生きるため「静かな塩水」

生焼け海鵜

エピローグ

 私達は笑っている。しかし、それが何の為なのか分からない。ここが何処なのか分からず、仰向けに寝そべり、やはり私達は笑っている。


 世界をあざ笑うかのような笑い声は、この花畑の空間に響き広がった。神に除け者にされた”それ”とは無縁のように笑い飛ばしている。


 とにかく笑っている。

 

 私達の体はズタボロだ。骨は折れ、肉体は腐りかけている。なのに、この世界に希望を見出し必死に掴もうとあがいている。


 この世の中は残酷で、時に優しい。当然その道には壁があってそれは死を表す。そんな事は、この世の中に産み落とされた時点で、痛いほど理解している。理解してもなお、概要を無視し生きている人間。


 この世界の戦に敗れ、倫理にも敗れた。これは皆同じな事。


 いずれ死ぬ。しかしそれが、今なのか明日なのか、はたまた数年後なのか、その違いだけ。死とは、机上空論に過ぎない。私達は少なからず、そう思っている。死んでもなお貴方の心の中に生きているのは、当の本人なのだから。無論、世界は違う。


 生きていると死んでいるは、大きな差があって、またそれにより世界線が変わってくる。ただそれが矛盾している事には変わらず、それを世界は無理やり受け入れる。


 大きな矛盾を抱える人間。火力発電もそうだ。二酸化炭素を排出したくないのは、多くの人間の思想だ。しかしそれら、電気代が上がらない事を建前としている思想。


 いざ、再生可能エネルギーを使用して発電、運用をするのであれば、苦情の嵐だろう。


 そんな愚かな人間がどれだけ愚かなのか到底、量り知れない。なぜなら私も人間だから。


 偽善空論。

 皆が大好きだ。

 有言、無実行。


 だが、私たち違う。地面を握りしめ宙に浮かぶこの世界に生きている。どれだけの骨を折り、絶望に染まろうともこの生き方は止めない。私達は未来に進み続ける。


 だが、人は金塊しあわせが大好きだ。同種族の人間さえも薙ぎ倒し、金塊に向かって進む。


 それが多くの人間の性。


 人を嘲笑って、人を貶し踏みつける。しかし、絶望に染まり失望しまえば歩けなくなる。足も折っていないのに、たちまち歩けなくなる。


 足も折っていないのに、動けなくなる。


 私達も生きることが金塊と言われれば、そこまでだ。


 所詮は、私も人間。

 偽善と空論の塊だ。


 それも面白いほどに。


 強欲で怠け者で、偽善者で。

 でも、悪くは無いと思っている。

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