猫の手借用書

和登

猫の手借用書

借用書 

『ミケ殿

猫の手一年分

貴殿より上記のものを借用いたしました。

相当分の返済を〇〇年3月末迄に行うことをここに記載します。 ケンゾウ』


こげ茶のハンチング帽に黒の外套という身なりの人物がそう書かれた紙を持ってケンゾウの前に立ちはだかっていた。ケンゾウの家はその先にあり立ち止まらざる得ない。


「ミケさんの使いでね、借りた分を返してもらいたいんだよね。期限がさ、もうすぐなんだよ」


筆跡はケンゾウのものであり、ご丁寧に拇印まで押してある。しかしだ


「確かに以前、俺が飲み屋からの帰り道で紙ペラに書いてやったさ。でも猫の手もなにもこなかったぞ。それで返せなんて言いがかりなんじゃないのか?」ケンゾウは事実を述べた。


ミケの使いはやれやれと言った風に首を振る。白いマスクのせいで表情はわからない。

「あんた、彼女ができたんじゃないかね」まだ寒い夜にもかかわらず、ケンゾウの小さめな額に汗が滲む。「…脅しのつもりか?」

「出会った時のこと、思い出してみなよ。彼女はなんて声をかけてきた?」

「何って…『さっき猫を見かけませんでしたか』って、まさかそれが猫の手?」思わず質問をしてまう。相手はウンウンと頷いている。


ケンゾウは最近いやに調子よかったことに気づく。


「徹夜で準備してた資料が起きたら完成していたのも?」

「猫のアートワーク、評判良かったろ」


「最近バスに乗り遅れなくなったのも?」

「ボタン式信号って押してもなかなか変わらないのに赤になるの早いよな」


「ふと目の前に落ちてたキーホルダーを拾ったらとっても感謝されたのも?」

「猫が持ってくと何かと障るだろ」


「なんか気になった飯屋が大当たりだったのも?」

「あそこの店主、まかないがうまいんだ」


「彼女と一緒に引いたおみくじが末吉だったのも?」

「あそこのおみくじは大吉か末吉しかないよ」


あれらがみんな猫のおかげ?運が良ければそれくらいのこと


「返済と言ったって、あたしら猫にちいっとばかし感謝の気持ちを示してくれればよかったのけれど、あんた全く、自分のおかげか運が良いだとか言っているからね。厳しいンじゃないかってなったんだけど、どうなんだい」

すたすたとミケの使いがケンゾウとの距離を縮める。ケンゾウは相手を目端にとらえながら踵を返して走った。


訳がわからない。ケンゾウはただ逃げたい一心で公園に入った。しかしそこは暗く人もいない。いや気配はある。周囲を見回すと光る目が取り囲んでいることに気づく。その数は5、10、20はくだらない数で他にももっと近づいているように見えた。


「確かに最近、俺は運が回ってきたのかと思っていた。でも猫だぞ?それが本当に効果があるものだなんて思わない」


光る目はジリジリとケンゾウを取り囲む「ナニシテモラオウカ」「マズハケヅクロイデショー」「テヅクリオヤツモイイネ」ミャアミャアという音の中に声が混じっている


「待ってくれ、俺は犬好きなんだ!猫の相手なんてこんな、俺なんかにやらせなくたって…!」


「やれやれ、今度からは軽々しく『猫の手も借りたい』なんて言っちゃあいけないよ。わたしたちは撫でてほしい時にひと撫でしてもらえば充分な謙虚な生き物なのに、そのくらいの感謝すらできないようならカネで解決できるニンゲンに頼めば良かったじゃあないか」


大量の目に囲まれて、もう俺はボロボロになるんだとケンゾウは覚悟した。


「え、あれ?猫ちゃんがたくさん!」甲高い声が響く


「マズイ」「モコモコニサレル」「スワレタクナイスワレタクナーイ」光る目たちが散り散りになっていく


「ケンゾウくん、さっきいっぱいの猫ちゃんと遊んでいなかった?」彼女は無類の猫好きだったが、相思相愛ではないらしかった。猫の使いを名乗る人物も消えていた。


ケンゾウくんはいつも猫と縁があるんだね。そう笑う彼女をみながらケンゾウは次に猫に出くわした時ついて考えるのだった。


おわり

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猫の手借用書 和登 @ironmarto

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