第92話 枢機卿ヨハンナ

『―――で、あっさりと密偵である事がバレた、とそういう事ですね?』


 竜都に存在する至高神の神殿。かつては、多くの人々が存在し、賑わいを見せていたこの神殿も、神官たちが神聖帝国に逃げだした事により、一気に寂れを見せていた。

 そして、その中の懺悔室の中では、鈴を鳴らすような可憐な声が響き渡っていた。

 そして、その声に答えるのは、教皇庁の密偵であるデリラだった。

 彼女は項垂れながら、カーテンに覆われて顔が見えなくなる方の神父席に対して、絞り出すような声を吐き出す。



「……。申し訳ありません。この失敗は私の首で……。」


『いえ、始末する気ならすでにしているでしょう。

 それをせずにこちらに宝石を渡すという事は、私や貴女に教皇庁へのパイブとしての役割を期待されていると思います。

 貴女はそのまま、竜皇国に留まり、内部情報をこちらに伝えてきてください。

 そちらの方が、遥かに私の役に立ちます。無意味に死ぬ事は許しません。』


「……は。かしこまりました。」


 懺悔室。ここは信徒たちが許しを得るために罪を告白する場所である。

 だが、デリラのいる部屋と反対、つまり神父がいるべき部屋には誰もいない。

 その代わりに、手のひら大の水晶玉が存在し、ここから声が響いて会話している。

 つまり、ここで彼女は自分の主である教皇庁に存在している枢機卿と会話を行っているのだ。


『こちらの状況は、やはり「我らの権威に従わぬ獣の国など亡ぼすべき!」「聖戦を発動すべき!」という意見も根強いですが……。大半は様子見ですね。あんな小国がイキっている程度でわざわざそんな事をする手間が割に合わない、という感じでしょうか。』


 そこで水晶玉から深いため息が響き渡る。


『私のような女性の枢機卿が正面切って反対を行えば、逆に皆いきり立ってムキになる人々が大半でしょう。大地母神の大神殿からも強く反対されているし、あんな国にそこまでムキになる必要はない、という論調でいきましょう。』


 そう、至高神の教皇庁において、女性で枢機卿というのは極めて稀である。

 男性原理を良しとする教皇庁では、その反対の女性が上の地位に行けるのは極めて難しい。

 そして、常に冷笑と蔑みの目で見られるのが常である。そこでのしあがるためには、極めて難しい綱渡りのような物である。

 何事も慎重に行わなねばならなかった。


『それより問題はサマエル派ね。まさかサタン、サマエルを降臨させようとしているなんて……。サタンなんて降臨した日には、教皇庁大混乱待ったなしね。

 サタンが降臨して黙示録が訪れるというより、”悪魔”の活動が活発化しているので今のうちから手を打っておいたほうがいい、と説得しましょう。

 そちらから、どんどん悪魔についての活動情報を得たらこちらに回してください。』


 至高神に使える枢機卿である彼女たちにとって、竜よりも悪魔の方が遥かに戦うべき天敵である。

 権力闘争に明け暮れ、腐敗しているとされている至高神の枢機卿たちにとっても、それは看過できない大問題だった。

 最近活性化しつつある悪魔の活動に比べれば、竜皇国の存在など些細な物でしかない。


「は、了解しました。……しかし、何故ここまで竜皇国を庇う必要が?何かメリットがあるとは思えませんが?」


『ふふ、彼らには利用価値が大いにあるんですよ?例えば、最近こちらを狙ってくる放牧民の軍ですね。人馬一体の彼らは恐るべき敵であり、騎士たちといえど蹂躙されかねない存在です。』


『ですが、彼らの弓も届かない上空から大火力で魔術爆撃やブレスを吐くことができる竜たちがこちらにいたとすれば?

 彼ら遊牧民といえど、一方的に蹂躙する事ができます。ええ、彼ら竜たちは、我々にとって大いに利用価値がありますとも。』


 現実世界のモンゴル帝国を見ても、彼ら遊牧民の強さは明らかである。

 機動力に優れた騎馬軍団、最新テクノロジー兵器の導入、個々の兵の質の高さなど、その力をもって彼らは西方世界を蹂躙していった。

 だが、そこに彼らの攻撃が届かない上空から、一方的に魔術爆撃を行う戦闘機じみた存在がいたらどうなるか?

 それは彼女たちにとって救いであり、福音とも言える戦力になる。

 それに比べれば、こちらの権威に逆らっている事など些細な事だった。

 その水晶玉の声に、デリラは深々と頭を下げた。


「は、畏まりました。全ては枢機卿ヨハンナ様の見心のままに。」






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