勇者・時坂杏奈は世界を救う ~人生ドン底だったわたしが神さまにスカウトされて異世界を救う勇者になっちゃいました~

雪月風花

第1話 時坂杏奈は飲んだくれる

「なぁ、姉ちゃん。ちぃっと飲みすぎだと思うぞ? もぅそろそろ終わりにした方が良くないか?」


 黒のTシャツにハチマキを頭に巻いた中年男がカウンターの向こうから呼び掛ける。


「うっさいわねぇ。いいから次! ビール、もう一杯!」

「はいはい……」


 ここは時坂杏奈ときさかあんなの自宅アパートの最寄り駅の高架下にある一杯飲み屋の屋台だ。

 夜八時。 

 おでんがグツグツ煮込まれ、いい匂いを周囲に振り撒いている。


 場所はいい。

 味もいい。

 しかも今日は週末、書き入れ時だ。

 だが、こういう日に限って、お客がさっぱりだ。


 原因はこの女。

 さっきからカウンターでくだを巻くこの女のせいで、客足が遠のいている。

 そりゃそうだろう。

 いい気分になりに飲みにくるのに、絡まれたら、たまったものではない。


「わたしが何をしたってのよ! 仕事は真面目にキッチリこなして、有給休暇だってほとんど取らず、会社の為に尽くしてきたのよ? なのに人員整理ってどういうことよ! ファッションと男のことしか興味無い、アホ面提げたあの女どもが残って、わたしがクビって、どう考えても納得いかないわ! お愛想笑いしてすり寄ってくる、化粧の濃いアホ女がそんなに好きか!」

「あーー、そりゃ災難だったねぇ……」


 この酔っ払い、時坂杏奈は、現在二十三歳。

 短大を出てすぐ、都心にある某電気メーカーに勤務し、そして今日、クビを宣告されたばかりだ。


 身長、百四十五センチ。体重、四十五キロ。

 はっきり言って、貧弱体型だ。

 赤縁あかぶち瓶底眼鏡びんぞこめがねを掛け、髪は肩甲骨あたりまでのくせっ毛、化粧も申し分程度にしかせず、地味なことこの上無い。

 

「健ちゃんがさ、知ってるでしょ? わたしの彼氏」

「け、……お、おぉ、健ちゃんね。うんうん、知ってるよ?」


 店主が調子を合わせる。

 無論、杏奈の恋人のことなど、知ろうはずもない。


「わか、わか……別れて欲しいって! うあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!」


 ガン泣きだ。

 厄介なことこの上ない。

 店主が困った顔で空を仰ぐ。


「お、おぉ、そりゃ大変だ。可哀想になぁ」

「わたし、ずっと健ちゃん一筋でやってきたのに、好きな女が出来たって」

「まぁ、何だよ。男は星の数ほどいるわな。また新しいいい男が現れるって」


 杏奈がガバっと顔を上げる。

 その顔は、涙と鼻水でぐしゃぐしゃだ。


「あんたに何が分かるの! 健ちゃんは、わたしみたいな地味な女を個性的で可愛いって言ってくれた唯一の人だったのよ! そりゃ結婚までは清い体でってキスもさせなかったのは悪かったとは思うけどさ。でも、だからって……うわぁぁぁあぁぁあぁぁあぁぁぁぁぁん!」

「……面倒くせぇ」


 店主がボソっと呟くも、杏奈には聞こえなかったようだ。


「クビってことは、明日からしばらく暇なんだろ? だったらゆっくり体と心を休めるいい機会じゃねぇか。趣味に没頭するとか、ほら、何か色々あんだろ?」

「……無い」

「え?」

「趣味なんて無い」

「んーー、じゃ、旅行するとかどうだ? いい景色見たら心が癒やされるぞ?」

「いつでもネットで見れるからいい」

「引きこもりか!」

 

 店主が頭を抱える。


「じゃ、実家帰るとかってのはどうだ? 久々に家族の顔見たら、辛いことだって忘れられるだろ」

「家族、居ない。子供のころ、両親は事故で死んだ。身寄りなんて無い」

「そいつはどうも……。悪いこと聞いちまったな。ま、これでも飲んでくれや」


 店主が杏奈のコップにビールを継ぎ足す。


 チーーーーーーーン!

 

 杏奈が盛大な音を立てて鼻をかんだ。

 そのまま、継がれたビールを一気飲みする。


「天涯孤独で、居なくなっても誰も気にしない。ふむ。頼まれてた件に、うってつけかもしれんな」


 店主が呟く。

 

「何か言った?」

 

 杏奈が視線の定まらぬ朦朧とした目で店主を見る。

 さすがに飲みすぎたようだ。


「いや、何も。ははっ」


 そして時坂杏奈は、眠りについた。



「ま、眩しい……」


 杏奈は、ゆっくり目を開いた。

 起き上がる。 

 くしゃくしゃのスーツをそれとなく引っ張って直し、眼鏡を掛け直す。焦点を合わせる。 


「……ここ、どこ?」


 そこは、光に包まれた空間だった。

 足元を白いモヤが漂っている。

 まるで、雲の上にでもいるみたいだ。


 杏奈は記憶を辿ってみた。

 会社帰り、駅前の一杯飲み屋に入ったところまでは覚えている。

 そもそも、そんなお店に入ったことなど、生まれて初めてだった。

 飲まなくっちゃやってられないと思って、意を決して入ったのだ。

 そこで何杯か飲んで……。


 はてどうしたっけ。

 記憶が途切れている。 


『お? ようやく起きたな?』


 振り返ると、そこに、中年男がいた。

 杏奈は必死に記憶を手繰った。 

 そうだ、飲み屋の店主だ。

 にしては、こざっぱりとしている。

 白いローブを着、大理石のイスに座っている。

 ハハっ。まるで神様だ。


『お、よく分かったな。そう、神様ってやつだ』

「はぁ?」

『あの格好は、世を忍ぶ仮の姿ってやつだ。あぁやって、たまに外界の様子を見に行くんだ。にしても昨夜は参ったぞ。厄介な客に捕まっちまったってな』


 神様? そんな馬鹿な。そんなもの、いるわけない。

 ましてや、わたしみたいなモブ体質の地味女が、神様に会うなんて不思議体験、するわけがない。


 杏奈は思わず、後ずさった。


『いるわけないと言われても、ここにこうしているし』


 思考を読まれてる? どうなってるの、これ。

 何か妖怪にでも化かされてる?


『いやいや、妖怪ちゃうで。か、み、さ、ま。言ったろ? 神様だって。思考が読めるのは、そういう仕様だからな。しゃーない。ま、落ち着いて聞いてくれんか。実は、あんた、時坂杏奈さんに頼みたいことがあってな』

「わたし、自分の名前、言ったっけ……」

『言ってないよ。神様の特殊能力ってやつやね。まぁ、話を聞いてくれんか』

「はい……」


 とにかく、話を聞いてみよう。

 逃げ出すのは、それからでも遅くない。


『そうそう。命の危険が迫っている状況ならまだしも、話も聞かずに逃げるって選択肢は無いな。そら、まぁ、座ってんか』

 

 杏奈の目に前にソファが現れる。

 真っ白なソファ。

 試しに座ってみる。

 わぉ。まるで雲で作られているみたいだ。


『お姉ちゃん、世界を救ってみん?』

「……は?」


『実は、わしの管轄している世界の一つで、問題が起きているところがあってな。それを何とかして欲しいのよ。詳しくは、こいつの説明を聞いてくれんか』


 フっと、杏奈の目の前に、あぐらをかき、大爆笑中の女性が現れる。

 右手におにぎり、左手にテレビリモコンを構えている。

 笑い声が止む。


 その、おにぎりで膨らんだ顔が、ゆっくりこちらを向く。

 ほっぺにご飯粒付いてるし。

 女性は、白い貫頭衣を着て、羽が生えていた。

 立っていれば、それなりに威厳を保てたろうが、こんな格好じゃ、全てが台無しだ。


ゲホゴホゲホ!


大神たいしんガリヤードさま! いきなり呼び出すなとあれほど言ったのに!』

『すまんすまん。とりあえず、お前の求めていた人材を連れてきたぞ。説明してやってくれんか』

『全くもう!』


 女性が慌てて化粧を直し、杏奈の方を向いた。

 あ、まだほっぺにご飯粒付いてる。

 でも、面白そうだから、黙っておこう。


 くっくっく。


 杏奈の思考を読み取ったからか、大神ガリヤードが笑いを必死に堪える。

 女性は怪訝そうな顔をしたが、すぐ気を取り直して、杏奈の方を向いた。


『初めまして、地球のお嬢さん。わたしは女神ユーレリア。あなたにとっては異世界になる、ヴァンダリーアを統べている女神です』

「ヴァンダリーア……」

『とても美しい地です。あなたもきっと気に入るでしょう。ですが、今そこに、魔王が出現し、人間界が脅かされています。あなたへの依頼は一つ。魔王を討伐し、人間界を救って欲しいのです』

「……」

『ん? 聞こえなかった? ではもう一度。異世界ヴァンダリーアに現れた魔王を討伐して欲しいのです』

「……自分でやれば?」

『え?』

「だって、女神さまなんでしょ? 凄い力があるんでしょ? 人に頼まずとも、自力で何とかすればいいじゃない」


 ガリヤードとユーレリアが顔を見合わせる。


『我々神は、直接、世界に介入してはいけないの。じゃなかったら、あなたみたいなチンチクリンに、こんなこと頼んだりしないわ』

「何か言った?」

『別に? 何も?』

「ちょっと待って。今、異世界って言った?」

『言いましたが、何か?』


 杏奈の目の前が真っ暗になる。


「わたし、死ん……」

『でない』

「車にでも轢かれ……」

『てない』

「わたしの人生、ここで終わ……」

『らない』


 都度都度、大神ガリヤードから、ツッコミが入る。


「じゃ、どうやって異世界転生なんてするのよ!」

『その体のまま、送り込む。当然、仕事をこなしたら戻ってこれる。長期出張だとでも思えばいい。いい気分転換になるだろ。勿論、謝礼はしっかりするぞ?』


 女神ユーレリアが、うんうん頷く。


「でもわたし、力、強くないよ?」

『何とかする』

「特殊能力も無いよ?」

『それも何とかする』

「ヘタレだよ?」

『それはまぁ、何とかしなさい』


「じゃ、まぁ、はい。やります」

『おぉ、やってくれるか! じゃ、早速ギフトを与えよう』

「ギフト?」

『超能力みたいなものだ。お前さんの行くのは、剣と魔法の世界だ。交通機関も馬止まりだ。周りは脳筋だらけと思えばいいだろう。そんな中、お前さんみたいな貧弱体質が生き残るには、特殊能力が必要だ』


 てけててっててーーん!


「今どっかで音がした?」

『何も?』

『何も?』


 大神と女神が揃って首を横に振る。


『装備品MAX数値能力の付与ーー!』


 大神ガリヤードが杏奈を指差す。

 杏奈の体が光に包まれる。


『……思い切りましたね、ガリヤードさま』

『だって、そうでもしないと、この子すぐ死ぬよ? そうなったらキミも困るでしょ?』

『そりゃまぁ、そうですけど』


 大神と女神がボソボソ相談をしている。


「えっと、これ、どういう能力なんです?」

『うむ。一言で言うと、何を装備しても無敵になれる能力だ。ボロ布を羽織っていても、特殊フィールドが発生し、布部分はおろか、むき出しの肌の部分さえ、完璧に守ってくれる。筋骨隆々の歴戦の勇士の剣が、幼児が振るうおもちゃのバットほどにも感じない。更に、その気になれば、楊枝やそこら辺に転がってる石による攻撃さえも、即死クラスのクリティカルヒットとなる。どうだ。これなら安心だろう?』

「それはまた、世界観ぶち壊しの凄いチート能力ですね。逆にいいの?」

『構わん、構わん。この、人が世界を救うという様式美が必要なのよ。ただまぁ、現地民には極力チート能力については秘密でな』

「はい……」

『さて、ではユーレリアよ。後を頼む。わしは、今夜の仕込みがあるでの。いい筋肉すじにくが手に入ったんだ』


 大神ガリヤードは霞となって消え、女神ユーレリアと杏奈がその場に残される。

 女神がゴホンと一つ咳をする。


『では勇者杏奈よ。異世界ヴァンダリーアを魔王の手から救うのです。頼みましたよ』

「え? あの、ちょっと、まだ詳しい説明が……」


 次の瞬間、時坂杏奈は転移した。

 行き先は、異世界ヴァンダリーア。

 目的は魔王の討伐。

 杏奈の前に、この先、どのような試練が待ち受けているのか。

 それはまだ、誰も知らない……。

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