼女は声を上げる。
『ああ! いま門を出てくる瑞希様が見えました。こちらです! 黒いハイヤーです!』
「バッチリ見えてますから、そんなにぶんぶん手を振らなくても……」
あと車の中からじゃ生の声は届かないと思います。
『し、失礼しました!』
「いえ。分かりやすくて助かります」
『そ、そうでしょうか? ありがとうございます……!』
「…………」
割とポンコ……天然なのかな、鳥羽さん。テンションの上がり下がりがかなり激しい。
そう思いながらハイヤーに乗り込むと、ハンドルを握り上機嫌に鼻歌を歌うキリッとした美人が見えた。
「……学校の門の近くまでお願いします」
「はい! 喜んで!」
バックブレーキを解除し、アクセル全開で森の中をかっ飛ばし始める。
たぶん鳥羽さん、本当に褒められて嬉しかったんだろうな……
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