猫と少年と……

よねちょ

短編

 ぷにぺちりと、僕の頬が柔らかく優しい刺激を受ける。

 その刺激を受け、僕は目を覚ます。


 一度は目は開いたけれどまた瞼が落ちそうな中、刺激を与えた犯人を探すべく手探りで顔の横を弄ると、ふわりとした感触が僕の手のひらに触れる。その感触の心地よさにしばらく撫で回していたら、ふわりとした感触の持ち主は「にゃぁ」という満足そうとも不満そうとも取れるような鳴き声を上げた。


「ごめんよ、又三郎。ご飯だよね」


 「にゃっ」と、まるで返事をしたかのような鳴き声に僕は今度こそ目を覚まし、僕の顔の横に立つ三毛猫の又三郎に顔を向けた。

 今どき又三郎なんて名前古臭いとは思うけど、今はいないおじいちゃんがつけてくれた大切な名前だ。

 元は野良の三毛猫で、怪我をしたまま変に治ったのか尻尾の先が二つに割れているから、僕達が拾ってきたときにおじいちゃんが猫又だと言って、猫又の三毛猫で雄だから又三郎だな。という言葉で決まった。


 又三郎に見守れながら中学校の学生服に着替えると、又三郎は率先して部屋から出ていき、ついてこいとばかりに僕を振り返る。

 二階の僕の部屋から一階へ降りる階段を降りていると、クラリとした一瞬の立ちくらみを感じ壁に持たれかけた。

 立ちくらみのあと軽く息を吐くと又三郎がこちらをじっと見ていることに気付く。


 大丈夫だよと言うと、最初から何も気にしていないぞ、と言わんばかりにふいっとリビングへ足早に去っていった。

 僕も又三郎について行きリビングに入ると朝食のいい匂いがただよってくる。


 リビングの4人掛けのテーブルにはフードカバーに覆われた朝食が用意してあった。


 僕はそれを横目に見ながら台所へと入る、又三郎用の戸棚からペット用の食器とキャットフードを取り出す。

 食器を僕の隣のテーブルの上に置き、キャットフードを入れる。

 又三郎もテーブルに上がり、ちょこんと座る。


 いただきます。フードカバーを開け、僕がそう言うと同時に又三郎も食事を始める。これが僕が一人で食事をするようになってからの光景になっている。


 今日の朝ごはんは、卵焼きに焼き魚にほうれん草のおひたし、それとご飯と味噌汁。理想の朝ごはんって感じだ。僕はつい声を出して感心してしまった。


又三郎・・・も腕が上がったなぁ」


 知らない人は何を言っていると思うけど、僕の朝食は又三郎が作ってくれているんだ。

 

 僕はある日を境にこの世界がどうでもいいものになり、何もする気がおきなくなっていた。一日ふさぎ込むことを選んでいた。

 度々、隣のおじさんおばさんや幼馴染も来てくれたけれど、布団をかぶったままひどいことを言って追い返してしまっていた。


 本来選んでいただろう選択肢で、自分で死を選ぶことができなかった理由として、又三郎のことがあった。

 又三郎が来てからご飯の準備とブラッシングや爪切りは僕の役目だった。

 ふさぎ込んでからも、又三郎のお世話だけはなんとか体を動かしてやっていた。

 又三郎と同じものならばとキャットフードを一緒に食べていたことが、多分僕が餓死しなかった理由だと思う。


 そんな日が続き誰も僕を尋ねなくなった頃、又三郎が眠っている僕に強く猫パンチをしてきた事があった。多分少し爪も出てたんじゃないかな?


 その痛みで勢いよく目を覚ました僕は、辺りを見回すと部屋の入口のところで又三郎がついてこいとばかりにゆらゆら揺れるしっぽを見せながら、顔だけを僕に向けていた。


 又三郎がそんな態度を取るのは珍しく慌てるようについていくと、カーテンを締め切って時間がよくわからなくなっているリビングにあるテーブルの上に、ご飯が用意してあった。


 それはぐちゃぐちゃで料理ができない子供が作ったようなものだった。

 僕はそれを見ても何も感じず、そのまま捨てようと持った瞬間、又三郎に足首をガブリと噛まれた。


 痛みで手を離すと又三郎は頭で僕の足をグリグリと押して来る。

 座って食べろと押しているように感じた。


 又三郎に押されながら仕方なく席に座って、恐る恐る口に運ぶ。


「……まずい」


 その味は、キャットフードよりまずかった。……でも、箸は止まらず、むしゃむしゃとかきこむように口に運び、僕はいつの間にか涙を流しながら食べていた。


 食べ終わるまでテーブルの上で僕を監視していた又三郎は、満足そうに「にゃあ」と鳴いた。僕は冗談半分で又三郎が作ってくれたの? と聞くと又三郎はまた「にゃあ」と鳴いた。


 それからは毎日、朝ごはんが用意してあった。又三郎に起こされて連れて行かれ、朝ごはんを食べる。その時一緒に食べてほしいのでテーブルの上に又三郎のご飯も置いたら一緒に食べてくれるようになった。


 ほんの数ヶ月程度なのに準備される朝ごはんはどんどんと上達していった。

 そのたびに又三郎を褒めると嬉しそうに鳴いた。

 何度か作っている姿を見ようとしたけど、又三郎と一緒に寝ると又三郎に起こされるまで熟睡するようになり作ってるシーンは一度たりとも見れなかった。ただ、その頃から悪夢も見なくなっていった。


 そして、今日はあの日以来、初めて学校に向かう……と入っても保健室登校だけどね。

 ごはんが日々上達しているのに僕は何もせず止まっていてはだめだと、思うようになったからだ。

 何度も吐きながらも、なんとか学校に連絡できた。

 担任だった先生は優しくまずは保健室登校からどうだと言ってくれた。

 こっちで準備するからいつでもいい好きなときに来なさいとも言ってくれた。

 又三郎も籠に入れてなら一緒につれてきてもいいと言われていた。


 登校時間よりずれた時間、人の目が少なくなった時間、僕はうつむきながら猫籠を抱えこむような格好で学校に向かう。


 校門をくぐり玄関で上履きに履き替えたあと、保健室の扉をノックして返事を待って入った。


 保健室では保険の先生が机の周りにある薄手のカーテンの向こうで僕を迎えてくれた。


「おはよう、君は──」


 カーテンを挟んだまま僕の名前の確認と先生が自己紹介をして挨拶をした。

 僕も──ちょっと時間がかかってしまったけれどちゃんと挨拶できた。


「ここまで、来るのは大丈夫だったかな? つらくなったらいつでも帰っていいからね?」


 優しげに響く声の持ち主に僕は大丈夫だったということと、少しでも前に進んでいきたいということを伝えるとカーテンの向こうで、大きくうなずくような仕草が見えた。


「……すごいね君は。──何かあったらいいなさい。私もできる限りのことをしよう」


 僕はありがとうございますと返すと又三郎もお礼を言うように「にゃあ」と鳴いた。


「そっか、猫ちゃんが一緒だったね。私にも少し見せてくれるかな? お名前は何というのかな?」


 又三郎ですと返事をしてカーテンの隙間から籠を渡す。

 カーテンの向こう側に籠が行くと、カチャカチャと籠を開ける音がした。


「わあ、三毛猫で尻尾の先が分かれているんだね。それに雄か! 珍しいね!」


 楽しげな声が聞こえたあとに「あっ」っという声が聞こえてカーテンの下から、又三郎が出てきて、僕の体を駆け上って肩に収まった。


「ああ、残念。猫ちゃんと触れ合えるのはあまりないのに」


 そして、こほんと気を取り直すような咳払いが聞こえたあとに、

「窓も扉も閉めてるときは外に出してもいいから、まあ、暴れるようだと可愛そうだけど籠に入れてもらうよ」と告げられた。


 僕に反対する理由もなく、はいとだけ返事をして用意してあったカーテンに囲われた机に向かう。

 そこにあるPCは今やっている僕のクラスの授業が映し出されていた。


 久しぶりの授業の中、初めて勉強が楽しいと思った。何かをするというのが楽しいだけだったのかもしれないけど。

 

 時間は順調に──何度かカメラ目線になった先生にパニックを起こしかけたけど──進み、お昼の時間になった。


 又三郎が作ってくれるのは朝ごはんだけなので、昼と夜はまだ又三郎と一緒にキャットフードを食べている。


 又三郎のご飯の準備をしようとさっきまでいたところ見ても、又三郎がいない。

 保険の先生は少し前に所用があると出ていったけど、その時にはまだ一緒にいたはずだ。


 保健室の中を探しても見当たらない。まさか、保健室の外に? そう思い扉の前に立つけれど外から聞こえてくる話し声のせいで手が震え目眩がする。


 扉の前で動けないでいると、外の騒ぎが大きくなってきている気がする。ただ悪い物ではなく楽しげな騒ぎだ。

 その時扉が動こうとしたけど、鍵がかかっていたらしくガンッと音を立てただけだった。


「おかしいな? ちゃんと鍵かかってるよ。……ああ、待ってて開けるから」


 扉の向こうから保険の先生の声が聞こえてきたので、僕は慌ててカーテンの向こう側に戻った。そして、すぐに扉が開いた。


「あっ、又三郎!?」


 ──聞こえてきたのは、ひどく聞き覚えのある声だった。

 そして又三郎がひょっこりと現れ僕の足にひとこすりしてから、僕がさっきまで座っていた椅子の上で丸くなった。


「だめだよ、逃したんなら連絡くれないと、彼女が猫ちゃんのこと知っていて職員室まで連れてきてくれたんだよ」


 僕はとりあえず謝ると「次やったら籠だから」とだけ軽く注意された。

 でも、そんなことよりも……


「久しぶり、学校来れたんだね。又三郎が私の教室に来て驚いちゃった」


 僕は返事を返せずにいると、「あの、これ……」とピンクのクロスに覆われたお弁当箱を渡された。


「よかったら食べて。あ、まだ箸はつけてないから大丈夫よ」


 受け取らず躊躇しているとあの日のように又三郎から足首をガブリと噛まれた。

 

 そうだ、僕はまだ前に進んではいない。

 僕は震える手でそのお弁当箱を受け取り、ゆっくりと蓋を開ける。

 

 それはいつもの匂いだった。僕が前に進もうと思った大切ものだった。




 泣きながら食べる少年と泣きながら少年を見守る少女を見ながら又三郎は大きなあくびをする。

──まったく、猫が飯なんて作れるわけ無いだろ。本当に手のかかる飼い主だ。

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猫と少年と…… よねちょ @yonetyo

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