『猟奇事件の暗影に』②
「霜月班と葉月班。この二チームを集めたのには理由がある。まず葉月班の担当する例の『福祉省・総大臣の事件』の
刑事部では、原則・一組に刑事官三人で構成された班に分かれ、通常は班の適性に応じて各事件を担当する。
しかし今回の「緊急会議」では、二つの異なる班チームが同時召集された。
ICT安全警備の導入されてから八年間のルーナ警察署では、今までにない異例の事態だ。
今回のような国の上層部絡みや、国民の安寧を脅かしかねない異例の事件なら、「例外規定」が下りても腑に落ちる。
国の一大臣が殺害された一大事に、ルーナ警察は迅速な事件解明と犯人逮捕の責務へ躍起になっているのだろう。
刑事部の責任者たる永谷部長は"新たな捜査方法案"を告げた。
「日昇国の福祉を政策的に支える大臣まで殺害された。一方で、刑事部でも深刻な"人手不足"に歯止めがきかない。由々しき事態だと考えた警察上層部から"例外発令"は下された」
「『連続猟奇殺人事件』の捜査には、霜月班と葉月班の協働で進めよ、とのことだ」
やっぱり――永谷部長の台詞に、蛍は納得した様子で冷凛な瞳を細めた。
部長隣に立つ副部長『
「手始めに。大臣殺害事件の概要と捜査の進捗について、情報の確認と共有をする。今回の協働捜査チームの"
浜本は画面の報告書へ目を通しながら、理路整然と説明を始めた。
理知的な印象を与える細長い金属縁の伊達眼鏡越しに、やや神経質そうに細められた瞳。
耳元辺りで丁寧に整髪された
皺一つない清潔感溢れる背広を最も着こなしているのは、間違いなく浜本だ。
冷静沈着で頭脳明晰。若手でありながら同世代の若い刑事官の上司として頭角を現すエリート中のエリート。
蛍とは似て異なる優秀な刑事官として浜本も一目置かれる存在だ。
故に自他共に厳格で、不真面目な黒沢や新米刑事には敬遠されがち。
一方で確固たる信念を燃やす蛍や光は当然、黒沢のように"扱いづらい"同僚もさりげなく気にかける"面倒見の良さ"とも捉えられる"対等主義者だ。
警察官としての規律と礼節を重んじ遵守する姿勢も、蛍達にとっては信頼と尊敬に値する良き上司だ。
「十一月一日・午前八時五十二分。福祉省・子ども若者部門の総大臣、幸助・小笠原(六十歳・男性)の遺体が発見された。遺体は、ニュームーン区・ムーンストーン公園の植木に逆さ吊りれた状態でした。第一発見者は朝の清掃職員で、警察に通報しています。現場に駆け付けた葉月班と鑑識部は、地域住民への心理的影響を考慮し、『
静粛と耳を傾けていた刑事官達は戦慄に固唾を呑み、冷静沈着な蛍ですら一瞬柳眉をひそませた。
『青い幕』とは、事件現場の秘匿性の高い情報保護、地域住民への影響を配慮するための視覚的遮断だ。
青い筒型の機材を現場に配置してから起動すると、
今回のような国の重役人の関与する事件では頻繁に適用される。
しかし、今回はそれだけの理由に留まらない。
「つまり、被害者の遺体は"常軌を逸した状態"にあるのですか」
青い幕を適用された事件現場、浜本の沈鬱な表情から察した蛍の言葉に、両班の空気は慄然と凍りつく。彼女の質問に対し、浜本は沈黙で肯くと重い口を開いた。
「現場の惨状と鑑識部の分析から分かるのは…… 被害者は」
全裸にされた状態で頭頂部と腹部を切り裂かれた――。
遺体の傷口の奥には、総額・五千万円の紙幣を大量に詰め込まれていた――。
同時に会議室の
文章に添付された凄惨な現場と遺体の写真に、若輩の刑事官は口元を押さえて青褪めた。
光や浜本ですら、動揺や不快感を瞳に宿す一方、蛍は冷徹な眼で写真を観察している。そして、飄々とした刑事官・黒沢は。
「え~!? マジ大金じゃねーか! もったいないことするねぇ」
「口を慎め! 黒沢刑事官! ……だが、遺体に詰め込まれた紙幣は全て"偽札"だ」
惨たらしく殺された大臣を茶化すような、黒沢の無神経な台詞を、浜本はすかさず咎めた。
「本当に……こんなふざけた殺し方をした
正義の憤慨に燃える光は、報告書を睨みながら呟く。
常軌を逸した残虐極まりない犯行。
正義感の強い光にとって許し難い蛮行として映った。
光の真っ当な怒りと激昂へ呼応するように、他の刑事官も沈黙に凍りつく。
「落ち着いて、藤堂刑事官。黒沢刑事官も、話は最後まで聞きましょう」
最中、この場で最も冷静沈着な蛍は不謹慎な黒沢と怒りに囚われる光をなだめ、話の流れをさりげなく戻そうとする。
「へいへい、サーセン。けどよ、遺体の痛めつけ具合から怨恨の線が濃いね。このお偉いさん、余程恨まれていたんじゃねーか? 収賄とかセクハラとか」
「弓弦!」
浜本に咎められた直後も懲りない態度の黒沢に、今度は光からも叱咤が飛んだ。
「黒沢刑事官。いい加減、慎みましょう?」
蛍が冷ややかに諌めながら、黒沢の手の甲を軽く
途端、黒沢は「いててっ! わーったよ!」、とついに口を閉じた。
普段と変わらない三人の
「まったく……だが、一理はある。櫻井刑事官の見解は?」
「はい。小笠原大臣は、子ども若者支援の改革に尽力した功績があり、国民からの評判は概ね良かったです。一時期、福祉事業所の"助成金の横領疑惑"も報道されましたが。しかし、結局はマスコミとネットユーザーが流した
国民の"幸福で健やかな人生"を約束する社会を目指す――。
福祉省の理念に則り、生前の小笠原は児童・若者への福祉に熱意を燃やしていた。
深刻な不足の保育所と保育士の増加・労働環境と基本的賃金の改善による「保育改革」、養育者孤立防止による「児童虐待ゼロの街作り」といった計画を推進してきた。
仮に横領疑惑が事実であったとしても、恥辱に満ちた惨い死に様を公共の場で"見せしめ"るほどの悪人だとは思えない。
「櫻井の言う通り、大臣は評判通りの良き政治家らしい。とはいえ、怨恨や逆恨みの線も踏まえて身辺捜査は続行中だ」
しかし、事件の中枢で捜査に関わってきた蛍達は嫌なほど思い知らされた。
人間の俄に信じ難い闇の一面や真実を目の当たりにする。
善人と悪人、被害者も加害者も関係なく平等に存在し得る。
"完璧"の秩序を実現する街として生まれたルーナシティも、治安は日昇国最優秀だが決して万能ではない。
人は人である限り、罪も過ちも冒しざるをえない。
「どうかねぇ。俺は大臣も黒い、と踏んでいるぜ」
「黒沢刑事官。軽はずみな言動は控えろ」
それにしても、多額の偽札を詰め込まれた惨死体をあえて一目につく場所に遺棄した事。
被害者に"人格者"と謳われる小笠原大臣を選んだ事も。
今回の猟奇殺人事件は単なる快楽目的に留まらず、何か"別の意図"も匂わせている。
『神楽刑事官です。会議中失礼しまーす。新たな報告があってきましたー』
警察端末の通信から緊急速報の電子音が響くと同時に、送信者の気だるげな音声が流れた。
相手は神無月班所属の『
間延びした声に浜本は露骨に眉をひそめた。
逡巡する蛍達を追い立てるすうに届いた報告が示唆するのは、新たな事件の知らせ。
さすがの蛍も予想外とばかりに眼を見開き、他の刑事官は辟易した表情で唸った。
*
蛍の率いる霜月班が向かったのは、第二の猟奇殺人事件の通報があった『
事件現場の部屋から水漏れが発生していることに気付いた管理人は、浴室で亡くなっていた被害者を発見した。
「被害者は、『児童救済相談所』の所長『
先に現場へ派遣された鑑識官と刑事官から、事件調査の進捗状況の説明を受ける。
蛍達も現場と遺体の確認しに浴室へ向かう。
お湯は止まっていたが、入った瞬間に熱い湯気の残滓を浴びた。
シャワーから流れていた熱湯はかなりのだったらしく、生気が失せたはずの皮膚は桃色に腫れあがっていた。
浴槽の底で仰向けに伏せている佐々木の遺体も案の定、一糸纏わぬ姿で痛ましかった。
しかし、それ以上に霜月班の顔を曇らせたのは常軌を逸した遺体の
「あー、こりゃひでぇな。仏も何もあったもんじゃねえよ。お前らも無理はすんな」
軽口を叩いてみせる黒沢だが、普段の飄々とした笑みは消えていた。
惨殺死体に耐性のない後輩刑事官は、吐き気を催したのか真っ青な顔で口元を押さえている。
気分悪そうに俯く後輩を気遣った黒沢の台詞で、彼らは退室を余儀なくされた。
いかに警察であろうと、彼らの反応はごく自然なものだ。
蛍ですら、凄惨な死の現場を怜悧に観察し慣れている己の正気を疑いたくなるくらいなのだ。
物言わぬ屍となった佐々木の両の眼球は神経残さず抉り取られていた。
仄暗い眼窩から黒く光るのは、『謎のカメラ・フィルムケース』だった。
犯人は殺害後に両目を抉ってから、その空洞へ異物を詰め込んだと思われる。
第一事件に続く猟奇的な殺害方法に、刑事官一同は恐怖や憤慨といった多数の感情の混じった表情を浮かべる。
唯二人、蛍と黒沢を除いては――。
「こちら霜月班長・櫻井刑事官。首尾はいかがですか、浜本刑事官」
最中、佐々木が勤めていた児童救済相談所へ調査に向かっていた葉月班からの定期連絡が入った。
浜本の率いる葉月班は相談所の関係者から気になる情報を入手できたらしい。
『調べた所、相談所の"一人の男性職員"が三日前から無断欠勤を続け、連絡が途絶えているらしい』
「その職員の身元と住所は分かりますか」
『
「了解しました。こちらも直ぐに現場検証を終えるので、そちらへ合流します」
浜本リーダーは、朧月の情報ファイルを霜月班員へ一斉送信してくれた。
受診した情報をホロ画面に表示してから、蛍は内容を読み上げる。
「浮上した朧月は、『
浜本の報告曰く、一週間前の十一月七日、児童救済相談所で妙な出来事があった。
相談所の面接室で被害者の佐々木と石井が激しく口論していた場面を他の職員は目撃した。
その時の口論が原因か否か、内容も定かではないが、その後から二人共に無断欠勤と音信不通が続いた。
となれば、佐々木の死に関与している嫌疑は石井へ必然的に向けられる。
他班と共有した情報から次にすべきことを把握した蛍は、自分の班員達へ葉月班と合流する旨を伝えた時だった。
「何だ……コレは?」
まさに死神がほくそ笑んだ瞬間だった――。
鑑識官達の驚きに気付いた蛍は、即座に浴槽へ歩み寄った。
「櫻井刑事官。遺体の背中に、妙なものが……」
浴槽から引き上げられてから、
生の鶏皮さながら白褪めた背中全体に、赤黒い創傷が刻まれているのを見つけた。
犯人は刃物で被害者の背中を突き刺し、痛ましい文字を彫ったようだ。
犯人の異常な嗜好もしくは、くだらない自己顕示欲の刻印かと思った瞬間――。
「どうかしたか、櫻井刑事官」
氷のように冷静な表情を常に浮かべる蛍が、呼吸と瞬きを忘れて遺体の傷跡を凝視している。
普段の蛍から感じられない、ただならぬ雰囲気に光は不安に駆られた。
一方、光の声すら耳に届いていないらしく、蛍は沈黙に伏せたままだ。
あの蛍をこれほど動揺させている“何か”の正体を確かめるべく、光と黒沢も固唾を呑んで遺体の背中を覗き込む。
背中に殴り書きされた傷文字の内容を視認した瞬間、刑事官達の間にも動揺が広がった。
蛍は血の気の失せた表情で遺体を冷たく見つめたままだった。
どうして、こんなものが、こんなところに……?
犯人が遺体に残していった意味深な
懐かしさを孕んだ寒気に震えた蛍の脳裏を過ぎったのは――。
どういうことなの――義兄さん――……?
『深淵をのぞきこむ者は、深淵からものぞきこまれているのだ』
***続く***
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