第3話 誰がために

「……クラスなしか……」



 自邸に戻り、部屋に籠もった俺は、即座にベッドに潜り込んでふて寝した。



 だがそれで事態が変わるわけも無かった。



 俺は翌朝最悪の気分で目覚めると、否応なしに昨日の出来事を思い返していた。



「……くそ……まさかこんなことになるなんて……このままではベノン親子にテスター侯爵家を奪われてしまう……」



 俺は暗く落ち込んだ未来を思い、うつむいた。



 その時、部屋の扉をノックする音が。



 俺は反射的に答えた。



「一人にしてくれ!」



 瞬間、ドアノブがガチャッと音を立てた。



 だが扉は開かなかった。



 おそらくノックをした人物はすでにドアノブに手を掛けていたのだろう。



 そこへ俺の険の立った声が降り注いだため、ビクッとして身体を震わせ、ドアノブを握った手も震えてガチャリと音がしたのだろう。



 そしてその人物は音を立てずに、今も扉の前で佇んでいる。



 俺はそう考え、申し訳なさから今度は優しげな声音でもって語りかけた。



「ごめん、アリアス。入ってくれ」



 すると少しの間を置いて、扉がスーッと音もなくゆっくりと開いた。



 案の定姿を現わしたのは、可愛らしくも目を潤ませた妹のアリアスだった。



「……お兄ちゃん……」



 アリアスがしずしずと俺の部屋に入ってきた。



 俺は再度優しく語りかけた。



「悪いな。つい声を荒らげてしまった」



「ううん。いいの……それより気分はどう?身体の方は大丈夫?」



 俺は思わず苦笑した。



「ああ、もちろん大丈夫だよ。身体の方は問題ないよ」



「……そう……それはよかった……」



 気まずい雰囲気が流れる。



 困ったな。



 なんとかこの空気を変えたいが……。



 すると先にアリアスが重い口を開いた。



「あのね……クラスがなくたって大丈夫よ。もしかしたらテスター侯爵家は出ることになるかもしれないけど、その時はその時。きっと大丈夫。なんとかなるわ」



 なんとか俺を元気づけようとするアリアスの気持ちが、俺の心に痛く染み入る。



「すまないな。気を遣わせてしまって。でも……」



 俺はそこで思わず言い淀んでしまった。



 暗澹たる気持ちが押し寄せてくる。



 この後どうなる?



 テスター侯爵家は?



 離れることになったら、生活出来るのか?



 貴族の子として生まれ、何不自由なく育ったこの俺が、庶民の様に働けるだろうか?



 不安だ。



 不安しかない。



 だがそこで顔を上げた俺が目にしたものは、目に一杯の涙を湛え、今にも崩れそうにくしゃっと歪んだアリアスの顔であった。



「ごめんな。俺が不甲斐ないばっかりに……」



「ううん。大丈夫。わたしは大丈夫よ、お兄ちゃん」



 その時、アリアスの瞳から涙がひとしずくこぼれ落ちた。



 くそっ!なんだって俺にはクラスがないんだ!



 こんなことじゃあアリアスを守ってなんてやれないじゃないか!



「……なんとかしなきゃな……」



 俺は思わずそう呟いていた。



 そして静かにゆっくりと立ち上がると、俺はもう一度呟いた。



「そう、俺がなんとかしなきゃダメだよな」






 俺が決意を胸に屋敷から足を一歩踏み出すと、そこには息せき切った男が待ち構えていた。



「……エドゥワルド……」



 そこにいたのは親友のエドゥワルドだった。



「……ジーク……」



「どうした?荒い息をして。何か慌てることでもあったのか?」



 俺はわざと偽悪的に言った。



 するとエドゥワルドが一つため息を吐いて、余裕そうな表情を浮かべて言った。



「決まっているだろう。アリアスが心配でちょっと走ってきたんだ。ちなみにお前のことは全然心配してない」



「ふん。少しくらいは心配しろよ」



 俺は少しだけ心外そうに言った。



 するとすぐさまエドゥワルドが前言を撤回した。



「嘘だ。本当は心配している」



 こいつはそういう奴だ。本当に良い奴なんだ。



「すまんな。エドゥワルド」



 俺は心底からすまなそうに言った。



「いや、俺に謝ることじゃないさ」



「そうだな。だが……」



 するとエドゥワルドが沈痛な面持ちで、俺の言葉を遮って言った。



「俺の方こそ、お前に謝らなければならないことがあるんだ」



「お前が、俺に?」



「ああ。父に……いや、国王陛下に話をしたんだ」



 エドゥワルドはこう見えて、我が国の第三王子である。



 しかるにエドゥワルドが父と言えば、それは我が国の国王陛下のことになる。



 エドゥワルドが陛下に何の話をしたんだ?



 俺のことか?



 まあそうだろうな。



 するとエドゥワルドが至極話しずらそうにしながらも、口を開いた。



「お前にクラスがなくとも、テスター侯爵家を継ぐことは出来ないかってな」



 やはりな。



 そうだろうよ。お前はそういう奴だからな。



 それで結果は……それはエドゥワルドの顔を見ればわかるな。



「ダメだったんだな?俺がテスター侯爵家を継ぐことはまかり成らんと」



 するとエドゥワルドが右手で額を覆い、苦悶の表情となった。



「……ああ。クラスなしが侯爵位を継いだ前例はないと言われた」



「そうだろうな。それが通っちゃ、貴族社会が成り立たなくなるからな」



「陛下も同じ事を言われた。だから俺は、せめてしばらくの間だけでも空位に出来ないかとお願いしたんだが……」



 エドゥワルドの顔が苦悶に歪む。



 すまんなエドゥワルド。



 苦労を掛ける。



「それもダメだったんだな。もう既に三年空位になってるからな。これ以上は空位には出来ない。これがせめて一、二年後かに必ずクラス判定が出るというならともかく、無期限じゃあな。だからこればっかりは残念ながらベノン叔父の言うとおりだ。悔しいが、これ以上空位には出来ないよ」



 エドゥワルドが沈鬱な表情で頭を下げる。



「俺の力不足だ。陛下を説得出来なかった」



「お前のせいじゃないって言ってるだろ。こればっかりは俺にクラスがないのが悪い。仕方がないさ。それより、ありがとうな。俺のために骨を折ってくれて」



「何を言う。これくらいのこと……」



「お前だって安泰じゃないんだ。これ以上俺のために何かをするのはやめてくれ。それは俺の本意じゃない」



 エドゥワルドは我が国の第三王子だ。しかもクラスは最上級クラスのハイ・キング。



 未来は順風満帆。波一つ立たない人生のように思える。



 だか実際はそうじゃない。



 決して安泰の身ってわけじゃないんだ。



 なぜなら……。



「いや、ジーク。とにかく俺はもう一度、陛下に話をしてみる」



 エドゥワルドが俺の思考を遮って言った。



 俺は反射的に反駁する。



「ちょっと待て。お前、俺の言うこと聞いていたか?これ以上俺のために動く必要は無いと言っただろう」



「そうはいかない。お前は俺の親友だ。俺は親友のために出来るだけのことはしたい」



「余計なお世話だ」



「お前が何と言おうが俺はやる。これは俺のためでもあるからな」



「お前のため?」



「そうだ。俺は、俺のしたいと思うことをやらなければいずれ後悔するだろう。だが俺は後悔なんてしたくない。だから俺は、俺のやりたいようにやるだけだ。なのにお前は、それでも俺に文句があると言うのか?」



「あるね。当人がしなくていいって言ってんの。俺のことは俺自身がやる。心配するな」



「そうはいくか。とにかく、俺はもう一度陛下に直談判する。じゃあな」



 エドゥワルドはそう言い捨てると、俺が止めるのも聞かずにサッと踵を返して走り出した。



 するとそのエドゥワルドの後を、街並みに姿を隠していた黒ずくめの四人の男たちが素早く後を追った。



 大丈夫。あれはいつもの人たちだ。つまり、エドゥワルドの護衛係だ。



 そう。エドゥワルドは常に何者かに狙われている。



 あいつも安泰じゃない。



 だから俺は、テスター侯爵となってあいつの片腕になるつもりだった。



 だがそれも……。



 いや、まだだ。



 まだ終わってない。



 ここから先は俺の努力次第だ。



 上手くいけばきっと……。



 いや、きっと上手くいくさ。



 上手くいかなければ、アリアスの未来がない。



 なんとしてでも上手くいかせなければいけないんだ!

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