第3話「女神様は同居人をからかい出す」

「……それじゃあ、僕は仕事に戻りますね」


 先輩たちの謝罪やら宣戦布告やらをさらりと受け流し、僕は仕事場へと戻った。


 カウンターへ注文の紅茶に合うであろう砂糖を添えて持っていく。その光景を影から先輩たちが涙ぐんで睨んでいたのには敢えて触れないでおこう。


「お待たせしました。紅茶です」


「ありがとうございます。……ふふっ」


「まだ笑い足りないのかよ……」


「皮肉ではありませんよ? ですが、湊君が私に対して敬語なんて堅苦しい表現を使っている新鮮さと言いますか……そういうのが、堪らなくて」


「要するにバカにしてるってことで合ってるよね、それ?」


 美桜相手に敬語なんて、学校の連中らだけで十分だろう。


 幼馴染相手に未だに敬語使ってる美桜にも文句を言いたいところではあるが、小学生の頃からそうだからな、今更っていう気もする。


 本人からは『努力する』との言葉を受けたが、果たして実現する日が来るのか。そう問われれば疑問に残るところだ。


「さぁ。どっちだと思いますか?」


「……何、その選択式」


「何となくです」


 一体どういう意図があって言ってるのやら。

 美桜は再びふふっと微笑むと、紅茶を一口飲む。


「……美味しいです。これは湊君のお手製ですか?」


「ここは喫茶店じゃない。直伝じきでんではない」


 喫茶店での飲み物とか食べ物って、普通のお店とは違う微睡みというか、濃くがあるんだよな。あそこの落ち着いた雰囲気、僕も結構好きだったりする。


「でしたら、今度これを家で淹れてください」


「……別にいいけど?」


「ありがとうございます」


 そう言って、美桜は再び紅茶を飲む。

 僕に家でのオーダーを頼むということは、よっぽど気に入ったらしいな。女神様の頼みだしな。断る理由も特に思い当たらないため受け入れることにした。


「あ、そうだ。美桜、この後の予定は?」


「……お買い物に行って……それだけでしょうか」


 美桜の返答に先程のレジでのやり取りを思い出した。

 あくまでもここへはに来ただけだと言ってたっけな。


「じゃあ、少しだけ待っててくれるか? もうすぐでバイト時間終わるから、買い物付き合うよ」


「……いいんですか?」


 驚いた形相で僕を見てくる美桜。

 失礼だ、と一言言ってやりたい気分ではあるが、今回の反応は美桜に方が正しいだろう。



 何しろ数週間前——僕は美桜と一緒に買い物に行くという、それだけのことに躊躇いや恐怖などがあったのだから。

 今でもそれは変わっていない。否、寧ろあれから何も変わっていない。


 学校の連中のことだとか、思うところはあるけれど僕は思ったのだ。


 美桜が僕との関係を修復しようと、変わろうとしてくれているのだ。——ならばそのために、僕自身も変わるべきではないのかと。


 正直、まだまだ納得しきれないところも多い。

 が、それを理由に逃げるわけにもいかないのだ。



「いいよ。どうせそんなに時間くわないだろ? この休日、毎日買い物行ってるし。それってつまり当日買いしてるってことだもんな。……違うか?」


「……そんなことでドヤらないでください」


「陰キャが自分から動くのなんて、そのくらいの根拠がなきゃ無理ってことだよ」


「逃げましたね」


「何のことやら」


 これは逃げではない。戦略的撤退である。

 状況に応じて戦略を使い分けることは、基本中の基本だろう。


「でも。買い物に付き添うって決めたのは、僕自身の意思だからな。それだけは逃げじゃないぞ」


「まぁそうですけど。ですが、無理させているわけではありませんから、アルバイトもしているわけですし休憩した方が……」


「バカかお前は。買い物だったら男手が必要だろ? それぐらい頼れよ、な?」


「…………。バカです」


 溜めがあると思えば、顔を背けて僕のことを罵倒する。

 よく見ると少しだけ頬が真っ赤に染まっているのがわかる。そんなに変なこと言っただろうか……。正論を言ったつもりだったんだが。


「……わかりました。湊君がそこまで言うなら、そうします」


「わかってもらえて何よりだ」


 美桜からは、渋々、了承を得られたものの——カウンター越しの先輩たちからは、未だに殺意剥き出しの視線が跋扈している。

 ……いつになったら止むのやら。


 すると、美桜が僕の服の裾をぐいぐいっと引っ張ってきた。

 それを見ていた先輩たちは更に激怒。……勘弁してください。


 僕にとっては日常でありふれた出来事だ。だが、学校の連中らと同様、先輩たちにとっても美桜のこの仕草に心を奪われ、挙句に対象であった僕を逆恨み。

 ……世の中とは、何て理不尽なのだろうか。


「……その代わりと言っては何ですが、私からも提案をしてもいいですか?」


「可能な限りであれば」


「でしたら、アルバイトが終わり次第、私のところに来てください。少し、ゴールデンウィークの日程について話したいので」


「……日程?」


 ゴールデンウィークの日程。


 そう直球に言われても、思い当たるような予定は思い当たらない。バイトも対応人数に困ったりもしていないので連日出勤とかも出来ないし。


 そうなると自然と日程が空く。

 部活だったり委員会だったりなど、必然的に用事が出来るほど僕は万能な人間ではない。


「はい。あ、ですがそれは後ででもいいですか? 紅茶が冷めてしまうので……」


「それもそうだな」


 唐突に話を打ち切られた。

 まぁこれも慣れていれば『自然なこと』だと割り切れる。


 今の美桜にとっては僕との話より紅茶が優先のようだ。……良いのか悪いのか。


 僕は美桜に「ごゆっくりどうぞ」と一言挨拶をしてからその場を後にする。


 営業というのがあるだろう。

 先程も言った通り、僕は普段人相手に敬語はあまり使わない。そのため、普段から僕と日常的な関わりがある者には、僕の敬語はあまりにもおかしいらしい。


 ……現に今、美桜は口許を抑えてふふっと笑っているのが見える。

 ——笑うな!! 後で叱ろう。さっきのも合わせて2倍だな。

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