第12話 魔力と魔法



 間もなくしてアジトにはアスファレス国の警備隊がやってきた。


 通報だけしてすでにその場を離れていたルベルたちは、その光景を遠くの高台から眺めていた。

 イグナーツはこの一件に自らが被害者として関わっていたことは知られたくないという。ルベルとしても事情聴取やら何やらの面倒ごとに付き合う気はさらさらなかった。


 小屋を中心に展開していた魔法はすでに解いている。

 魔法の痕跡も綺麗さっぱり消してある。


 誰が組織を壊滅させたのかは話題になれど、そこにルベルの影を見る者はいないだろう。


 おおよそ恨みを買った誰かにやられたか、もしくは彼ら・・の標的になったかということで処理されるのが定石だ。


「……なぁルベル、ありがとな」


 慌ただしく地下へと入っていく軍服たちを見ていれば、改まったイグナーツに礼を言われた。


 いつものまるで太陽のような明るさは鳴りを潜め、今は感情が入り混じった複雑な表情をしている。


「気にしなくていいよ。君のほうが災難だったでしょ」


「俺は大丈夫。こういうの慣れてるし…」


 やはり声のトーンも若干落ちている。

 何を考えているかなんて訊かずともわかる。



 エルシアとグレイは言葉を挟まず、しばらくは無言の時が過ぎる。


 そしてぽつりぽつりとイグナーツが話し始めた。


「俺の家ってクォラ公国の貴族なんだ。代々魔導師の血筋だし、弟が一人いるんだけど、そいつも優秀な魔導師だからすっげえ将来有能視されててさ……でも俺は、長男なのに魔法も使えないから、無能だって言われてて…」


 魔法が使えて当然という環境の中で、ただ一人、魔法が使えないということがどれほどイグナーツの人生に苦境をもたらしたことか。


 しかも爵位継承が重んじられる貴族の嫡男で、その上弟は優秀ときた。

 これまで身内からどのような扱いを受けてきたかなど想像に難くない。


「こんなことに何度巻き込まれても、家のやつらはなんとも思わないし、すでに継承権は弟にあるから俺は家にとってのただの汚点でしかない。テリオス魔法学校に入れたのだって、きっと偶然だろうし、弟はAクラスなのに俺はGクラスだしさ……」


「え、弟くんもテリオスにいるの?」


「ああ。俺たちは双子だから歳は同じだしな」


 二卵性双生児だから顔はあまり似ていないらしいが、同じ年齢、同じ時間を生きてきたということは、その分余計に比べられただろう。

 持つ弟と持たざる兄。

 イグナーツにとっては想像以上に酷な状況だったのかもしれない。


「だからさ、やっぱ思っちまうんだよな。『魔法が使えたらどんなによかったか』ってさ」


 しみじみと、まるで神に嘆願するように。

 願ったところでどうにかなるわけでもないのに、そう願わずにはいられない。


「別に立派な魔導師になって家督を継ぎたいとか、そんなことは思ってねえよ。家のやつらは大嫌いだし、絶縁されたところであの家から離れられるなら大歓迎だからな。……でもさ、やっぱ魔導師を名乗るんなら、魔法が使える魔導師としての世界を見てみたいって。そう思っちまうんだよな」


 イグナーツの目には諦念が浮かんでいるが、その奥にはやはり捨てきれない憧れが見えた。

 叶わないとは分かっていても、もしも魔法が使えたら───なんてことを考えてしまう。


 ただの一般人であればそれは無理だとすぐに諦めもつくのだろう。


 だが彼は曲がりなりにも魔導師だ。

 ほんの少しでも魔法が使える可能性が残っているからこそ、余計に未練が残ってしまう。


「……ってこんな話してもお前には困るだけだよな。ごめん、忘れてくれ!」


 ニカッと笑顔を見せたイグナーツはルベルの知る明るい彼に戻っていた。


 やはり彼には笑顔がよく似合う。

 境遇は重く苦しいものだったのかもしれないが、できれば今後もそうやって笑っていて欲しいものだと素直に思えた。


「そうだね。ぼくは君を可哀想とは思いたくないから同情はしないけど、この世界に魔法という力が存在する以上、ぼくたちは魔法と共存していかなければならないのは事実だ。魔法を使える者も使えない者も、魔法ありきで物事を考えていかなければならない。それが当たり前の世界だからね」


 心の内を吐露したイグナーツに向けた言葉ではあるものの、同じように耳を傾けているエルシアやグレイに対しての言葉でもある。


 ルベルにとっては等しく将来有望な若者に対する先人の知恵。


 彼らの将来がどのようなものになろうとあまり関係はないが、やはり好感を抱いた彼らには、多少なりとも手を貸してあげたいと思う。

 

「でもね、こんな世界ではあるけれど、魔法だけがすべてじゃないんだよ」


「……?」


「君たちにとって今日の戦いはどうだった? 魔法が使えないという誰にとっても平等な状況下で、君たちが目指すちゃんとした魔導師はどうだった? 少なくとも、手に負えないほど強いとは感じなかったはずだ。現に君たちは彼らを倒している。ひとつ条件を変えてあげるだけで、魔導師なんて途端にただの人間になるんだよ」


「………そんなの、そういう状況をつくれるあなたがいる時だけの話でしょう。ほとんどの戦場において、魔導師の優位は揺るがないわ」


「それはそうだね。でも君たちだって今日実感したはずだよ。魔導師は決して万能ではないってことをね」


「それは……」


「魔法は確かに強力な力になる。でも魔力が切れれば魔法は使えないし、体は生身のままなんだから剣を当てれば傷がつく。魔法を抜きにすればあとはそれぞれが持つ純粋な強さだけがものをいうんだから、今回については得物での戦いが優れている君たちの方が強かった。魔導師なんて実は君たちが考えているよりもずっと脆いんだよ」


 魔法が使えない者は必要以上に魔導師を恐れるが、そこには魔法には叶わないという固定概念が大きく作用しているだけに過ぎない。

 だからその考えさえ取り除いてあげれば、魔導師という存在はぐっと近くに感じられるようになる。


「魔導師だからといって、必ずしもその道を選ばなければいけないわけじゃない。強さも、生きる道も、ひとつじゃないんだから、自分が求めるものは自分で選べばいい」


「……自分で、選ぶ…」


 これを説いた本人もれっきとした魔導師であることを考えれば、持たざる者の気持ちも知らずになに上からものを言っているんだと詰りたくなるものだが、相手がルベルとなるとそうは思わないのだから不思議なものだ。


 三人は素直に納得できた。


「その上で言わせてもらうけど。君たちは魔法を使えるよ」


「え、」


「…は?」


「マジで……?」


 三者三様、それぞれがルベルを凝視した。


「当たり前だよ。だって君たちの体には魔力が流れてるんだから」


 しれっと言ってのけるルベル。

 嘘を言っているようには見えない。揶揄っているわけでもない。


 その言葉に含みはなく、ただ本当のことを事実として伝えているだけ。


「今の段階で魔法を使える魔導師と使えない魔導師の差なんてただひとつ。魔法の使い方がわかっているかいないかだけだよ」


「…使い方?」


「魔力を持つ者には等しく魔法を使える権利がある。もちろん魔導師として成長するためには相応の努力と技術を要するよ。でもね、魔力を魔法として放出するだけなら才能なんて関係ないんだよ」


 そもそも魔力を持って産まれただけで魔導師になるための資質としては十分だ。


 これも『魔力はあるのに魔法を使えない場合もある』という固定概念によって可能性を狭めているだけのこと。


 基本的には体に魔力が廻っていれば魔法は使える。

 こんな初歩的な魔法観念も、今ではすっかり忘れ去られているのかもしれない。


「でも、いくらやっても魔法なんて出てこなかったけど…」


「君たちは一番最初、誰かに魔法を教わった? それとも独学?」


「俺は家が雇った家庭教師に」


「私は周りにいた魔導師ね」


「俺も」


「そっか。じゃあ君たちが今魔法を使えなかったのはその教え方が悪かっただけじゃない?」


「教え方って……そんなんで魔法が使えなくなったりすんのかよ」


「魔力なんて人それぞれ性質が違うんだから、教科書通り一辺倒な教え方をしてたら例に漏れる子たちが出てくるのは当然だよ」


 魔力の扱いというのは世間一般的に思われている以上にデリケートなものだ。

 人それぞれ魔力との付き合い方はあるし、頓珍漢な方法を取れば魔力は反応してくれない。


 不思議と世の中にはそういった魔法学に関する知識が出回っていないのだ。

 だから教育機関でもセオリー通りの教え方になる。


 魔力や魔法に関しては各国目下研究中ではあるのだろうが、果たしてその研究結果が日の目を見るのはいつになることやら。


 ではなぜルベルがそんな最先端とも言える魔法知識を持っているのか。

 そんなこと、本人が誰にも言わないのだから誰も知る由がなかった。



 ルベルにとっては当たり前のことでも、彼らにとっては常識を覆すような新しい見解。

 今まではただ漠然と魔法の才能がないと自らを卑下していただけだったが、実はそうではないという。


 慰めでもなんでもない。

 客観的事実だけを述べるルベルに、随分と気が軽くなるのを感じた三人の表情は自然と笑みが浮かんでいた。

 



 ◇ ◇ ◇



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