第31話

 ラルフ様の元へやってきた私は、いつもと同じようにベッドに座り、診察を始めていた。


 前回、治療方針を変更したので、薬と食事量が体に悪影響を与えていないか確認する。無理な負担がかかっているようであれば、料理長とコンタクトを取り、改善しなければならなかった。


 私の判断でラルフ様のベッド生活が長引く恐れがあるため、慎重な判断が迫られる。


「兄さんは大丈夫でしたか?」


 しかし、ラルフ様の心は上の空みたいで、アレク様の心配をしていた。


 どうやらメイド経由で知られたらしい。同じ屋敷に住んでいるのなら、仕方のないことだろう。


「アレク様は大丈夫ですよ。ゆっくり休んでいただければ、問題ありません」

「そうですか。約二年ぶりに兄さんが寝込むことになったので、心配しました」


 ラルフ様が心配する気持ちはよくわかる。ここに来るまで、私もずっと落ち着かなかったくらいだから。


「回復するまでに三日ほどかかると思いますので、出歩いていたら怒ってあげてください」

「わかりました。監視役みたいなものですね」


 よって、付き合いが長いこともあり、ラルフ様と意気投合する。


 悪夢にうなされていなかったとしても、アレク様が大人しく寝そうにない、という共通認識であった。


 しっかり休んで元気になってほしい。溺愛している弟に監視されるのであれば、本望だろう。


「ラルフ様も問題ないですね。体内で生成される魔力量が増えて、少し魔力が乱れやすくなっている程度です。今日だけ薬を少し強めにして、様子を見ましょう」

「えっ……。いつもより苦くなりますか?」

「心配しなくても大丈夫ですよ。飲めるレベルですから」


 子供の患者に薬を飲んでもらうため、私は薬師スマイルで無理やり明るい雰囲気を作り出す。


 しかし、効果はいまひとつのようで、ラルフ様は目を逸らした。


「苦くなることは、否定しないんですね……」

「これでも苦みの少ない薬草を選んでいるんです。我慢して飲んでください」


 兄弟そろって薬の味に文句を言ってきたため、思わず私がひねくれてしまった。


 これでは元も子もない。


 すぐさま軌道修正しようと、ラルフ様の頭を撫でて褒める作戦に出る。


「でも、頑張って食べているのは偉いですね」

「食後の薬がなければ、もう少し食べられますよ」

「薬も食事だと思ってください」


 決して甘やかすことはないが。薬師と患者の関係には、大きな壁が存在するのだ。


 しかし、私たちは婚約者になるかもしれない、という間柄でもある。


 ラルフ様も意識しているみたいで、私が頭を撫でていると、ジーッと上目遣いで見つめられた。


「ニーナ先生は、どうして薬師になろうと思ったんですか?」

「宮廷薬師は高給で有名だったからです」

「本当にお金に困って生きてこられたんですね……」


 完全に引かれているのは、気のせいだろうか。この前はポジティブに変換してくれたのに。


 まあ、高給な職は他にもいっぱいあるし、それだけが理由ではない。単純に、婚約者予定のラルフ様には言わない方がいいと思っただけだ。


 結局、言わざるを得ないような状況になってしまったが。


「他に理由があるとすれば、子供の頃に名前も知らない貴族の少年を看病した影響ですかね」

「子供の頃に、ですか?」

「はい。私が五歳くらいの話なので、あまり記憶にはありません。ただ、幼少期の良い思い出は、それくらいだったなーと」


 お母さんが病弱になった時期と重なり、地獄のような勉強生活が始まったため、あまり良い出来事だったと言えないかもしれない。


 でも、あの子を看病していた日々は、私のかけがえのない思い出だった。




 何の前触れもなく貴族の客人がやってきて、アタフタとしていたことはよく覚えている。少年が高熱を出したみたいで、私の部屋に担ぎ込まれてきたのだ。


 貧乏男爵家のうちに貴族をもてなす客間はないし、メイドも雇っていない。面倒を見れるのは私だけで、一週間ほどつきっきりで看病した。


 濡れタオルを変えて、汗で塗れた服の着替えを手伝い、ごはんを食べさせる。


 薬を飲ませる時だけは嫌な顔をされてしまい、子供の頃の私が泣いたこともあったっけ。それを見たあの子が、慌てて薬を飲んでいた気がする。


 そんな看病していた日々が楽しくて、ずっと傍にいたことは今でもよく覚えている。宮廷薬師になれたのも、あの子を看病した経験があった影響だろう。


 子供を看病する度、思い出に浸ることができるから。




「僕が生まれる前の話ですよね。やっぱり兄さんが探していたのは……」


 やっぱりこの話はやめておくべきだったか。何やら難しい顔でラルフ様が考え始めたので、嫉妬している可能性がある。


 ここは婚約者候補の人間として、しっかりと否定しておこう。


「心配しなくても、座敷童と勘違いされていましたから、何もありませんでしたよ」


 寝る場所がなくて、同じベッドで添い寝していたことは黙っておこう。子供同士が寄り添って寝ていただけで、深い意味はないのだから。


 影の薄い私のことなんて、あの子も忘れているに違いない。


「ちなみに、ニーナ先生は兄さんのことをどう思っているんですか?」

「お金持ちの男性です」

「僕が聞きたいのは、そういう答えではありません。恋愛感情を持っていたり……とかですね」


 アレク様の部屋で起こったことが頭によぎり、すぐに返答することができなかった。


 でも、私がアレク様のことを好きになるなんて……。ううん、考える必要はない。どういう気持ちでいたとしても、身分違いの恋が成立するはずはないのだから。


「ないと思います」

「そうですか。ない、と言い切らないんですね」

「……嫉妬ですか?」


 恋愛の主導権を握るため、チョンチョンッとラルフ様の心を突いてみたのだが、対応を間違えたらしい。


 なぜかニヤニヤとした笑みを向けられてしまう。


「いえ、二人で婚約すればいいのに、と思いまして。もう少し互いに素直になった方がいいですよ」


 どうしてそんなことを言われたのか、私にはわからない。ただ、なんとなく言い返す言葉が見つからなかった。


「一応、私はラルフ様の婚約者候補、なんですが」

「そうですね。でも、どちらかと言えば、姉弟……いえ、何でもないです。もう少し互いに素直になった方がいいと思いますよ」

「それはどういう意味でしょうか」

「僕の口からはこれ以上のことは言えません。ニーナ先生は、まだお仕事があると思いますし」


 薬師訪問の時間は限られているので、意味深なことを言うラルフ様にモヤモヤしつつも、薬を作りに向かうのだった。


 私がアレク様と婚約する可能性なんてないのに、と思いながら。

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