【KAC20229】猫に恩返し

ゆみねこ

猫に恩返し

 おいらの名前は讃岐。この山の主の配下の孫であるただの狸だ。

 おいらは今ちっとばかし困った事になっちまっててよ、助けて欲しいことがあるんでい。


──と何度心の中で願ったことだろうか。


 讃岐は猪用の捕獲罠にハマってしまってから早二日、誰の助けもなく飯も何もない状況でただじっとして過ごしていた。

 山の中でも時に大食漢である讃岐は空腹で背中と腹がくっつきそうな感覚に見舞われていて、今にも死にそうになっていた。


「だ……誰かぁ……。助けて、くれぇ……」


 今にも死んでしまいそうなか細い声をあげて、必死に助けを求める姿は死ぬ間際の人間、狼に噛まれている羊そのもの。酷くて目も向けられない。

 誰でもいいから助けて欲しい、それが讃岐の思いだった。


「誰か……」


 讃岐の意識は落ちる寸前でもう声は誰にも届かないほど小さく成り果てている。肝心の助けにも声が届かない。

 そんな状況に陥った時だった──


 どこからかカサカサという音が聞こえた。誰かが落ち葉を踏み抜いたのである。

 人間か、動物か。それに讃岐の命運が掛かっていた。そして、近付いてきたのは──


「アンタ、何してんの?」


 キリッとした瞳と野良なのにいつも整った毛並みが特徴の普段から誰ともつるんでいない一匹猫だった。

 讃岐はこの猫の事をよく知っている。種族は違うが、彼女の魅力に惹かれて遠巻きによく見ていたのだ。無論、猫は讃岐の事を知らないのだが。


「た……けて、くれません、か?」

「あ? 別にいいけど」


 そう言うと閉まっていた扉を軽々と開けてくれた。

 そして出てきた讃岐の事を見回して、言葉を続けた。


「大分弱ってるね。これ食べな」

「……!」


 猫は首から下げているカゴに入っていた食料を全てくれた。

 讃岐はそれに直ぐ様、食らい付いて食べ終えてしまった。残ったのは食べカスだけ。


「気をつけなよ」


 すっと振り向くと猫は讃岐に背を向けて立ち去ろうとした。

 その背中を逃すまいと讃岐は走って言った。


「ありがとうございます。礼をさせてください!」


 さっきまで死にかけていた事なんて忘れて走った。全ては猫に礼をしたかったから。

 しかし、流石に食べたばかりではエネルギーを得られていない。すぐにバランスを崩して転んでしまった。


「別に礼なんていいよ。──元気になりなね」


 そう言うと今度こそ立ち去っていってしまった。讃岐は追いかけたくても追いかけることが出来なかった。

 ただ、どこまでも広がる青い空を見上げるだけ。この時、讃岐は思った。


──絶対に恩を返そうと。



★☆★☆★☆★☆



 おいらの名前は讃岐。この山の主の配下の孫であるただの狸にして、今は猫だ。

 何を言ってるか分からねえと思うからおいらが説明してやるぞ。


 おいらは特異個体と言ってちっとばかし特別な狸なんでい。どこが特別かって、頭に落ち葉を乗せると思い描いたものになれるってわけさ。

 それを利用しておいらは猫になっている。


 どうしてかって? そんなの、あの愛しの女神様にお礼をするために決まっているだろう。

 野良猫の村は多種族に対して迫害的だ。彼女に近付くには狸の身体ではいけねぇ。そこでおいらの力の発揮どころなんでい。


 猫になれば、こんなにも簡単に門番を抜けることが出来る。やはり、おいらはあの女神様にお礼する運命にあるんだ。


 そんなこんなしているうちに、讃岐はあの一匹猫の住処までたどり着いた。美しい猫とは対称的な見窄らしい住居。

 家の周りも整備されていなくて雑草は好き勝手に生えているし、屋根にも大きな穴が空いていて屋根としての役割を果たしていない。


「ごめんくだせぇ……」


 讃岐は中に立ち入った。中からは何の反応もない。

 外に出ているのだろうか、そう思って外に出ようとすると中からか細い声が聞こえた。


「どちらさんでしょうか……?」


 一匹猫の声ではない。あの猫よりも遥かに年老いていて、酷く衰弱して今にも死んでしまいそうな声だった。

 讃岐は恐る恐る住居に入っていった。そしてそこにいたのは老婆の猫。どこかあの一匹猫に似ている。


「おいらは讃岐と言いやす。貴女は?」

「私はシャー。見ての通りの老ぼれ婆さんさ」


 そう言っているシャーはもう身体が弱っていることは諦めているように首を振って鼻を鳴らした。


「讃岐さん、貴女はどんな用でここにきたんだい?」

「おいらはお宅の娘さんにお礼をしに来たのさ」


 讃岐はこのシャーがあの一匹猫に母だと見抜いた。まず家に住んでいることもあるが、何よりもシャーはあの一匹猫に似ていた。


「娘……レディアにかい? けどあの子は誰とも関わっていないはずだけど……」

「それが──」


 讃岐は一切の偽りなく、一匹猫──レディアとの間であった事を話した。

 シャーを信頼して、自分が狸である事も打ち明けた。すると──


「一週間前……そういえばあの子、道端で転んでしまって今日は殆ど持って帰って来れなかったって言っていたけど、まさかそんな事をしていたとは……」


 レディアは本来、シャーに与えるはずの食料を讃岐に分け与えてしまったらしい。

 つまりあの日、シャーはほとんど食料を食べられなかった。それなのにシャーは嬉しそうだった。


「あの子は私が全てだったからねぇ。他にもちゃんと優しさを出せる子に育ってくれて私はとっても嬉しい」

「そうだったんか」


 シャーは何らかの理由で一匹でいるレディアの事を心配していたのだ。

 だからこそ、娘がしっかりと育ってくれて嬉しい。親として当然のことだった。


「貴方はレディアに恩返しをしたいと言っていたね」

「はい」

「じゃあ、一つ頼みがある」


 シャーは告げた。自分が病にかかってしまっている事を。レディアはそんな彼女を看病するために誰とも関わらずにただ一匹で過ごしていると。

 そして讃岐への頼みはレディアの手助けをしてやる事。レディアを楽にしてやることだった。


「承知した、シャーさん。おいらはレディアを楽にする!」

「私の所為でこんな事になってしまっている。本当に感謝するよ……」


 シャーはそのまま眠りについた。どうやら体調はギリギリなようで起きているのも厳しかったらしい。

 讃岐はシャーをベットに寝かせて、作業を始めた。



★☆★☆★☆★☆



 あれから一年と少し、シャーは死んだ。讃岐とレディアが見守る中、笑顔で逝った。

 讃岐もレディアも泣いた。二人で身体を寄せ合って、シャーの死を悲しんだ。


 初め、レディアは讃岐の力を借りずに看病しようとしていたが、讃岐は無理矢理手伝った事で認めてもらい、やがて打ち解けた。

 最後にはシャーの家族として一緒に泣くぐらいになったのだから。


 レディアは知らない、讃岐があの時の狸であると。何故なら、レディアに礼を済ませたら消えようと思っていたから。

 これでレディアとはさよなら。元々種族の違う二匹の動物。悲しいが、最終的には別れがある事に讃岐は気づいていたからだ。


「さよなら……」


 そして、讃岐はレディアの元から去った。願わくば、幸せな生活を送ってほしいと願いながら。

 野良猫の村を出て、変身を解除して駆けた。これでレディアは自分に気付く事なく、やがて忘れて、普通に過ごすようになる。


──そう思っていたのだが。


「讃岐!」

「……!?」


 狸の村まで道半ばという所で、レディアは讃岐の名を呼んだ。──気付いていたのだ、讃岐の正体はあの時助けた狸であると。

 そして、レディアは言った。


「アタシはこれからもアンタと暮らしたい……だからどこにも行かないで……」

「けど、おいらたちは種族がちげぇ。君は猫でおいらは狸だ」

「そんなの関係ない。アタシ達三人は一年、ずっと一緒に過ごした。楽しかった……お母さんの看病をすることだけが生き甲斐だったアタシに他の奴と関わる面白さを教えてくれた」

「なら、他の猫と関わればいい……」


 レディアの願いはとても甘美で、引き寄せられてしまう。けどダメなんだ、別の種族同士では。


「アタシはアンタが好きなの。面白くて優しくて、ちょっとバカで、けどやっぱり優しいアンタが!」

「……!」


 讃岐はレディアの元に駆け寄った。もう自分の気持ちに嘘はつけなかった。


「おいらもだ。おいらもレディアのことが大好きだ……けど、一緒に暮らせば……」

「別にいいじゃないか。多少の苦楽を共にしてこそだよ。アタシは讃岐と暮らしたいの」


 種族を超えた繋がりはいずれ、両者に苦しみをもたらす。それでもその苦しみを一緒に乗り越えたいと言ってくれるのであれば、おいらは一緒にいよう。

 この優しい、優しい一匹の猫と共に。


──おいら達は結ばれて、いつまでも一緒に暮らした。苦しささえも楽しさの糧にして、おいら達はいつまでも、いつまでも一緒に暮らした。

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