第34話

 アレク様に恋をしてしまった、その事実を受け入れた私は、どこか晴れやかな気持ちになっていた。


 恋愛に浮かれる女子というのは、こういう気持ちなんだろうか。今ならメイドたちがキャピキャピしていた気持ちがよくわかる。


「また変な輩に声をかけられかねない。ついてこい」


 ましてや、アレク様がリードしてくるのだ。


「私に声をかける物好きは、絶滅危惧種レベルの少数派です」

「残念なことに、今日は絶滅危惧種を集めたパーティーみたいなもんだ」

「すでにひと悶着が起きたので、説得力がありますね。セレス様を頼るわけにはいきませんし、ついていきます」


 いつもと同じように歩き出した瞬間、ヒールを履いていることを忘れて、すぐにバランスを崩してしまう。


 咄嗟にアレク様の腕にしがみつき、転ぶことは避けられたのだが……。必要以上にアレク様を意識している私は、ちょっとパニックになっていた。


「あの、故意ではないです」


 恋ではありますが。


「国王の元へ行かねばならんのだろ。テーブルに突っ込んでパーティーを壊したくなかったら、そうしていろ」

「えーっと……お言葉に甘えます。すいません、ご迷惑をおかけして」

「構わん。これも運命なのかもしれない」


 アレク様と二人で国王様の元へ行くことが、どうして運命なのだろうか。サッパリと意味がわからないし、別に期待しているわけではない。


 私のように身分の低い人間が、アレク様と婚約することはないのだから。


 国王様に婚約者として紹介されに行くわけではない。ただ付き添ってくれているだけなのだ。


 でも、もう少しだけ幸せな夢を見たい。アレク様と過ごす、何気ない平凡な日々を。


 そんなことを考えていると、再びバランスを崩して、思わず「うわあ」と声が出てしまう。


「もっとゆっくり歩いた方がよかったか?」

「あっ、いえ、少し考え事をしていたら、転びかけてしまいまして」

「ちゃんと足元を見て歩け。靴を履き慣れていないんだろう」

「はい。セレス様に借りたんですが、思った以上に不安定で困っています。やはり普段通りの白衣で来るべきでしたね」

「馬鹿を言うな。ドレスや靴に慣れることを考えてくれ。会場にいる誰よりも綺麗なんだからな」

「……あ、ありがとうございます」


 恋をした私には酷な言葉が投げかけられ、心拍数が急上昇した。


 うぅ……胸が、キュンキュンする。これがアレク様の言っていた本物の愛というやつか。胸が幸せで膨らみすぎて、息が吸えない……。いや、吸うけど。


 必死に自分の感情を抑えつけ、転ばないように歩き続けていると、「すまん」「いや、悪い」「失敬」などと、アレク様が次々に知らぬ人とぶつかっている。


 異様な雰囲気を察して、顔を見てみると、熱でも出ているように顔が赤かった。


 そうだ、アレク様は体調が悪い。まだ治ってもいないのに、無理矢理パーティーに参加しているのだ。


「うーん……体温は正常、心拍数が異常に高い。熱が高まる前兆ですね」

「おい。腕から情報を読み取って、勝手に診察を始めるな」

「先ほどからフラついているみたいなので、無理しているのではないかと」

「考え事をしていたら、人にぶつかっただけだ」

「ちゃんと歩いてください。私も一緒に転んでしまいます」


 あまり人のことは言える立場ではないので、地面をしっかりと踏みしめて歩こう。


「ところで、どうしてパーティーに来られたんですか?」

「セレスに声をかけられて、断り切れなかっただけだ」

「ああ、それはすいません。私の面倒を見てもらうために、わざわざ来てくださったんですね」

「いや、ニーナのドレ……何でもない。早く国王に挨拶を済ませて、帰るとするぞ」


 何か言いかけたことが気になったが、国王様の元へやってきたため、それどころではなかった。


 アレク様の腕からパッと離れ、失礼のないように深々とお辞儀をする。


「よく来たな。宮廷薬師、ニーナ・ルベットよ」


 突然、国王様の口から私の名前が呼ばれ、頭の中が真っ白になった。礼儀なんてものは吹き飛び、過去最高の馬鹿面をお見せしている。


 なぜなら、自己紹介をしていないにもかかわらず、影の薄い私を認識しているのだ。


 宮廷薬師の服装をしていたのなら、百歩譲ってわかる。でも、ドレス姿の私をニーナ・ルベットと認識しているのは、あり得ないことだった。


 直接お会いしたことは一度もないはずなのに、どうして私を知っているんだろうか。魔草の一件で名前だけを覚えるならまだしも、顔を知っているなんて……。


 予期せぬ展開に呆気に取られていると、アレク様が肩を優しくポンポンと叩いて、現実に引き戻してくれた。


「おい、国王に何か返事をしてやれ」

「えっ?! あ、はい。あ、あの……!」


 どうしよう。国王様に無礼なことをやってはいけないのに、何も思い浮かばない。とりあえず、挨拶をしないと!


「ご、ご、ごきげんよう」


 パーティー会場が、一瞬だけ鎮まった。


 挨拶の選択ミスである。


「此度の一件は、実に素晴らしい活躍だったと報告を受けておる」


 国王様が受け流してくれたので、ホッと安堵した。


 アレク様が『気を付けろよ』という眼差しを送ってくるが、『本人の前で国王と呼んでいいんですか?』と聞き返したい。


 しばらく国王様のありがたい言葉をちょうだいしていると、話が終盤に差し掛かったのか、顔付きが変わった。


「ニーナ・ルベットよ。此度の褒美に其方は何を望む」


 待ってました! と声に出したいくらいには、胸が高鳴っている。国王様が直々に褒美を聞いてくるとなれば、それ相当のものがいただけるだろう。


 母の治療費、実家を立て直す経営費、贅沢な暮らしができる大金。小さい頃からお金に悩まされてきた私には、頭の中にそれしかない……はずだった。


 でも、私がいま望むものは――。


「王城で行なっている薬草菜園の規模を拡大させてください」


 少しでも平凡な日常が続いてほしい。今はまだ、アレク様と過ごす幸せな日々を噛みしめていたい。


 お金は稼げばいいが、幸せな時間は今しか訪れないのだから。

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