猫の手はよく借りる

ふさふさしっぽ

猫の手はよく借りる

 猫の手も借りたい……とっても忙しいとき、どんな手伝いでもいいから欲しいことのたとえだが「猫」に失礼なたとえだと思う。


 まるで猫が普段何の役にも立たないようなたとえではないか。


 猫は万能だ。


 それにとっても忙しいときに猫の手を借りても、多分色々滅茶苦茶にされもっと忙しくなるだけだ。


 私の飼っていた猫はもうすでに虹の橋を渡ったが、今でもよく手を借りる。

 辛いとき、悲しいとき、思い出すのだ。あのとぼけた顔を。あの泰然とした「何ですか?」と言わんばかりの顔を。

 思い出すだけで癒され、元気が出る。乱れていた心も落ち着く。

 猫の自由な生き方を思い出すと、失敗も大したことないように思え、くよくよ落ち込むのも馬鹿らしくなる。

 何をするにもやる気が出ず、自分の生きてる意味について無駄に考え出すときも、猫を思い出すだけで「それもいいじゃないか、なんでもいいじゃないか」と思えてくる。

 休日何もしないで一日が終わっても「猫は毎日何もしない」と思えば自分なんてまだまだだと思える。


 小説を書く際にも、猫の手を借りることがある。

 どんなに頭をひねってうんうん考えても何のアイデアも思い浮かばず、にっちもさっちも行かないとき「猫」を題材にすればなんとか書ける……気がする。

 気がしますよね?

 猫はネタに困ったときの救世主だ。


 もちろん物理的に猫の手を借りるときもある。

 私が猫を飼っていたときは……


 猫を撫でて和む。

 猫のお腹を枕にして休む。

 猫にちょっかいをかけて叱られてふふってなる。

 猫を見て元気になる。

 猫がいて嬉しい。

 猫が可愛い。

 猫だ。


 など、猫の手を借りっぱなしだ。だから猫の手も借りたい、なんて猫に失礼なのだ。猫が傍にいると、人間は自然と猫の手を借りている。猫に貸してる自覚はまったくないだろうが。


 私の飼っていた猫は虹の橋を渡って遠くへ行ってしまった。だけど傍にもいて、私に今でも猫の手を貸してくれる。


 本当に、私は猫の手をよく借りている。


 

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