第27話「女神様は『一般的』に近づきたい」

「……あの、湊君」


「ん?」


「今日は、何が食べたいですか?」


「あぁ。そうだなぁー」


 こんな会話も既に日常。つい1ヶ月前の僕達には考えられない光景だ。


 正直、この慣れに怖さはある。

 いつか、美桜が家出してきた理由を話してくれて、それを解決したときには、もう僕のところには居てくれないのかと……——って、女々しすぎて鳥肌が立つ!


「昨日は湊君が私の好物を作ってくれましたから、今日は私が湊君の好物を作りたいです」


「お前の場合、いつでも僕の好物ばっか作ってるけどな」


 美桜が家事当番だと、必ず一品は僕の好物がある。

 だから、美桜のその希望は若干叶いそうにないかもしれないな。


「ダメ、でしたか……?」


「そんなことないけど。偶には、美桜の得意料理でも作ってみたらどうだ?」


「得意料理。……全部です」


「そういうことじゃなくて……」


 うん。きっと言いそうな気はしていたから、さほど驚きはしない。


「では、どういうの得意料理と言うのですか? 私は家の家訓でよくご飯を作っていたのでレパートリーは豊富ですが。実際、どれが得意料理なのか、わかりません」


「うーん。観点は人それぞれで違うけど、自分がよく作るモノ、かな」


「……よく作るモノ?」


 美桜の場合、それこそ“僕の好物”が当てはまりそうではある。

 けれど、美桜が作る料理は毎度メインも副菜も違う。おそらく僕がまだ作ってもらっていない料理も中にはあるのだろう。


 まぁ、実際興味あるからな。美桜の得意料理。

 暫く「うーーん……」と唸る美桜だったが少ししてから僕の方を見据える。


「……肉じゃが、でしょうか」


「肉じゃが?」


「はい。昔、お母さんからよく教えてもらって作っていました。頻度は覚えていませんが、おそらくは週1ほど作ってたかと」


「飽きなかったのか?」


「まったく。寧ろ毎度味付けを変えて、どんな味になるのかと実験していたほどです」


 美桜はどこか楽し気に話している。

 稽古しか日々の生き甲斐がなかった美桜にとって、きっと小さい子がお人形とかおもちゃとかで遊んでいるような感じだったのだろう。


「じゃあ、オススメは?」


「オーソドックスです」


「あぁぁー……」


 結局のところ、定番の味付けがしっくりくるんだろうな。

 僕はそんなにチャレンジャーでもないから様々な味付けを試そうとか、考えたことがない。


「定番の味に執着を覚えるということを、このとき初めて自覚しました」


「けど、やめないんだな」


「未知の領域……というのでしょうか。自分の知らないことに興味を持てば少しは『一般的的な文化』にも近づける気がするので」


「……そっか」


 僕も多少料理は作れるが、美桜のように難しいことに挑戦して、敗北するといったことをしたくない。


 けれど美桜は違う。

 僕の言う“一般的”なことを少しでも理解したいと、一般的な料理に自分らしさというのを詰め込みたいのかもしれない。


「じゃあ、せっかくだし肉じゃがにしてもらおうかな。材料はあったと思うし」


「……わかりました。頑張ります」


 美桜は若干俯きがちにそう言った。

 顔を見ることは叶わなかったが、美桜の耳朶は微かに真紅に染まっていた。


 夕焼けになる直前の日射しに当たり、そう見えてしまっているだけかもしれないが。

 僕は鞄を持ち直す。そのとき、懐に仕舞っていたスマホが鳴った。


「誰だ?」


「湊君のスマホが、鳴っている……」


「珍しそうに見るんじゃない!」


 美桜ほどの『知り合い』が存在しない僕のスマホが鳴ることは確かに珍しい。

 そこは認めよう。自分でもそう思うし。


 同居生活を始めてからも、僕のスマホは中々騒がない。

 別にアラーム音を切っているわけでも、電源を常に切っているわけでもない。理由は単純なことだ。——僕には、用事ごとがあるような知り合いがいないから。


 かと言って、1ミリも音をたてないわけでもない。

 鳴るときは立派に鳴いてくれる。

 ただし、特定の人に限るが。……さて、今回の電話先は誰だ?


 僕は恐る恐る懐へと手を伸ばし、滅多に鳴らないスマホを手に取り画面を直視した。

 そこには、こう表示されていた。



『——村瀬伊月』



 と。

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