第2章 二日日 第1話 道の駅
小春は朝の八時頃、身支度を終えると健一と光代の手伝いをしていた。光代が次々に惣菜やお弁当を作っては、それをパックに詰めていく。そして健一が、専用のプラスチックケースに入れてミニバンに積み込んでいく。これから道の駅に行き、光代が作った惣菜やお弁当を納品することになっているのだ。
紅楽荘の仕事は、宿泊客への対応や食事の提供だけではない。宿泊客はいつも来るものとは限らないため、宿泊客がいないときにも収入を得られるよう、道の駅で惣菜やお弁当を納品している。そしてその売上も、収入となっている。そして道の駅が営業している日は、毎日のように惣菜やお弁当を作り、道の駅で販売しているのだ。小春も紅楽荘に来た時は、この手伝いをするのが恒例になっていた。
「小春ちゃん、何しているの?」
冬華が、台所で作業している小春に声をかける。
「これから、道の駅にお弁当とお惣菜を届けるんです」
「お弁当とお惣菜……?」
冬華は惹き寄せられるように、惣菜とお弁当が入った箱の中を覗き込む。そこに詰め込まれていたものを見て、冬華は目を見開いた。
「これ、道の駅に行けば買えるの!?」
「はい! これ以外にも、道の駅に行きましたら、他の旅館が出しているお弁当や、お土産など色々なものが売られているんです」
小春が話すと、冬華の目の色が明らかに変わった。
他の旅館が出しているお弁当。その一言が、冬華の食欲に火をつけた。
「こ、これから行くの!?」
「そうです。おじいちゃんが――」
おじいちゃんが、道の駅まで行って届けてきますよ。
小春がそう云おうとしたが、最後まで云わせてくれなかった。小春よりも早く、冬華が口を開いたためだった。
「てっ、手伝うから道の駅に行こうよ!」
「わあっ!?」
突然手を握られ、驚く小春。
すると、声を聴いていた夏代と秋奈も現れた。
「小春、これから道の駅に行くんだって?」
「私も行きたーい! 道の駅といえば、ショッピング! それも珍しいものが買えるじゃない!」
「道の駅なんて、なかなか行く機会が無いからな……」
三人に囲まれ、小春は困り顔になった。ただ惣菜とお弁当を積み込む手伝いをしていただけで、道の駅に行くなんて一言も云っていない。道の駅に行くのはおじいちゃんだけで、私は道の駅に行く気など無かった。しかし、ここで自分が行かないことを伝えると、友達をガッカリさせてしまうだけになりそうだ。
さて、どうしたらいいのでしょうか……?
小春が困っていると、健一が口を開いた。
「手伝ってくれるなら、道の駅に連れていってもいいぞい」
健一の言葉に、小春たちは驚いた。中でも一番驚いていたのは、小春自身だった。
「本当ですか!?」
冬華の問いかけに、健一は頷く。
「ええぞ、ええぞ。みんなで道の駅に行くだけでも、いい思い出になるじゃろう。今日は昼前までに戻れば、ええんじゃからのう」
「そりゃあ、楽しそうね」
光代が、最後のお弁当を抱えながら、やってきた。お弁当は五つ積み重ねられていて、それが二列。合計十個のお弁当が、光代の腕に抱かれている。光代によって抱えていたお弁当は、全てミニバンのトランクに積み込まれた、プラスチックケースに入れられた。これでプラスチックケースの空き容量が無くなり、全てのプラスチックケースには、惣菜とお弁当が隙間なく積み込まれた。
「小春も、一緒に行っておいで。せっかく友達と一緒なんだから」
「おばあちゃん、お手伝いは……いいの?」
小春の問いかけに、光代はニコニコしながら頷く。
「大丈夫。まだまだ、現役なんだから!」
光代はそう云うと、ミニバンのトランクを閉めた。力強く閉められたため、ミニバンがわずかに揺れたように見えた。
「さ、準備してきなさい」
「はーい!」
秋奈と冬華が駆け出し、それに夏代も続く。
小春は少し戸惑っているようだったが、すぐに三人の後に続いた。
準備を終えた小春たちは、ミニバンに乗り込んだ。小春は財布と充電が完了したスマートフォン、そしてお守りだけを持って来た。近所のコンビニへ行く時などに持っていく、必要最小限の持ち物だ。
「よし、全員乗ったかのぅ?」
「おじいちゃん、みんな乗ったよ!」
健一の問いに、小春が答える。
健一は頷くと、シフトレバーに手をかけた。
「それじゃあ、シートベルトをしておくれ」
その指示に従い、小春たちはシートベルトをする。全員がシートベルトをしたことを確認した健一は、そっとアクセルを踏み込んだ。ミニバンが動き出し、紅楽荘の敷地から道路へと出た。
道の駅に到着するまで、それほど長い時間は掛からなかった。紅楽荘から車で二十分の所にある道の駅『清流の里 神山』に到着すると、小春たちはミニバンから降りた。
「わーっ、広いね!」
秋奈が、何台も車を停められる広い駐車場に、驚いていた。都会では、めったに見ることができない広い駐車場。空も青く晴れ渡り、小春たちは広い空間に感嘆していた。
すると、健一が台車を押しながら戻ってきた。
「さて、これから納品じゃ。手伝っておくれ」
「はーい!」
ミニバンの後部ハッチが開けられ、小春たちは惣菜とお弁当が入ったプラスチックケースを、次々と台車に載せていく。台車にプラスチックケースが全て載せられると、健一はハッチを閉めて、ドアをロックした。
「納品してくるから、小春たちは遊んでおってええぞ」
「いいんですか? そんなにたくさん積んでいては、重くないんですか?」
夏代が台車を見て、健一に問う。台車には大量のプラスチックケースが積み上げられ、前方の視界も、あと少しで妨げられそうだ。とてもヒョロっとした七十過ぎの老人が、押して進められるようには見えない。
「毎日配達しておるから、大丈夫じゃよ。ほれ、小春も友達と一緒に遊んできてええぞ」
「おじいちゃん、ありがとう!」
小春の言葉に健一は頷き、道の駅の奥へと台車を押していった。重そうな荷物を載せた台車を推す姿に、小春たちは驚きつつも、健一を見送った。
「……それじゃあ」
秋奈が、口を開く。
「何があるか、見て行こうよ!」
「賛成!」
「面白そうだな、行くか」
冬華と夏代が同意し、秋奈に続く。
「あっ、待ってください!」
小春も慌てて、続いていった。
道の駅の中では、すでに何人もの人が買い物をしたり、休憩スペースで休憩したりしていた。道の駅に来たのは久しぶりだったが、小春はいつも不思議に思うことがあった。旅館が数件しかないこの田舎の神山村に、どうして立派な道の駅があって、こんなにも人が集まるのか。小春には疑問だった。観光地でもなく、歴史的な名所や名物などは何もない。それなのに、神山村の道の駅は人で溢れている。どこかに行く途中で、立ち寄っているだけなのかもしれないと、考えた。
小春が歩いていると、秋奈が口を開いた。
「わっ、神棚!?」
秋奈の視線の先を見ると、地元の特産品が展示されている場所に、立派な神棚が置かれていた。神棚はいくつも種類があり、それぞれに値段がつけられている。
「へぇ、これは珍しいな」
夏代も驚いたらしく、神棚を見つめている。
「どうして神棚が特産品なんでしょうか?」
冬華も首をかしげている。三人とも、どうして神棚が特産品で置かれているのか、分からないようだった。
しかし、小春だけはその理由を知っていた。
「実は、神山村はヒノキやスギなどの、いい木材が採れるんです」
小春は神棚を見つめながら、そう云った。
「その木材を使って建築用の木材を生産したり、木工品を作ったりしていたんですが、神棚を作るのにも適していたことから、神棚を作って売り始めました。その後、全国から注文が来るようになったんです。おじいちゃんの話では、漁師町などでは毎年神棚を新しくするらしく、そういったところからの需要がとても多いんだそうです!」
小春は一息置いてから、続けた。
「そして今では、神山村の特産品になったんですよ!」
「小春ちゃん、さすがよく知っているね~」
秋奈が感心した様子で云う。
「全ておじいちゃんからの、受け売りです!」
「でも、さすがに今の私たちに、神棚は必要ないな」
夏代の指摘に、小春たちは頷いた。確かに神棚は、十代半ばを過ぎた少女が買い求めるものとしては、あまりにも不自然だ。
「神棚だけじゃなくて、他にもいろいろあるよー!」
秋奈が指摘する通り、他にも様々なものが特産品として置かれていた。木工品、お茶、神山村で栽培された果物を使った銘菓などが並んでいる。お土産になるものから、普段食べるお菓子まで並んでいるという、充実ぶりだ。
「ここで、しばらく自由時間にしませんか?」
小春の提案に、三人は頷いた。
「それはいいな」
「じゃあ、お土産でも買っていこうかな?」
「まだ早いよ、それよりも美味しいものを……!」
「では、三十分後にあの休憩スペースに集合ということで、いかがでしょうか?」
小春が指し示した先には、イスとテーブルで構成された休憩スペースがあった。テレビも置かれていて、テレビはニュースを流し続けている。近くに自動販売機や道の駅のスタンプ台も置かれていて、人で賑わっている。
三人は頷いた。
「じゃあ、また後で!」
「お土産お土産ーっ!」
「美味しいものが、食べたいです!」
夏代、秋奈、冬華がそれぞれ散らばっていく。
小春は三人を見送ってから、自分も何か欲しいものがあるかもしれないと、道の駅を物色し始めた。
「いやー、楽しかったねぇ……」
三十分後、買い物を終えた小春たちは、休憩スペースに座っていた。
夏代と秋奈はお土産を買い、小春と冬華は食べ物を買った。小春はアイスを楽しみ、冬華は大盛りの焼きそばを口に運んでいた。
「冬華ちゃん、暑いのにどうして焼きそばにしたのー!?」
秋奈の問いに、冬華は応える。
「うーん……なんかこう、焼きそばって家で食べるよりも、こうした道の駅とかで食べたほうが美味しく感じられるから……かな?」
「あっ、それ分かります!」
小春が身を乗り出す。
「高速道路のサービスエリアとか、夏祭りの屋台の焼きそばって、美味しいですよね!」
「それは私も分かるな。どうして美味しく感じるのか、興味深いな」
「あーっ、私も食べたくなってきちゃったー!」
小春と夏代の言葉に、秋奈は食欲を刺激されていた。さらにちょうどその時、休憩スペースに置かれているテレビの画面に、料理が映し出されていた。テレビの画面を見ながら、秋奈は財布を開いて中身を確認し始める。
「私も、焼きそばを買ってこよう……!」
「秋奈ちゃん、紅楽荘に戻ったらお昼ですから、もうちょっと我慢しておいたほうがいいですよ」
小春の言葉に、夏代も同意した。
「そうだな。大食いの冬華はともかく、秋奈だと胸焼けして、せっかくの美味しいお昼が食べられなくなるかもしれないな」
「大丈夫、大丈夫!」
秋奈は笑顔で答えた。
「年頃の女の子なんだから、おやつは別腹!」
いったい、どこが大丈夫なんだろう。そう云っておきながら、学校では午前中におやつを食べて、お昼にお弁当とにらめっこをしているというのに。
小春は普段の秋奈のことを思い出しながら、テレビの画面に目を戻した。
「えーと、ひいふうみい……」
秋奈がお金を数え始めた直後、テレビの画面がニュースに切り替わった。政治や国際情勢、事件のニュースなどが読み上げられていく。それらは小春たちにとって、少しも興味をそそられない、退屈なものだった。
『それでは次に、地域のニュースをお伝え致します』
ニュースキャスターがそう云うと一礼をして、ニュースを読み上げ始めた。
『連日の晴天の影響により、化野にあります化野ダムの水位が下がり、ダム湖の底が一部表面に現れました』
そのニュースに、小春は注目した。化野ダムといえば、神山村の近くにあるダムだ。確か昨夜、おじいちゃんの怪談話で最後に話してくれたのも、化野ダムの怪談話だった。
『化野ダムの底が現れるのは、一九四四年のダム完成後から初めてのことで、現在化野ダムはダム底を見に来た観光客で賑わっています』
ニュースを聴きながら、小春は健一が昨夜話していた怪談話を思い出していた。化野ダムの底にはかつて村があったと云っていたけど、ニュースでは化野村なんて単語は、一度だって出てこなかった。もしも本当に村があったのなら、少しは触れてくるはずだ。ダム底に沈んだ、かつての村の名残りが映し出されてもいい。やっぱり、おじいちゃんの怪談話は作り話だったんだろう。
でも、ダム底が見えるなんて、そうそう滅多にあることじゃない。ダム自体、そんなに行ったことが無い。だけど今は、夏休み中。そして友達もいて、時間もたっぷりとある。少なくともあと三日は、この神山村に居るのだから。ダム底を見に行くというのも、面白いかもしれない。きっと、いい思い出になるはずだ!
小春はすっかり、ダム底を見に行くという気持ちになっていた。
だけど、今日は難しいかもしれない。お昼には戻らないといけないし、午後からは暑さも厳しくなってくる。暑くなる中、ダム底を見に行くのは辛い。それに肌も焼けてしまう。海に来たわけでもないのに、肌を焼いてもどうしようもない。それにあんまり日焼けをしてしまうと、お肌にも良くないのだから。
「皆さん、明日は化野ダムを、見に行ってみませんか?」
小春が三人に向かって問う。
「化野ダムで、初めて底が見えるまでに、水が干上がったみたいなんです。化野ダムならここから近いですし、日帰りで行けます。いかがですか?」
その提案に、三人は頷いた。
「面白そうだな。賛成だ」
「いいねー! 初めてダム底が見えるなんて、記念すべきことじゃないの!」
「ダムといえば、ダムカレー! 食べてみたかったんだよね~」
夏代、秋奈、冬華がそれぞれ頷きながら答える。
満場一致で化野ダムを見に行くことが、決まった。この夏は、これまで以上に貴重な体験がいくつもできる。友達と一緒のお泊り会に、さらに初めて見えたダム底を見に行く。去年まではどれもこれも、体験できなかったことばかりだ。なんて運がいいのだろう。
そのときだった。
「おーい、小春ーっ?」
健一の声が耳に届き、小春は辺りを見回す。
少し離れた場所に、健一がいた。
「おじいちゃん! こっち!」
小春はイスから立ち上がり、手を振る。そろそろ、道の駅から紅楽荘に帰る時間だ。きっとおばあちゃんが、美味しい昼食を作って待ってくれているはず。
健一が気づくと、小春たちのいる休憩スペースに近づいていった。
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