第58話 悪魔”エイシェト・ゼヌニム”
さて、今回の戦いについて、とある存在はこう評した。
「―――血が足りませんわ。」
もっともっと人々の血を、苦しみを、絶望を舌舐りして一滴残らず味わいつくす予定だったのに、結局最小限の血しか流れなかった事に、"彼女"は酷く不満だった。
惨めに無様に血を流して死んでいく大量の人間たちを手を叩きながら喜び、流れる大量の血を飲み干して喉の渇きを癒す予定だったのに。
たったあれだけの血で終わるなど”彼女”にとっては大いに不満だった。
”彼女”の名前は、エイシェト・ゼヌニム。
俗に言われる”悪魔””魔神”と呼ばれる種族の一人である。
金髪のロングヘアを縦ロールに流し、美しく豊満な肢体をゴスロリにも見えるドレスで身を覆ったその姿は、到底悪魔などには見えない。
その身に纏った気品と美しさ、妖艶な雰囲気は、王妃でありながら娼婦のようにも見えるまさに魔性の魅力を表していた。
「さて、足りないのなら、もっともっと世を乱して大量の血を流さなければなりませんわ。そうすれば、私の喉も潤いますし、他の悪魔たちの封印を解き放ち、この世界に降臨させることができますわね。」
そうして、彼女は広大な空間に無数の拷問器具が存在している、自分の作り出したプライベートな空間から扉を開けて外に出ると、そこは、神聖帝国の地下に存在するサロン……というよりは、カルト宗教の一つ『エーイーリー』と呼ばれる拠点だった。
その地下に存在する石作りの邪悪な神殿を連想する祭壇の下には、複数の男たちが姿を現したエイシェトに対してひれ伏していた。
それは、神聖帝国の大臣たちや官僚であるはずの男たちだった。
もはや、彼女を慕うカルト宗教は神聖帝国の奥深くにまで巣食いつつあるのである。その中で、皇帝に対して悪魔と手を結ぶ事を提案した大臣の一人がひれ伏しながらおずおずと話しかける。
「エ、エイシェト様……。これで私たちは救ってくださるのでしょうか……?
竜どもや他国から我らをお救いくださるのでしょうか……。」
「ええ、貴方たちは今までとても辛い思いをしてきました。
人間だけで世界を守るのは辛すぎる。精神的に負担が大きすぎる。
ですから、もう何も心配しなくてもいいのですわ。全てを私に委ねればいい。何も不安に思う必要もない。もう難しい事など何も考える必要はないのですわ。
全てを私に委ねれば、貴方たちに”平穏”を約束しましょう。」
その彼女の微笑みと共の言葉に、巨大な地下室に集っている者たちは皆歓声を上げる。人間は安全と安定を求める物。
例え悪魔であったとしても、それをもたらす存在ならば大喜びして受け入れる。
それが人間という種族だ。そう彼女は心の中でほくそ笑んでいた。
そして、最後の最後でその平穏をひっくり返し、破滅に叩き込んだ時の人間の絶望は非常に甘美なものだった。
いつか貴方たちのその顔を絶望に変えて美味しく味わってあげるから、感謝しなさない、彼女は心の中でそう思っていた。
「それより、私が大辺境に行くプランは立ちましたの?きちんと竜たちに気づかれないように大辺境に向かえるようにしてもらわらないと困りますわ。」
「は!それはしっかりと!大辺境周辺の国にコンタクトを取って迂回した形にはなりますが、きちんと向かえるように手配はしてあります!
そして、彼女が世界に血と絶望と死を振りまくためにまず行った事は、神聖帝国を影から操って己の意のままにする事。
もう一つは、大辺境に眠るエンシェントドラゴン、混沌竜エキドナの封印を解き放つ事である。
エキドナは地脈の流れを利用して、エンシェントドラゴンロードであるティフォーネの手によって封印されている。
それは人間の魔術師などでは到底手の出る代物ではない。
だが、数千年にも渡る長年の時の流れは、封印の強度を大きく劣化しており、肝心のティフォーネもどこかへと姿を消し、息子であるリュフトヒェンも国家のあれやこれやでそこまで監視の目が届かない。
つまり、今こそがエキドナの封印開放の最適なのである。
純粋な悪魔である彼女ならば、いかにエンシェントドラゴンロードの封印とはいえ、大きく劣化した封印なら開放できるはずである。
そうなれば、世界に血と破壊が振りまかれるに違いない。
そう考えると、エイシェトの唇は今から愉悦の笑みに歪むのだった。
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