第32話

 薬師訪問を終えた二日後、アレク様とラルフ様の言葉が頭の中をグルグルして、煮え切らない思いで朝を迎えていた。


「婚約者はラルフ様になる予定……なのになー」


 もちろん、まだ婚約者と認められたわけではない。でも、私がアレク様と婚約できるはずがないのに、どうしてラルフ様に応援されているんだろうか。


 それに、アレク様も体調不良の影響か、いつもと違って様子が変だった。


 まだ付き合いが短いとはいえ、アレク様が微笑んでくれたのは、あれが初めてのこと。あの嬉しそうな表情と、手を握られた時の懐かしい気持ちが頭から離れない。


 まるでアレク様の手を知っていたかのような不思議な感覚……と、感触を思い返していると、不意にガチャッと鍵の開く音が聞こえる。


 思わず、ベッドからバッと起き上がるが、そこに期待した人はいなかった。


「ようやく起きたのね」

「ああー……セレス様でしたか」

「なによ、残念そうな顔ね。せっかく今日の建国祭を誘いに来たのに、そういう顔をするのね」

「ち、違います。お会いできて嬉しいですよ。セレス様が来てくださると思ってなくて、驚いただけです」


 必死に場を取り繕うが、嘘をついているわけではない。こうして友達になったセレス様が訪ねてくれることは、本当に嬉しいのだ。


 まあ、影の薄い私にとって、建国祭はタダの休日でしかないのだけど。


「ニーナのことだから、夜会の準備もギリギリで済ませようとすると思って、朝のうちに様子を見に来たのよ」

「来てもらって申し訳ないんですけど、参加する予定はありませんよ」

「意外ね。ニーナのことだから、夜会で出る食事をコンプリートする、とか言い出すんだと思ったわ」


 短い付き合いなのに、私の性格をよくご存じですね。でも、理想と現実は違うんですよ。


「私も宮廷薬師一年目の時は参加しました。でも、人が多すぎて料理に近づけなかったんです」


 大勢の人で混雑する夜会に紛れると、人にぶつからないように避けるだけで精一杯だった。


 なぜなら、私の存在に気づかないので、みんなが僅かに空いたスペースを求めてぶつかってこようとするからだ。


 四方八方からの移動攻撃に耐えられず、あの日は豪華な食事を断念した。私がタダ飯を断念するほどなのだから、もはやパーティーというのはトラウマである。


 よって、絶対に参加したくない。


「でも、今年は強制参加よ。国王様の元へ挨拶に行かなければならないわ」

「ちょっと耳が悪くなったかもしれません。国王様に挨拶へ行け、と聞こえてしまいました」

「あってるわね。そう言ったんだもの」


 い、いったいどうして。思い当たる節は……ある! むしろ、一つしか考えられない!


「とても驚いているところ悪いけれど、魔草の一件が大きくなりすぎたことが原因よ」

「報告書を提出して、無事に終わったはずなのに」

「仕方ないわ。この国で魔草が発見されるのは、十二年ぶりだったんだもの」


 やっぱり魔草が原因だったか。冒険者ギルドで騒動を起こした以上、変な噂が広まり、国王様の耳に入ったのかもしれない。


 よく考えれば、いや、よく考えなくても、私が合同部隊の隊長に担ぎ上げられたのは、明らかにおかしかった。でも、冒険者ギルドに圧力をかけていたと思えば、納得がいく。


 宮廷薬師の目は誤魔化せない、というメッセージになったんだろう。


 どうりで魔草の除去に冒険者たちが参加しなかったわけだ。


「私、表舞台に出たくないタイプなんですよ」

「もう遅いわよ。城下町では、凄腕の宮廷薬師が潜んでいる、っていう噂が流れているわ」

「う、嘘だと言ってください……。潜んでいる、っていう部分が私らしいですけど」

「ニーナのことだもん。当たり前じゃない」


 そんな簡単に言わないでほしい。必要以上に過大評価されると、できなかった時にクビを切られる可能性が出てくるから。


「夜会を出ないという選択肢はないんですか?」

「ないわね。魔草の被害を未然に防いで、問題を解決したニーナはいま、建国祭の立役者みたいなものよ。国王様に夜会で褒美をもらうことも仕事のうちね」

「うぐぐっ。金一封のためなら、重い足を動かすしかないか……」

「現金な子ね」

「せめて、素直な子と言ってください」


 大きな出来事になっているからこそ、金一封の中身に期待してしまう。一人なら受け取りに行きにくいけど、セレス様と一緒だったら、怖いものはない。


「でね、私も出席するんだけど、魔術師団の仕事もあって、身動きがうまく取れそうにないの。だから、本当はアレクに任せたいんだけど……」

「体調を崩してますね」

「そういうこと。私も時間は限られているから、早めに声をかけておこうと思ってね」


 影の薄い私が一人で出席しなければならないとは、なんて残酷な。パーティーに出席する知り合いがセレス様だけなんて、地獄絵図みたいなものなのに。


 でも、王城からの連絡事項をわざわざ足を運んで伝えてくれるセレス様は、とても気にかけてくれている。


 だからこそ、言いにくいことも言いやすかった。


「セレス様、一生のお願いを聞いてもらってもいいですか?」

「内容次第ね」

「ドレスを貸してもらいたいんです。実は、一着も持っていなくて」


 高給の宮廷薬師が持っていないなんて言えば、ドン引きされるのも当然のこと。


「一度、建国祭に出席したと言っていたわよね。その時はどうしたのよ」

「白衣で行きましたよ」

「本当に言ってるの? そんな浮いた人、見た記憶がないわ」

「ふっ。いつから息を殺した私の存在を認識できると思っていたんですか?」

「凄腕暗殺者みたいな台詞はやめてちょうだい。不審者を取り締まれていなかった事実を聞かされて、ちょっと悲しくなったわ」


 こっちは友達に不審者だと認定されて、とても悲しいですけどね。


 しかし、セレス様はなんだかんだで優しい。公爵家ともなれば、かなり高いドレスしかないと思うが、断るような様子はなかった。


「私のドレスを貸すのは構わないけど、けっこう派手よ?」

「大丈夫です。派手なドレスでも目立たないほど、影が薄い女なので」

「妙に説得力が出てきたわね。でも、まあ……せっかく私のドレスを着るんだし、ちょっとくらいはニーナもおめかししなさい」


 そう言ったセレス様は、不敵な笑みを浮かべる。


「磨けば光りそうな気もするのよね~。面白くなってきたわ」


 更にパーティーに行きたくなくなったのは、言うまでもないだろう。とても嫌な予感がした。

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