05.クリストフ様とデートです!

 スヴィはランディスの中央公園で、どどんと大きな紙を手に広げて立っていた。

 リカルドが、クリストフと会わせてくれる大事な日だ。

 といってもリカルドが立ち会ってくれるはずもなく、お互いの休みの合う時を調べてくれて、ここで会うように指定されただけだ。


「ほふう、緊張する……」


 スヴィはクリストフのことをもちろん知っているが、クリストフは一度会っただけのスヴィのことを覚えていないかもしれない。

 だから、スヴィはすぐ見つけてもらえるように用意した。

 〝クリストフ〟と書いた大きな紙を! どどんと! 見つけてもらえるように!


「す、スヴィちゃん……? これは一体……」


 いつの間にか目の前に来ていたクリストフが、紙を見て一歩引いてしまった。

 出待ちの時にこんな紙を見た役者は、みんな喜んでいたはずなのに。字が下手すぎたのだろうか。


「クリストフ様ー!」

「久しぶり、スヴィちゃん。ごめん、この紙は仕舞ってくれるかな」

「はい、もう会えましたので!」


 なぜかクリストフは苦笑いしているが、そんな顔も素敵だ。

 キラキラ輝いていて、彼には朝日がよく似合う。もう昼に近かったが。


「今日は会ってくださってありがとうございます! あの、私のこと、覚えてますか?」

「帝都で案内してくれたスヴィちゃんだよね。覚えてるよ。まさか、リカルドさんと知り合いだとは思わなかったなぁ」


 覚えていてくれていた。

 忘れられていても仕方ないくらいの、小さな出来事だったに違いないというのに。


 覚えていてくれて、ありがとうございます!


「カッコいい! 好き! 結婚して!」

「え!?」

「……へ?」


 なぜか顔を真っ赤にしてスヴィを見ているクリストフ。なにやら慌てている姿を見ると、キュンとしてしまう。

 プライベートでは演技のできない人なのだろうかと思うと、なんだか可愛い。

 整った顔立ちで、焦るように揺れているプラチナブロンドがもうたまらない。


「ああもう結婚したぁい……」

「も、漏れてる! 漏れてるから、心のこぇ……っ」

「え? 私、この年になって漏らしたりはしませんよ! さすがに!」

「そうじゃなく……っ」


 クリストフは顔を真っ赤にしたまま、口元を押さえている。なにか変なことでも言っただろうかと、スヴィは首を傾げた。


「どうしました?」

「あ、いや……」


 クリストフはふうっと大きく息を吐いている。その息を捕まえて、瓶の中に永久保存しておきたい。


「えーと、どこかゆっくり話せるところにでも行こうか」


 そう言って、クリストフは小さなカフェに連れて行ってくれた。スマートにエスコートしてくれる姿に溜息が漏れる。

 カフェについて注文を済ませると、クリストフの方から話を振ってくれた。


「そういえば、スヴィちゃんはいくつなんだい?」

「年ですか? 二十三歳になりました。」

「僕より五つ年下か、若いね」


 五つ年下、ということは、クリストフは二十八歳だ。思っていたより年が上だった。


「二十八歳、ですか……」

「年下に見えてた? 僕、年より若く見られやすくて」

「あ、いえ、二十八歳……」

「思ったよりおじさんでショックだったかな」

「いえ、おじさんなんかじゃ! でも二十八歳だと結婚していてもおかしくない年ですよね。あの、け、結婚は、されてるんですか……?」


 思えばリカルドに確認しておけばよかった話だが、今の今まで妻帯者である可能性をすっかり忘れていた。


「結婚はしてないよ。仕事と劇団の往復だからね。女性と知り合う機会がなくて」

「たくさんのファンと触れ合ってるじゃないですか」

「ファンはファンだから」


 ファンはファン。

 その言葉を聞くと、ずんと心に鉛が乗った。

 ファンは所詮、恋愛対象にはならないと宣言された気がして。


「そ……ですか。ですよねー」


 ただのファンが、こんな風にコネを使って誘うなど、迷惑でしかなかっただろうか。

 しかしクリストフは、そんなファン相手に色んなことを話してくれた。

 演劇を始めたきっかけや、日頃の稽古、昼間している仕事、家族のこと。

 スヴィにもたくさん質問してくれた。剣を持ったのはいつだったのかとか、騎士を目指したきっかけはとか、どうしてキアリカ隊に入ることになったのかとか。

 会話は途切れることなく続いて、こんなに楽しく幸せな時間を過ごせたことに、スヴィは感謝した。


「ああ、もうこんな時間だ。そろそろ帰って、稽古の準備をしないと」


 今日は虹橋組の番で公演はないが、稽古はほぼ毎日あるらしい。

 外に出ると、少し冷たい風がスヴィの心を吹き抜けていく。


「今日はありがとう、スヴィ。楽しかったよ」

「いえ、こちらこそ無理を言って……」


 ありがとうございました、さようなら。

 それでいいのだろうか。

 ここで別れれば、それでおしまい。


 もうリカルドには頼めないし、自分でどうにかしなければならない。


「あの……! またこうやって会ってくれませんか?! 次、いつ会えますか?!」


 また会いたい。またたくさん話したい。これで終わりなんかにしたくない。

 こんな風に話したあとで、もうただのファンだった頃に戻れはしない。

 けれどクリストフは、申し訳なさそうに眉尻を下げていた。


「ごめんね。僕、普段はファンの子とこうやって会うことはしてないんだよ。今回はリカルドさんのお願いだったから、特別」


 ガンッ、と頭を石で殴られた気がした。

 ずるいことをした自覚はあった。だからこんなショックを受けることになったのだ。自業自得だと、スヴィはそう思った。


 明日からは、戻らなければいけない。

 ただのファンだった頃に。


 太陽組の公演まで、待って待って待って。

 演目を楽しんで。

 終わったら、出待ちもできずに帰る。


 接点など全くなかったあの頃に、戻れるだろうか。

 舞台の上のクリストフを見る、それだけで幸せだった頃に。

 語らい合う楽しさを知ってしまった、この後で。


「クリストフ様、好きです!!」

「……またれてる?」

「漏らしてなんかいません!!」


 唐突の告白に、クリストフは目をパチクリとさせている。好かれてることに気づいていたのか、そこまで驚いてはいないようだったが。


「クリストフ様の顔が好きです!」

「はっきり言うね」

「声が好きです!」

「ありがとう」

「演技が最高です!」

「嬉しいよ」

「ほどよい筋肉がステキです!」

「どこ見てるの?」

「長い指と爪がキレイです!」

「そろそろ恥ずかしいんだけど」

「長くて細い足がいやらしいです!」

「いやらしい目で見てるのスヴィちゃんだよね?」

「鎖骨から胸筋にかけて見てみたい!」

「欲望あふれてるよ!」

「穴が開くほどクリストフ様を見つめていたいんです!」

「穴開けないで!!」

「つまり、クリストフ様の全てが好きなんですーーっ!!」

「ちょっと声量を落としてくれるかな?!」


 絶叫が終わり、ハァハァと息をすると、なぜかクリストフの肩も上下している。

 しかし、言い切ってスッキリした。

 もうこうして会えることがないなら、きっちりと気持ちを伝えておきたかった。


 これで、さよならか……ただのファンに戻らなきゃ……


 そう思うと、ぼろっと涙が溢れそうになった。

 けれどもここで泣くのは卑怯な気がして、涙をグッと堰き止める。


「今日は本当にありがとうございました……すごく、すごく楽しかったです。夢のような時間でした……」


 泣くな、泣くなと自分に言い聞かせながら、それでも最後なのだからと言葉を紡ぐ。


「クリストフ様の人柄を知って、やっぱり私の想像通り……いえ、それ以上に素敵な人でした。今日一日で、さらに好きになってしまいました」


 きっと、『ごめん』と言われる。

 ファンはファンだから、と。

 振られることがわかっていて伝える告白は、つらい。しんどい。

 でもきっと、今伝えておかないと後悔する。


「だから私!」

「友達からでもいいかな?」

「振られてもずっとクリストフ様のファンでいますから……! って、え?」


 今度はスヴィがパチクリと目を開いた。

 聞き違いだろうか。今『友達から』と聞こえた気がしたのだが。


「ともだち……?」

「スヴィちゃんが僕を好きなのはよくわかったよ、ありがとう。でも僕は、今日ようやく少しスヴィちゃんを知れたところだし、まだよくわからない」

「です、よね」

「けど僕、スヴィちゃんのこと、嫌いじゃないよ」


 クスクスと笑いながらクリストフは目を細めてくれる。いつの間にか夕日が差していて、その顔が赤く染まっていた。


「僕が最終的にどういう答えを出すのか、僕自身にもわからない。それでもよければ、友達になろう」

「……友達なら、また一緒に遊べますか?」

「遊べるよ」

「次に会う約束を、していいんですか?」

「もちろん」


 我慢していた涙が、ぽろっと流れて夕日に溶ける。また、こうやってクリストフに会える……そう思うと、胸が弾けるように熱い涙が溢れた。


「わぁん、ありがとうございますー、クリストフ様ぁ!」

「友達だろ? クリスでいいよ、スヴィちゃん」

「わぁん!! クリスさんーーっっ!!」


 天を仰いで泣くスヴィを、クリストフはポンポンと背中を優しく叩いてくれる。


「えーーーん、クリスさん優しいーー!! やっぱり大好きーー!!」

「わかったわかった」


 困りながら笑うクリストフの顔が、まんざらでもないように、スヴィには感じた。

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