04

 ちょうど、そのとき。


 ガラァ!

「あー、瑠衣ちゃんたち、見ーつけた!」

 音楽室の入口ドアを勢いよく開け、敵対する小鳩たちが入ってきた。


「ひ……⁉」

 思わず、近くに立てかけてあったコントラバスの後ろに隠れる瑠衣。

「わ、わわ……うわ……」

 またさっきのことを思い出してしまったのか、ガタガタと体を震わせてしまう。あまりに慌てているからか、小鳩の恰好がいつの間にかメイド服姿になっていることにも、気づいていないようだ。

「ふん……来たわね」

 一方のマリーは、何故か余裕そうな態度だ。

「待っていたわよ? 正直、もう少し早く来てくれるかと思ってたから、待ちくたびれていたくらいだわ」

「はぁー?」

「ア、アンタ、何言ってるのよっ! さっきは、ワタシの能力に怖気づいて自分のほうから逃げ出したくせにっ!」

 小鳩とセーラは当然の反発を見せる。

「うふふ。勝利を見越した戦略的撤退と、ただの逃亡の区別もつかないなんて……やっぱり、この勝負は楽勝そうね」

「な、なんですってぇっ⁉」

「あ、あわあぁ……」

 その様子が、どう見ても二人を煽っているようにしか思えず、瑠衣はさらに震えを激しくさせる。

「だ、大丈夫なんですよね、マリーさん? さ、さっき一人で戦いに行こうとしてたくらいだし……。今もそんなこと言うからには……な、何か作戦とかあるってことなんですよね……?」

 楽器の後ろから、落ち着き払っているマリーに尋ねる。

「作戦? そんなもの、必要ないわね。当たり前でしょう? 私は、あらゆる生き物の中で最も美しく、尊く、そして最も強いのよ? そんな小細工なんてしなくったって、どんな戦いにも余裕で勝ててしまうのがこの私、マリー様なのよ」

「うっわー。この人、すっごいこと言ってるよー」

「つ、強がっていられるのも、今の内よっ!」

「ま、またそんなこと言って……」

 相変わらず、余裕ぶっているマリーの答え。しかし瑠衣は、それを聞いても全然安心できず、震えも止まらない。

 それは、マリーが小鳩たちを煽ってばかりで、一向に動こうとしないから。そして、あまりに調子のいい事ばかり言っているので、それがセーラの言う通り強がりとしか思えなかったからだ。

 そんな瑠衣の不安を助長するように、ついにマリーはこんなことさえ言い出した。

「……でも、どうしようかしらね? どうせこの私が戦えば、それだけでどうやっても勝負には勝ててしまうのだし。連戦連勝が約束されている展開も、あまり面白くないわ。最初くらいは、この子たちに花を持たせてあげる意味で、やられてあげてもいいかも……なんて。そんなことを思ってしまう私って、少し気まぐれすぎかしら?」

「マ、マリーさぁんっ⁉」

 我慢できず、コントラバスの陰から飛び出す瑠衣。

「や、やっぱり、本当は勝てるなんて思ってないんですよね⁉ 勝算なんて、ないんでしょうっ⁉ だったら、こんなところで変なこと言ってないで、また逃げましょうよ! そ、そうじゃないと……またさっきみたいに……」

「あら、さっきから失礼なメイドね? だから私、勝てる、って何度も言っているでしょう? 私が本気出せば、勝てない相手なんていないの。それは、この世界が始まった原初から決まっている、変えることの出来ない絶対的なルール。だからそんなことは、話し合うだけ時間の無駄なのよ」

「で、でもっ! だったらなんで、ずっと何もしないで、そんな煽るようなことばっかり……」

「つーかー……もう何でもいいからー」

 瑠衣と同じように、小鳩とセーラもいい加減にしびれを切らしてしまったようだ。

「なんか私、ちょっと飽きてきちゃったー。えっとー、確かこの勝負ってぇー……どっちかのチームが、相手チームの二人が持ってる指輪を一つでも取っちゃえば、それで勝ちなんだっけー? じゃあじゃあー、さっさとセーラちゃんがカエルと毒蜘蛛で瑠衣ちゃんのこと再起不能にして、指輪取っちゃおうよー?」

「え、ええ。そうね。それが手っ取り早そうね。ということで、そっちの……ルイ、だったかしら? アンタには恨みはないけど、そろそろ勝負を決めさせてもらうわよ!」

「あわわわぁ」

 小鳩とセーラが近付いてきて、更に慌てふためく瑠衣。

 しかし、それに対して落ち着き払っているマリーは、こう言った。

「私のことは、どうでもいいわ。それより瑠衣……今大事なのは、貴女の気持ちよ」

「え」

 マリーは真っ直ぐに瑠衣を見つめている。

「さっきも言ったでしょう? この勝負は私一人でも大丈夫。絶対に、負けることはないわ。でも瑠衣……貴女は、どうしたいの? 私と一緒に、相手に立ち向かいたい? それとも、とにかく怖い思いをしたくないから、この場から逃げ出したい?」

「そ、それはもちろん……逃げ……」

 即答しようとして、言葉が詰まる瑠衣。

 彼女は、気付いてしまったのだ。


 あまりにも自信に満ちあふれたことを言っていたマリーの手が……震えている。

 恐怖に支配された、今の自分と同じくらいに。いや、もしかしたらそれ以上に。彼女は、ガタガタと震えている。

(どうして……?)

 その疑問には、ついさっき自分が言った言葉が、頭の中でブーメランのように帰ってきて、答えてくれた。


 誰にだって、大嫌いで苦手なものが一つや二つはあるんです!


(……ああ、そうか)

 彼女があまりにも強気な態度を見せていたから、瑠衣は気づかなかった。彼女は自分とは違う。普通の人間とはかけ離れた感覚の超人のように思ってしまっていた。

(でも……そうじゃないんだ。彼女だって、お嬢様の前に一人の女の子なんだ。彼女だって、今の状況が怖いんだ……)

 そのとき、瑠衣の心の中に奇妙な感情がわき始めた。


 これまでの彼女だったら。

 イジメられっ子で、意気地なしで、何も出来ない自分のままだったら……今も瑠衣は、恐怖心に支配されたままだった。さっきの「逃げる」という言葉の続きを、何の迷いもなく言っていたはずだ。たとえ戦ったって、勝てるはずがない。抵抗するだけ無駄だ。そんな思いに支配されて、それ以外の選択肢なんて考えもしなかっただろう。

 しかし、その「奇妙な感情」を持ってしまった彼女は、別のことを考え始めていた。


「マ、マリーさんは、どうしてこんな戦いに参加しているんですか……? さっき、この戦いの目的は、『自分が最も優れたお嬢様だと証明すること』だって言ってましたけど……本当に、それだけのために、こんなことを……?」

 瑠衣がその質問をした意図のほとんどは、言葉の通り、突然降って湧いた非現実的な状況に未だに戸惑っていたからだ。

 しかし、そんな後ろ向きの感情の中には、ほんの少しだけ期待のような気持ちも含まれていた。今、自分の目の前にいるお嬢様は、本当にそんな気持ちだけで戦おうとしているのだろうか? 自分を「パートナー」と言ってくれた彼女は、一体どんな人物なのか。彼女のことを、もっと知りたい。彼女に対する、自分のこの感情は……。

 それに対してマリーは、やはり余裕に満ちた様子で、当然のように答えた。


「馬鹿を言わないでちょうだい。さっきから何度も言っているように、この私は既に完璧にして最高なの。誰かに認めてもらうまでもなく、最上級の存在なの。だからそんな私が、今さら『自分が最も優れている』なんて、証明したいわけがないでしょう? むしろ、この私がそんなことに興味をもつと思われている事自体が、ひどい侮辱だわ。だから、私がこの戦いに参加しているのは……『淑女とメイドの契約』だとか、『淑女能力』だとか、『最も優れたお嬢様だと証明される』とか……そういう下らない『設定』を作ったくらいでこの私を操れると思っている愚か者に、自分の身の程を分からせてあげるためよ。私たちがこの戦いを勝ち抜いていけば、きっといつかこの戦いを仕組んだ張本人……『淑女とメイドの戦い』を用意した『主催者』に、近づくチャンスがやってくる。私たちの前に、そいつが姿を現すことがあるはずよ。そこで私は言ってあげるの。『この私にひざまずきなさい』ってね。そうやって、この私を見くびったことを後悔させてあげるの。それが、私がこの戦いに参加している理由。『主催者』の正体が、神なのか悪魔なのかは知らないけれど……この私を、『誰かに用意された枠レディメイド』に収まるような、小さな存在だと思わないことね!」


「……は、はは」

 瑠衣は、思わず笑ってしまった。

 震えるほど不安なくせに、無駄に自信に満ち溢れたスケールの大きなセリフを、平然と言ってのけるマリー。ただ恐怖に支配されていただけの自分とは全然違うそんな彼女の姿に、心配していたのがバカバカしくなってしまったのだ。

 そして……そんな気持ちにさせてくれた彼女に、憧れのような気持ちを持ち始めているのに気付いた。


「マリーさん……。私が……あなたの力になれるなんて、思えないけど……。あなたを助けられるなんて、そんなの絶対、無理なんだろうけど……」

 さっきまでの逃げ出したい気持ちはどんどん小さくなり、その代わりの言葉が、口から溢れ出してくる。

「でも、それでも……。私が『契約』すれば、マリーさんも不思議な能力が使えるようになるのなら……。少しでも、あなたの役に立てるのなら……。あなたの目的に、力を貸せるなら……私、そのためなら、あなたと『契約』しても……いいかな、って……」

 マリーは優しく微笑んでから、つぶやくように応える。

「貴女なら、そう言ってくれるって思ってたわ」

「……はい!」



 もう、瑠衣に迷いはなかった。

「さあ、こっちへいらっしゃい……」

 宝石のように輝く緑の瞳。艶やかな藍色の髪が、サラサラと心地のいい音を奏でながらなびいている。

 湿り気を帯びた彼女の唇が、ゆっくりと瑠衣の唇へと近づいてくる。


「あああーっ⁉ こいつら、『契約』しようとしてんじゃん⁉ セーラちゃん、なにボケボケしてんのっ⁉ さっさと仕留めちゃってよ!」

「わ、分かってるわよ! 言われなくても、今やろうとしてたのよ! く、食らいなさーい! 『敵者生存』!」

 セーラの掛け声とともに、天井や部屋の隅から大量のカエルと蜘蛛が現れ、瑠衣たちに向かっていく。そのうちのいくつかは、最初のときのように瑠衣の肩や頭に乗ったりしている。

 しかし、体を寄せ合って、マリーのことだけを見つめている今の瑠衣は、それには気付かない。いや、そんなことはもう、どうでもよかったのかもしれない。

 目の前の美しい淑女レイディと……マリーとキスが出来るなら……。自分が彼女の特別な存在になれるなら、そんなことは些細なことだから。


 そして……瑠衣は目を閉じて、マリーと静かにキスをした。




 次の瞬間、体を寄せるマリーと瑠衣が、強烈な紫の光に包まれる。


「あ、ちょ、ちょっとっ……!」

 セーラは、そのまばゆさに思わず両手で目を覆う。

「も、もおうっ! めんどくさいなーっ!」

 小鳩も、悔しそうに地団駄を踏む。


 やがて、その光が少しずつ薄くなっていき、再び二人の姿が現れる。

「ふぅ……」気だるそうに、小さく息を吐くマリー。「瑠衣……貴女って、意外と……」

「え?」

「……うふふ」

「え、あ、あの……?」

 いつの間にか、小鳩と同じように瑠衣の服装もメイド服になっている。それはすなわち、彼女たちの『契約』が今の瞬間をもって正式に成立した、ということを意味しているのだろう。

 ただ、敵側の小鳩は、フリルが多いミニスカートにニーハイソックスの王道コスプレ風のメイド服なのに対して、瑠衣の方は黒のロングスカートに装飾のない純白のエプロンを合わせていて、比較的地味な印象だ。『戦闘中のメイドはメイド服になる』のがルールらしいが、そのディティールには個人差があるようだった。


「え、えと? マ、マリーさん? さ、さっきの、『意外と』って……?」

「さあ、ここからが私たちの反撃よ」

「も、もしかして、さっきの私、何か変でした? あの、実は私、ああいうの初めてで……。あんまり、こういうときの『お作法』とかがわかってなくて……」

「今まで、よくも好き勝手やってくれたわね。覚悟なさい! この私の、圧倒的な格の違いを思い知らせてあげるわっ! そうよね、瑠衣!」

「……は、はいっ!」


 そして、晴れて正式にお嬢様マリーのメイドとなった瑠衣は、本格的にこの不思議な戦いに巻き込まれることになったのだった。

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