猫の手を借りたその後は

杜右腕【と・うわん】

第1話

 ——ニャーン、ニャーン

 ——ミャーオ

 ——ンニャーオ、ンニャーオ

 ——シャー!

「ああ、はいはい、ご飯でしょ? 分かってますよ。今、準備してますから、もうちょっと待ってください。それと、そこの三毛さん、何で私を威嚇してるんですか?」

 忙しそうに走り回っているのは、白の小袖に緋の袴と云う典型的な巫女装束に、袴と同じ緋色の襷を掛けた十六、七の少女。あちこち走り回る度に、後ろに一まとめに垂らした山吹色の長い髪が揺れ、それに合わせて、同じ色のふさふさした尻尾も左右に揺れる。そして頭の上にはやや大きめの三角耳がピコピコ動いている。

 ここは関東某所の稲荷神社の社殿に設けられた炊事場。大量に焼いた鰯を解してご飯に混ぜ込み、更に薄味で炊いたおからを合わせた物を二抱えもありそうな巨大な飯台に入れ、ボートのオールのようなしゃもじでかき混ぜながら冷ましている少女の足元には、十数匹の猫がまとわりつき、なぜか一匹の虎縞は飯台の向こうから少女を威嚇していた。


 ——ミャッ、ミャッ

 ——ウニャウニャウニャウニャ

 ——ウミャーン

 ——チャッチャッ


 いくつもの平鉢に盛り付けた餌を炊事場に所狭しと並べ、更になみなみと水を張った丼も傍に置くと、少女は炊事場を出て、竹箒と塵取りを手に境内に向かった。


 カンカンカンカン!


 少女が箒の柄で塵取りを叩く。

 秋の穏やかな日が差す境内で日向ぼっこをしたり、落ち葉を追いかけて遊んだりしていた十匹ほどの猫が、その音に反応して動きを止めてこちらを見る。


「ご飯が出来たよ! 早く行かないと無くなっちゃうよー!」


 ——ニャーニャーニャ―!

 ——ミー!


 猫たちが一斉に炊事場に向かうのを見届け、少女は大きく溜め息を吐いた。


「どうして、こんなことになったかなあ」


 時は遡り、今年の夏。

 お盆で地獄の釜の蓋が開いた際に、名も知れぬ魔物がこの世に現れ、この巫女の周囲を透明で巨大な繭で覆い隠してしまった。

 不意を突かれた巫女の少女——その正体はこの神社に祀られる神の眷属であり、この地を護る霊狐——は、成すすべもなく閉じ込められてしまった。

 繭は霊力の攻撃を吸収してしまう。包丁で切りつければ傷は付くが、すぐに修復されてしまう。

 このままではこの地域が魔物にやられてしまう。悲嘆にくれていたそのとき、


 ——飯を食わせてくれれば、手を貸すよ。


 霊狐の脳裏に声が響いた。

 目をやると、繭の外に年古としふりた三毛の猫。よく見ると尻尾が二股に分かれている。いわゆる猫又と云う奴だった。

「ごはんぐらいお安いものよ! 手伝って!」

 思わずそう言うと、猫又は大きく


 ——うにゃーお!!


 と叫んだ。

 すると、その声に応えて後から後から猫が集まり、気が付けば三十匹近い猫が一斉に繭で爪を研ぎ始めた。


 ——カリカリカリカリ


 繭の中に響く音とともに、繭の根元に次々に穴が開く。猫たちの爪とぎは凄まじく、繭の修復能力も間に合わず、やがて地面と切り離された瞬間、霊狐は風を集めて繭を上空に吹き飛ばした。

 そしてその繭を避けて体勢を崩した魔物を、霊狐は霊破光線で撃ち落とし、この町の危機は去った。

 町の危機は去ったが、今度は神社に危機が訪れた。主に財政面の。

 確かにご飯を食べさせると約束した。


「でも、まさか集まった猫全部に、毎日毎日だとは思わないわよ。何か騙されたような気分だわ」


 巫女姿の霊狐が、鳥居の上に寝そべる三毛の猫又に愚痴る。

 猫又は気怠そうに尻尾を二度振ると、むくりと起き上がりると鳥居の上に腰を下ろし、片方の前足を持ち上げて、眼下に広がる街並みに向かって招くように振った。


「招き猫又? これで何か良いことがあるの?」


 ——あんたにゃ、仲間たちが世話になってるからね。


 そう言うと、猫又はまた横になって寝てしまった。



 その後。

 確かに良いことはあった。


 たまたま訪れた参詣客がSNSに上げた、境内のあちこちにたむろする猫の写真がバズって、猫の写真を撮りに来る人が増え、お賽銭も以前とは比べ物にならない金額になった。お蔭で餌代には困らなくなったが、なぜか猫の数も増え、それに伴って餌作りに掛かる手間も増えていて、休む間も無い。

 更に、奇特な方からベンチやキャットタワーの寄進があり、お断りするわけにもいかず境内に設置したところ、ついにネット上で「野外猫カフェ神社」と呼ばれるようになってしまった。


「うちはお稲荷さんなのに~!!!」


 巫女の嘆きが空に吸い込まれて行く————猫の手を借りたばっかりに……。

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猫の手を借りたその後は 杜右腕【と・うわん】 @to_uwan

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