乙女の危機を救う手 ~でもだからってそれはないっ!!

藤瀬京祥

月嶋琴乃に告ぐ

「猫の手?」

「そう、猫の手」


 どうも背中が痒いらしい月嶋つきしま琴乃ことのは、手を変え品を替え……ならぬ手を変え、体勢を変えて頑張っているが、どうしても痒いところに届かないらしい。

 その苦悶から 「猫の手」 を欲する。

 だがそれを聞いた友人の森村もりむらさくらは違和感を覚え、「猫の手?」 と改めて口の中で呟きながら首を傾げる。


「それ、猫の手だっけ?」

「違う?

 痒いところに手が届く猫の手……あー……もう髪の毛邪魔。

 やっぱ切ろうかなぁ」


 伸ばしに伸ばした自慢のストレートヘアさえも邪魔そうに払いのけ、怪しいポーズで背中に手を伸ばす琴乃。

 それを見てさくらは慌てる。


「えっ? 髪切っちゃうの?

 もったいない!」

「でも痒い。

 届か……な、い。

 猫の手が欲し……」


 私服ならともかく、着ているのが制服というのもあるのだろう。

 セーラーカラーのブレザーは、デザインは可愛いけれど少し肩が窮屈で動かしづらい。

 それでも頑張りつつ 「猫の手」 を求め続ける琴乃に、さくらは、それが違うということをわかっていながらも正解がわからず。

 琴乃は痒さに、そしてさくらは正解がわからず、二人揃って悶える。


「届か、な、い……」

「なんて言うんだっけぇ~」

「……なにしてるんだよ、お前ら」


 そんな二人のあいだに、ぬっと顔を突き出すように現われたのは、琴乃の幼なじみで同級生の木嶋きしま文彦ふみひこ


「文彦、猫の手が欲しい」

「ねぇ木嶋君、なんて言うんだっけ?」


 我先にと口を開く二人に、声が被って聞き取り損ねた文彦は 「は?」 と、どちらにともなく訊き返す。


「……ごめん。

 えっと……琴乃から訊いていい?

 森村はちょっと待って」

「だから猫の手が欲しい」

「それって猫の手じゃないよね?

 なんて言うんだっけ?」


 琴乃が言うと、すぐさまさくらが続く。

 やはり意味がわからない文彦は、今度は 「え?」 と戸惑いを顕わす。

 どうにも要領を得ない。

 おそらく何度訊いても二人はこの調子だろうと考えると、このやり取りを続けることは不毛である。

 さすがにそういう考えに至り、自分で考える。


「……琴乃、猫の手が欲しいの?」

「欲しい」

「どうして?」

「背中が痒い」


 だから痒いところに手が届く猫の手が欲しいという琴乃に、文彦もさくらがいう 「それって猫の手じゃないよね?」 の意味を理解する。

 そして大きく息を吐く。


「それ、猫の手じゃないし」

「えっ? 違うのっ?」

「そうだよね、そうだよね。

 なんて言うんだっけっ?」

「孫の手」


 文彦が正解を答えた次の瞬間 「それっ!!」 と二人は声を揃えて意気込む。

 もちろんこれでさくらはすっきりしたものの、琴乃の痒みが治まることはない。

 ここは学校だ。

 おそらくどこを探しても孫の手はないだろう。


「別に孫の手じゃなくても……それ、森村に掻いてもらえばよくね?」

「そんなこと言ってるまに掻いてあげればいいのに」

「俺、両手が塞がってるし……」


 それこそ幼稚園児や小学生の頃でもないから……と、気まずそうに視線をそらせた文彦は、自分の両手を塞いでいるもののことを思い出す。

 その視線が両手に握られているものに向けられると、自然と二人の視線も文彦の両手に向かう。

 そこには少し毛に汚れのある子猫が握られていた。

 あまりにも大人しいのですっかり忘れていたが、三人から向けられる不意の視線に気づいた子猫は、ようやくのことでひと鳴きして自ら存在感を示す。


「……猫っ?」

「え? どうしているの?」

「文彦、これ、どうしたの?」


 早口に尋ねてくる二人に、文彦は 「拾った」 と答えながら二人に見えやすいように子猫を捕まえる手を持ち替える。


「いま律弥おとやが食堂に段ボールもらいに行ってて」


 月嶋つきしま律弥おとやは、琴乃の双子の兄弟である。

 幼稚園からの幼なじみである文彦と律弥は今も同じクラスで、校内では一緒にいることが多い。

 その律弥の姿が見えないと思ったらそういうことらしい。


「文彦が飼うの?」

「わかんね。

 うちで無理なら里親探そうと思ってる。

 とりあえず今日は連れて帰るけど」


 授業が終わるまで用務員室で預かってもらうことにして、ケージやキャリーバッグの代わりに段ボールを確保しに律弥が食堂に向かったらしい。

 いつもならこういう場合、律弥が猫のお守りをして文彦が食堂へ……というところだが、茂みに隠れて出てこない猫の確保を文彦に任せ、律弥はそのあいだに段ボール確保に向かったらしい。


「……律弥に猫を宥めるのは無理よね」

「大丈夫、本人も自覚してるし。

 そろそろ戻って来ると思うけど」

「でも食堂、回収業者が来る日だと段ボールないかも」

「こいつ目も綺麗だし、毛もあまり汚れてないからたぶん捨て猫。

 人にも慣れてるし」


 茂みからはなかなか出てこなかった子猫だけれど、一度も威嚇のシャーをしなかったから、おそらく野良猫ではないだろうと文彦は推測する。

 今も文彦の持ち方が気に入ったのか、特に暴れることもなく大人しく鳴き声を上げている。

 小さな顎下に指を入れてくすぐってみれば、すぐにゴロゴロ……と気持ちよさそうに喉を鳴らす。

 その様子をとろけた表情で見ている琴乃とさくら。


「可愛ぃ~」

「いやぁ~ん、小さぁ~い」


 すっかり子猫の魅力に陥落し、その可愛らしさを賞賛しまくる二人を見ていてなにを思ったのか、不意に 「琴乃」 と呼びかける文彦。


「折角だし猫の手、借りてみれば?」


 そう言って猫を持ち上げると琴乃の顔に近づけ、その小さな手を琴乃の頬に押し当てる。

 子猫も特に不満は無いらしく文彦にされるがまま、一つだけ可愛らしくにゃ~と鳴く。

 すっかり幸せに包まれた琴乃は頬を弛ませ、大きく深く息を吐いてすっかり骨抜きにされる。

 その表情を見て危うくにやけそうになる文彦だが、さくらの存在を思い出してバレないようさりげなく顔を背ける。


「肉球サイコー!」

「いいなぁ琴乃」

「この世の天国」

「わたしもやって欲しい、木嶋君」

「待って待って、もう少し」

「代わってよ、琴乃」

「もう少しだけ」


 そんな二人の様子を見て、表情を引き締めた文彦は考える。

 孫の手は 「痒いところに手が届く」 だが、猫の手は 「猫の手でも借りたいほど」 という忙しさの例え。

 だが琴乃は背中が痒いだけで忙しいわけではない。

 その琴乃が猫の手を借りると……


「琴乃、背中掻かなくていいの?」

「もうどうでもいい~」

「全部忘れて癒されたって感じ?」

「もっと癒されたぁ~い」


 そしてそんな琴乃を見て文彦も癒されたことは絶対に内緒である。

                                  ー了ー

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乙女の危機を救う手 ~でもだからってそれはないっ!! 藤瀬京祥 @syo-getu

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