夏休み約束編⑤~豆玉挑戦~
店員さんがテーブルの中央にある暖められた鉄板の上に、湯気の立っているお好み焼きを3つ置いてくれた。
半分に折りたたまれたように焼かれており、間から金時豆がはみ出ている。
「いただきます」
お腹が早く食べろと催促してきたため、俺は熱々のお好み焼きをいただくことにした。
考えていたよりも金時豆が大きくて、甘い味とソースの味が口の中で混ざる。
「うまい……」
「本当だ、美味しい」
「よかった!」
夏美ちゃん一口食べて驚いており、不思議そうにお好み焼きを見つめていた。
田中先生も美味しいと言いながら笑顔で箸を進めて、瞬く間に食べ終わってしまう。
満足してお店を出ると、軽く磯の香がする生暖かい風が頬をなでる。
食事の余韻と適度な疲労感を覚え、見慣れない街へ目を向けた。
(ようやく徳島で観光らしいことをした気がするな……)
徳島へ入ってから1時間もしないうちにお遍路を走っていたので、こういうことができて嬉しい。
田中先生が会計を終えて出てくるので、支払いをしてくれたお礼を言う。
「田中先生、ありがとうございます。ごちそうさまでした」
「いいのよ。それより、あなたはこれからどうするの?」
「どうとは?」
「泊まる場所よ。確保したんでしょ?」
「もちろんです。なんの問題もありません」
「そう、よかったわ」
田中先生が安心したように胸をなで下ろし、ホテルへ戻ろうとしていた。
俺はスマホの画面をちらっと見て、中断時間の確認をする。
「では、俺は行くところがあるので、失礼します」
「そう、また明日ね」
「はい」
田中先生は手を軽く上げて見送ってくれるものの、夏美ちゃんは俺のそばから離れない。
何かを思い詰めているのか、夏美ちゃんは俺の腕を取り田中先生を見る。
「真さん、先にホテルへ戻っていてください! 私は一也くんとデートをしてきたいです……」
最初こそ勢い良く言っていたものの、最終的に夏美ちゃんは顔を赤くしてうつむいてしまった。
俺と夏美ちゃんの様子を見た田中先生は、微笑みながら腕時計を見る。
「佐藤くん。21時には夏美を返してね」
「わかりました。時間を守ります」
「じゃあ、楽しんできなさい」
「ありがとうございます」
田中先生が立ち去るのを見送っていたら、腕をつかむ夏美ちゃんが赤い顔になりながら口を開く。
「ごめん一也くん、迷惑……だったかな……」
「そんなことないよ。徳島にいる間はエスコートするから任せて」
「ありがとう……」
子犬のような目を向けられていたので、思わず頭をなでてしまった。
人の目が多い場所でなんてことをしているのかと感じてしまい、夏美ちゃんの頭に乗せていた手を引っ込める。
なぜか寂しそうな顔をするものの、俺の腕にひっついてきた。
夏美ちゃんは俺たちの周りを歩いている人がこちらを見ているのを気にしていない。
「どこへ連れていってくれるの?」
「夜景がきれいな【びざん】って所に向かうよ」
「そんな場所を知っているの?」
「彼氏についてスマホで調べていたんだけど、徳島のこともついでにね」
こんなところで調べたことが役立つなんて思っていなかった。
デートをするためのピッタリな場所へ夏美ちゃんを案内する。
「彼氏について調べたってどういうこと?」
街を歩いているときに夏美ちゃんが首をかしげて、先ほど俺が言ったことを詳しく聞いてきていた。
誤魔化すこともないので、俺は本当のことを夏美ちゃんへ伝える。
「彼氏なんて生まれてから1度もなったことがなくて、何をすればわからないから調べていたんだよ」
「1度もないの!?」
夏美ちゃんが意外そうな顔で俺に彼女がいなかったことを驚くので、逆に質問をすることにした。
「ないけど……夏美ちゃんは誰かの彼女になったことあるの?」
「……ないよ」
「彼女ってなにをするのかわかる?」
「えっと……ごめん……」
夏美ちゃんに謝らせてしまったので、何も悪いことはないと【安心】させてあげる。
「夏美ちゃんはなにも悪くない。それよりも、あれが眉の山って書いて
「なんで眉なの?」
「どの方向から見ても眉の形に見えるからって理由みたい」
「一也くん本当に徳島にくるのが初めてなの?」
夏美ちゃんは俺からすらすらと出てくる徳島の情報を聞いて、困惑している様子だった。
こんな顔を見られただけでも成果としては上々なので、気分が良い。
「夏美ちゃんの彼氏役をやるために準備をしてきたからね」
「彼氏……」
最後につぶやいたまま夏美ちゃんが黙ってしまったので、俺はなにも焦らせることなくゆっくりと眉山に近づく。
展望台に向けてテレポートを行い、徳島の夜景を夏美ちゃんへ見るようにうながした。
すると、夏美ちゃんが俺の腕をつかむ手に力を込めてくる
「彼氏役って延長できる?」
「延長?」
「うん。その……できれば……ずっとがいいんだけど……」
「それは……」
恋愛経験のない俺でも、夏美ちゃんが何を伝えようとしているのかわかった。
(俺は今、告白をされている!?)
花蓮さんや真央さんに続いて、夏美ちゃんにまでも好意を寄せられている。
嬉しい思いがあるものの、その気持ちにこたえられないため、肩を持って優しく俺から離した。
「ごめん。延長はちょっと難しい」
「そっか……理由を聞いてもいい?」
「俺はやらなきゃいけないことがある。それを達成するまでは、特別な人を作らないようにしたいんだ」
嘘偽りなく夏美ちゃんの言葉に返答を行う。
自分の拳を躊躇なく振るうためには、雑念を捨てなければならない。
(強くなることが最優先にならなければいけないんだ)
今も夏美ちゃんの彼氏役だからエスコートしているものの、そうじゃなかったらお遍路イベントを優先させていた。
なぜか変更されたクエストでは、格を上げることなく俺を強くしてくれている。
「そっか……一也くんは迷っていないんだね」
「迷わないよ。まだまだ倒さないといけない敵がいるんだ」
「うん……ちょっと1人で夜景を見てもいいかな?」
「わかった、俺は向こうへ行っているね」
「ありがとう」
夏美ちゃんを展望台に残して、少し離れた。
遠目でもわかるくらい夏美ちゃんの体が震えており、時々ハンカチで顔をぬぐっている。
(泣かせちゃったか……彼氏失格だな……)
彼氏が彼女を泣かせるのはNGと書かれていたため、やはり今の自分では恋人を作れないことを自覚した。
そんなことを考えていたら、夏美ちゃんが俺をにらみつけながら歩いて戻ってくる。
俺の前で立ち止まり、深く息を吸っていた。
「約束通り徳島にいる間は一也くんが私の彼氏だよね! この期間であなたに私を彼女にしたいって思わせてあげる!」
「え、ええ……」
なぜか夏美ちゃんから決意表明をされて、言われた内容に戸惑ってしまう。
瞳に力強い光を宿した夏美ちゃんは、んっと言いながら手を俺の前に差し出す。
「えっと……なにをすればいいの?」
「真さんに言われた時間に遅れそうだよ。ホテルへ帰りたいな」
あどけない笑顔を俺へ向けてくるので、俺は優しく手を取った。
「わかったよ。送らせていただきます」
「うん。よろしくね一也くん」
なぜか俺の名前を呼ぶ夏美ちゃんがいつもよりも可愛く見えてしまう。
心の中で疑問を持ちながら、夏美ちゃんをホテルの前まで送る。
「じゃあ、お休み夏美ちゃん」
「一也くん、そこにごみがついているよ」
「え? どこ?」
「そこだよ」
夏美ちゃんが教えてくれるものの、自分についているというごみがどこについているのかわからない。
よく見るために服を持ちながら顔を近づけると、甘い香りとともにやわらかい感触が頬から伝わってくる。
「嘘だよ! お休み一也くん!」
夏美ちゃんが顔を真っ赤に染めながらホテルへ帰っていった。
突然受けた頬の感触が忘れられず、その場に立ち尽くしてしまう。
(これは……嬉しいし恥ずかしい……)
自然にキスをされた頬へ手をそえて、夏美ちゃんが入ったホテルへ顔を向ける。
すると、スマホが震えているのに気が付いた。
「もしもし?」
「一也さん、明日も早いので寝たいんですけど、いつまで【マロン】を預かっていればいいですか?」
「……今すぐ受け取りに帰るよ」
「ふわーっ……よろしくお願いします」
本当に眠いのか、レべ天があくびをしながら電話を切ってきた。
最後にホテルを一目見て、豆狸にマロンという名前が付けられたのかと思いながらレべ天の家へワープをした。
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