化野村とお稲荷さん

ルト

プロローグ 10年前

「かみさま?」

「そうよ。産土様っていうのよ」

 聞きなれない言葉に、幼い少女が首をかしげる。

「うぶすなさまって?」

「生まれた地域と、そこで生まれた人を守ってくれる神様のことよ」

 少女の問いかけに、少女の手を引く女性が答える。女性の顔は、ちょうど太陽と重なっていて、少女からは女性の顔がよく見えなかった。

 少女は女性に手を引かれながら、石段を一段一段、ゆっくりと登っていく。小さな少女の少女には、その石段はまるで壁のようにさえ思えた。

 それでも一段、また一段と少女は登っていく。女性は少女の手を優しく引き、共に石段を登っていく。立ち止まることはない。立ち止まったとしても、女性はなんとしても石段の上へと連れていこうとする。

 少女は石段を登り続け、ついに最後の石段を登り終えた。

「わぁ……」

 石段の上に広がる景色に、少女はため息をつく。

 真っ赤な鳥居が、いくつも並んでいる。まるでおとぎの国に続いているようだ。

 女性に手を引かれて、少女は鳥居の行列の中を進んでいく。鳥居の中に入った途端、さっきまで聞こえていた虫の声が聞こえなくなり、風の音しか聞こえなくなったような気がした。いったい、この先には何があるのか? 少女は不思議に思いつつも、鳥居の中を進んでいき、最後の鳥居を潜り抜けた。

「おみやさん!」

 少女は前方にある、小さな神社を指さして叫ぶ。

「そう、おみやさん。ここの産土様よ」

 女性は少女の言葉に、優しく答える。ひときわ大きい真っ赤な鳥居の奥に、神社は佇んでいる。少女は女性に手を引かれながら、赤い鳥居をくぐろうとする。

 しかし、少女の足はそこで止まった。

「どうしたの?」

「怖い……」

 女性の問いかけに、少女は震える声で答える。

 握り返す手の強さで、女性は少女が本当に何かを恐れていると悟った。

「なにが、怖いの?」

 女性は怒ることなく、そっと少女に尋ねた。

「あれ……」

 少女が指し示す先には、狐の石像があった。なるほど、少女から見ると、あの石像が睨みつけているように見えるのかもしれないと、女性は考えた。狐の石像は、左右に対になって置かれている。目つきはたしかに険しい。

「大丈夫よ」

 女性は少女の頭を、そっと撫でる。

「顔つきは確かにちょっと怖いけど、とっても優しいのよ」

「本当……?」

「そうよ。あの狐さんは、産土様のお使いなの。あのお顔は、睨んでいるんじゃないの。ここに来た人が、いい人か悪い人かどうかを、見ているのよ」

 女性はそう云うと、立ち上がって狐の石像の片方にお辞儀をした。そのまま体の向きを変えて、反対側の狐の石像にも、同じようにお辞儀をする。

 少女は、それを不思議そうな目で眺めていた。

 お辞儀を終えた女性は、少女に向き直った。

「こうして、産土様だけじゃなく、狐さんにもお辞儀をするの。そうしたら、狐さんは『この人たちは悪い人じゃなくて、いい人なんだ』と理解して、守ってくれるの。さ、やってごらん」

「……うん!」

 少女は、対になっている狐の石像の片方に向き直り、お辞儀をした。それから反対側の狐の石像にも、お辞儀をする。不思議なことに少女は、先ほどまで狐の石像に対して抱いていた恐怖心が無くなり、気持ちが落ち着いていった。

 女性は、それを感じ取ったらしい。明るい表情になった少女に優しく微笑むと、再び少女の手を引いて、歩き出した。

 狐の石像の間を通り、女性と少女は神社の前に立つ。

「はい、五円玉」

 女性は財布から五円玉を取り出し、少女に手渡した。少女の目の前には「浄財」と書かれた賽銭箱が置かれている。

「この箱の中に、お賽銭を入れるのよ」

「うん!」

 少女は説明に頷くと、女性と共に五円玉を賽銭箱へと投げ入れた。

 女性が鈴を鳴らし、ゆっくりと二礼二拍手一礼をする。少女も同じように、二礼二拍手一礼をした。大きめの拍手と、小さめの拍手が境内にこだまする。

 最後の一礼をしている間、境内が水を打ったように静かになった。少女はその間、不思議な気持ちに包まれた。

「……さぁ、行きましょう」

 女性の声で、少女は顔を上げる。

「社務所で、お守りを買ってあげるわ」

 女性は少女の手を引き、神社の境内にあるが、神社から少し離れた場所にある社務所へと歩いていく。神主が常駐していないため、お守りは並べて置かれ、横にある箱にお金を入れるようになっていた。そこでお守りを貰った女性は、お守りを少女に手渡した。

「はい、お守り。産土様のお力が込められているから、どんなときも、災いから守ってくれるわ」

「ありがとう!」

 思いがけないプレゼントに、少女は笑顔でお礼を告げる。

 再び神社の前に戻ると、茂みから二匹の白い狐が飛び出してきた。

「わぁ、きつねさん!」

 思いがけない出会いに、少女は叫んだ。白い狐なんて、今まで見たことが無い。少女は夢中になって、近づこうとした。

 しかし、二匹の白い狐はすぐに、神社の縁の下へと姿を消してしまった。少女は縁の下を何度も覗き込んだが、そこには真っ暗な空間しか見えなかった。

「きつねさん、いなくなっちゃった……」

 少女が残念がっていると、女性がそっと少女の肩に手を置いた。

「良かったわね。神社で動物に出会えるなんて、めったにないことよ」

「どうして?」

「神社で、人以外の動物に出会える。それは、神様に気に入ってもらえた、サインのようなものと云われているのよ。それにさっきの白い狐さんは、きっと産土様のお使いよ。何かいいことがあるはずよ」

 女性からそう云われて、少女は無性に嬉しくなっていった。

「いいこと、きっと、ある!」

「そう、きっといいことがあるわ。産土様にお礼を云って、帰りましょうか」

 女性の言葉に、少女は頷いた。

 神社の前で再び、一度お辞儀をしてから、少女は女性に手を引かれて帰り始める。

 そして、少女が狐の石像の前を通ったときだった。


 ――また、おいで。

 ――いつでも、君を待っているッスよ。


 どこからともなく、若い男の声が聞こえてきた。

 少女は驚いて振り向くが、そこには誰もいない。

「どうしたの?」

女性が、少女に声をかける。少女の目は、狐の石像に向けられていた。

「また、来るね! バイバーイ!」

 少女は満面の笑みで、狐の石像に向かって手を振る。

 不思議そうな顔をする女性に手を引かれながら、少女は真っ赤な鳥居の行列を進んでいき、石段を下りていった。

 少女と女性が去っていった後、神社の境内は無人となり、静寂が辺りを支配した。心地よい日差しと風が吹き抜けていき、しめ縄の紙垂を揺らした。

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