闇踊

lampsprout

闇踊

 寂れた村外れの墓地に、1人の青年が辿り着いた。財産も身寄りも無い彼は、荒野を当て所なく何日も放浪してきたところだ。疲れ果て座り込むと、遠くから零時を告げる教会の鐘が聞こえてくる。微睡みかけた青年はふと、

 ――ごとり、

 と重たい音を聞いた気がした。辺りを見渡せば、大きな枯木の根元に真新しい石棺が置いてある。その蓋がどうやら少しずれていた。なぜ墓に埋められず放置されているのだろう。青年は不思議に思った。

 そのままじっと見詰めていると、重厚な蓋がさらにずるりと動く。今更のようにぞっとした青年は慌てて棺から距離を取り、茂みの陰に隠れた。

 そうこうしているうちに棺の蓋はすっかり開き、中から人影がゆらりと立ち上がった。シルエットから推察するに、影の正体はドレスを纏った女性のようだった。

 人影は棺から歩み出ると、墓地の真ん中でくるくる踊り始めた。しかし衣擦れの音も、足音もしない。明らかに此の世の存在ではなかった。青年は恐怖に震えながら神に祈った。逃げ出そうにも足は棒のようでどうにもならない。その上どういうわけか、踊り続ける人影から目を逸らすことが出来なかった。

 優美に、艶やかに、影は踊る。くるくる、くるくると幻想的に。欠片の生気も漂わせないままに。

 どれくらいの時間が経ったのだろう。青年がそう考え始めたとき、よく澄んだ鐘の音が響いてきた。1時を数える鐘だった。すると、人影は静かに棺へ戻り、蓋が独りでに閉じていった。その晩は、それ以上何も起こらなかった。


 次の晩のことだ。あの人影はまたしても、くるくると滑らかに舞っている。その近くで青年が相変わらず身を隠していると、別の青年がやってきた。青年は自分のことを棚に上げ、こんな夜更けに墓地にくるとはどういうやつだと考えた。よくよく見れば、やってきた青年は立派な剣を腰に提げていた。身なりもどことなく品があり、位の高い貴族か武人のようだった。

 その貴人はやはり茂みの方へ足を向け、しかし途中で小枝を踏んだ。

 ――パキン、

 という音が静寂を打ち砕く。

 すると、人影が貴人の方に視線を寄越したように見えた。そうして踊りを止めて貴人に近寄ると、首元に優しく手を掛ける。……そして、ごきりと首を捻ってしまった。

 それは青年の潜む茂みの目の前だった。近くで見た人影は、上等のドレスを身に着けた姫君だった。微かな月明かりに、古びた宝石がきらきら輝く。

 息を呑む青年のほうを、ふと姫君が振り返った。じっとり見詰められて、青年は生きた心地がしない。額を冷汗が滴り落ちていく。

 必死で悲鳴をこらえていると、また1時の鐘が鳴った。姫君はすっと正面に向き直り、倒れた貴人に見向きもせず、棺へと帰っていった。

 ……翌朝、貴人の死体はどこを探しても見つからなかった。


 また次の晩、青年はまだ茂みの陰にいた。昨夜の姫君が忘れられなかった。今晩も零時になると、棺の蓋が開き姫君が踊り始める。魔物のような美しさに、青年はすっかり魅了されていた。

 ところが、長い間見惚れているうちにとうとう物音を立ててしまった。葉のざわめきを聞き取った姫君が、踊りを止め、じりじりと青年に迫ってくる。その身から滲み出すのは、紛うことなき死の気配。

 真っ直ぐ伸ばされた黒い手が青年の頬をなぞり、ひんやりとした感触が走る。眼前にあるはずなのに、面立ちは影に覆われて一切見て取ることが出来ない。冷たく硬い指が、ゆっくり青年の首に掛けられた。

 ――そのとき、1時の鐘が高らかに鳴り響いた。いつものように姫君はぴたりと動きを止める。そのまま何時間とも思える時が過ぎ、突如として姫君に変化が起きた。

 冷たかった腕に体温が宿り、闇色だった面に美しい顔立ちが現れた。首を捻ろうと掛けられた両手は青年の背に回り、そっと抱き締めた。身を離した姫君は柔らかに目を細め、青年の瞳を覗き込む。

 ありがとう。姫君の唇がそう動いた。

 何世紀も昔のような、時代遅れの衣装を身に着けた姫君は儚げに微笑むと、沈黙のままに灰と化し消えていった。

 ――戸惑い立ち竦む青年を、幻のような三日月が見下ろしていた。

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