マヨナカノ

くらんく

本間陽太郎と中野葵

「マヨって付くものは素晴らしいわ。ツナマヨ・からしマヨ・明太マヨ。ああ、どれもこれも心が躍る響きね」


 彼女はコンビニで調達したおにぎりを頬張りながら微笑んだ。その笑顔はただの食事にしてはやけに楽しそうで、僕の傍らに転がるビデオカメラに収めたいと思った。


 彼女の名前は中野葵なかのあおい。僕と同じ高校の生徒。他には何も知らない。彼女を見たこともない。彼女も僕を知らなかった。


「私のマヨ好きは相当なものよ。人は私をマヨ・ナカノと呼ぶの」


 当然初耳だ。そもそも彼女とは初対面なのだから。


 僕が彼女と出会ったのは今日の夕方。道に迷っていたところを助けてもらった。いや、一緒に迷ったといった方が正しいだろう。彼女は俗に言う方向音痴だった。


 一緒に街を彷徨った。彼女が歩くたびに、鞄に付けられたいくつかの鈴の音が辺りに響き渡っていて、僕たちはその音に遮られまいと大きな声で会話をした。


 彼女が学校に行きたいと言ったから、相当な時間をかけて歩き、コンビニに寄ってからここに来た。そしてその時、彼女が僕と同じ学校の生徒であると知った。


 隣の彼女に視線をやると、おにぎりを一つ平らげたところだった。僕の視線に気づいた彼女は指の塩気を舐めとりながら嬉しそうに笑いかける。


「夜の学校って一度来てみたかったの。しかも屋上でご飯も食べられるなんて最高ね!」


 初めての経験に興奮気味に話す彼女と同じ考えを持ってはいるが、僕は彼女ほど純粋に楽しむことはできないでいた。


 屋上から見渡す校庭は、通学路は、街は、暗くて違う世界のようで、今ここにいることが夢なんじゃないかと錯覚させる。


「陽太郎は将来の夢ってある?」


「将来の夢……?」


 突然の質問に言葉が詰まる。


 僕の夢は映画監督になることだった。

 みんなを感動させる映画を撮りたい。

 みんなを笑顔にしたい。

 それが僕の夢だった。


 朝起きたらその夢もどこかに消えていた。

 世界から人が消えていた。


 家の中にも、外にも、道にも、街にも人はいなかった。


 誰もいない世界は映画やドラマのセットのようで、僕はビデオカメラを片手に走り回った。


 普段は入れない場所、普段は人で賑わう場所、普段は気にもならない場所。撮って撮って撮りまくった。


 そして気付いた。


 この映像を見る人がいないことを。僕の映画を見る人がいないことを。喜ばせる相手なんてどこにもいないことを。


家に帰ろう。明日になって目を覚ましたら元の世界に戻っているかもしれない。ベッドに潜り込み、目を閉じて、耳を塞いで過ごそう。


明日が駄目なら明後日、来週、来年でも、いつかきっと戻るはずだ。


僕は夢のようなこの世界から目を逸らし、現実へと逃げ戻ろうと考えた。


しかし、何とも間抜けな話だが、家に戻る道が分からない。


無我夢中でビデオを撮って、ここがどこかも分からなくなっていた。


目印になるものを求め、宛てもなく彷徨っていた時、遠くの方で歌声が聞こえた。


僕しかいないこの世界で聞こえたその声に、僕は吸い寄せられるように近付いた。


赤茶色の長い髪を揺らしながら、彼女は車道の真ん中をランウェイのように軽快に進み、気持ち良さそうに美声を震わせていた。


誰もいない世界で一人歌う彼女は、荒れ地に咲く一輪の花のようで、気付いたら僕はカメラを向けていた。


片足を上げ、舞うように回った彼女は、背後にいた僕に気が付いた。


彼女の歌声は止まり、世界が静寂に包まれる。


それを打ち破ったのは、彼女が地面を蹴る音だった。


「待って!」


逃げる彼女を追いかけて走り出す。ずれる眼鏡を外し、握りしめるように手に持って懸命に走り続けた。


その時間は意外なほど早く終わった。


20メートルほど走っただけで、彼女は息を切らせ、脇腹を押さえて天を仰いだのだ。


「びっくりさせてごめん。僕以外に人がいるとは思わなくて……」


彼女は疲れからか恥ずかしさからか、しおらしい態度を見せていた。


五分後の僕は、そんな彼女の姿が懐かしいと思うほど彼女と打ち解けていた。


彼女の気さくな人柄故だったと思う。


彼女もまた、世界に自分一人だと思い、街へと飛び出したのだと言う。単純な思考に二人で笑いあった。


二人で道に迷いながら街を見て回った。僕と違って彼女はずっと楽しそうだった。


夜になって彼女が学校に行きたいと言った。


その時の彼女の声は、鞄についた鈴の音にかき消されそうなほど小さく、震えているような気がした。


僕たちは学校を目指して歩いた。途中のコンビニで自動ドアを力ずくて開けて、食料を調達した。


校門の柵を越え、職員室の窓を割り、屋上の鍵を盗んで、学校の最も高い場所に辿り着いた。


始めて感じる達成感と背徳感だった。


 こんなこと元の世界ではきっとできない経験だろう。

 

 この世界でしかできない経験が他にも沢山あるだろう。


 だけど、この世界では僕の夢は叶わない。


 今の僕には夢はない。


「私の夢はね、学校に来ることだったの」


 彼女は僕の答えを聞く前に自身の夢について話し始めた。彼女の独白はどこか寂しそうでもあり、どこか嬉しそうでもある。


「この学校、今まで一度も来たことなかったの。不登校なのよ、私」


 予想外だった。たしかに彼女を学校で見たことは無い。


 しかし、見かけたとしたら強く印象に残るだろう彼女の赤茶色の髪の毛。もしかしたら彼女の不登校はその髪が原因なのかもしれない。


「だから本当は夜じゃなくても学校に一度来てみたかったの」


 彼女は先ほどの自身の言葉に隠した嘘を訂正する。


「一人じゃここに来る勇気が無かったの。一緒に来てくれてありがとう」


 泣きながら笑う彼女のその言葉に、何と返せばいいのか分からなかった。


「きっと元の世界だったらできなかったと思うわ。対人恐怖症だったから」


 彼女は長い髪を撫でながら、遠い目をして言葉を続ける。


「私この世界が気に入っているの。夢が叶ったし、あなたにも会えた。こんなに話をしたのは久しぶりなの」


 だから彼女は楽しそうだったのか。街を歩くだけでも、人と話すだけでも、食事を共にするだけでも、彼女にとっては夢のような時間だったのかもしれない。


 彼女と違い、僕にはもう夢がない。


 ならせめて、たった一人の他人である、彼女の夢を叶えよう。彼女だけを感動させ、彼女だけを笑顔にしよう。


 現実から目を背ける彼女と、夢から逃げ出したい僕のたった二人だけの世界。それがいつまで続くか分からないが、僕は彼女の手を取って歩いていこう。


 僕は真横に座る彼女の手を握って空を見上げた。暗い校舎から見た月はとても綺麗だった。


 彼女はいつもの笑顔を浮かべ、その手を強く握り返した。


 僕たち以外誰もいない世界で、彼女は太陽のような笑顔を見せた。


 それはきっと、暗すぎてビデオカメラには映らないだろう。


 他の誰も見ることは無い、僕にしか見えない君の笑顔。


 ああ、君の言うとおりだった。


 マヨと付くものは素晴らしい。


 君の笑顔を独り占めできる。


 そんなが好きだ。

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