いつの間にか借りているのが、猫の手だったりする
小花ソルト(一話四千字内を標準に執筆中)
第1話 猫の手を……貸してくれてたのか?
昔、天体観測部だった。星に興味があったわけじゃない。運動も楽器も芸術も、なんにもできないし興味もなかったから、とりあえずの避難先に選んだのがそこだった。
不真面目なりに、かっこ良さそうな星座の名前だけは覚えてみた。団子三つが並んだベルト部分の、オリオン座ってのがお気に入りで、それだけが望遠鏡で発見できた。もう三十年も前のことだが、今でも夜空を見上げると、思い出す。
だから、ゴミ捨て場の影でひっそりと身を潜めていた満月色の、おっさん黒猫を見かけたとき、その背中に白い丸が三つ並んでいるのを発見して、「お前、ウチくるか!?」と酒に酔ったノリで餌付けしてしまった。定食屋で食おうと思ってたら忘れて、ポケットに入れて持って帰った海苔だった。
その日を境に、あいつは俺を待ち伏せするようになり、俺は定食屋で海苔をポッケに、ゴミ捨て場から少し離れた公園のベンチで、しばらく時間を過ごすようになっていった。
わけのわからん理不尽に遭遇して、減給くらっちまった俺の膝上に乗ってくれたときは、そのあまりの野性的な臭さに「うえ……」と思わず嗚咽が漏れた。
振り向いたヤツの「なんだよ……」と言わんばかりのしかめっつらが、なんかおもしろかった。
「お前、ウチくるか?」
思いきって、両腕で抱っこすると、思いのほか無抵抗で、腕に収まった。
この臭さは飼い猫じゃないだろうし、雰囲気もボスって感じがしない。なんか会社の俺みたいなヤツだった。とりあえず女性社員から臭いと思われないようシャワーを浴び、書類仕事だけを黙々とこなす、そんな感じの。
転職を何度かして、偶然にも自宅近くの職場に決まったときは、嬉しいような、気まずいような。年取った両親は兄貴夫婦のもとで暮らしているしで、誰もいない家を、俺が一人で管理している。
片手で玄関の鍵をガチャガチャ開けると、家に入るなり仕事鞄を台所のテーブルに置いて、そのまま風呂場に直行した。こいつがほんとに、臭えったらない。
このままじゃ一緒に住めない。風呂の戸を開けて、桶にお湯をためていく。ようやく俺の腕の中の黒猫は、危機を察知して暴れだすが、もう遅い。俺は腕まくりをし、たっぷりのお湯にゆっくりとヤツを浸していった。
案の定だ、猫の体からノミがぴょんぴょんと避難して、俺の腕にくっついてくる。それすらもお湯で流して、いっそ俺も裸になって、おっさん二匹で泡だらけになった。
ザザザーッとシャワーをぶっかけて、お互いの石鹸を落とす。
「よし、こんなもんでいいだろ。今日からお前は、オリオンだ。よろしくな、オリオン」
強そうな名前とは裏腹に、オリオンはビシャビシャに濡れそぼっており、スマホの動画で見かけた濡れたフクロウのようになっていた。しょぼしょぼと瞬きし、もう二度と人間など信じないぞと言わんばかりに、風呂場の隅っこで痙攣しながら座り込んでいた。
それでも空腹には抗えないようで。
タオルでオリオンと、自分の体を拭きながら、そして着替えのパンツを上げながら、飯の支度を始めた。オリオンは台所の隅の冷蔵庫の影に隠れていたが、やがて俺の足元をうろうろし始め、全身全霊で餌の時間を楽しみにしていた。
今日の俺の夕飯は、日付が迫ってきたから適当にフライパンで焼いたシーフードミックスと、ツナ缶とマグロの刺身。あとビール。
オリオンには、シーフードミックスに塩などをかけずに皿に出した。何の警戒もせずに、もぐもぐと凄まじい食いっぷりだった。
そんなこんなで、俺とオリオンの、大雑把だけどあったかい共同生活が始まった。思いつきで飼ってしまったため、俺に猫の知識はなく、スマホで検索して勉強する日々だった。
猫に、イカや貝を与えてはいけないと検索で出てきた。ビタミンBとやらが、壊れるらしい。それからはシーフードミックスが余っていても与えないようにした。
そして猫は水が苦手で、風呂を好きになる猫は稀なのだという。特にオリオンは、ここに来て初めての過酷な試練が風呂場だったせいか、トラウマになってしまったのだろう、風呂場の戸口にすら近づこうとしなかった。まるでオリオン座と、サソリ座みたいだ。
今にして思えば、人間用のボディソープで豪快に洗ってしまい、タオルでゴシゴシ拭いてしまった。オリオンが仔猫だったら、俺に拾われたその日に死なせていたかもしれない。無知とは罪なのだと、改めて知った。
ここのところ景気が悪く、以前の減給騒ぎから、俺は這い上がれないでいた。そもそも俺が悪さをしたんじゃなくて、部下が会社の金を横領したのだ。すぐに全額返ってきたそうだが、あの部下とは仲が良かったからショックだったし、上司である俺も責任を取らされて、給料が減ってしまったのだ。
がんばってもがんばっても、ノルマばかりがきつくなって、給料は変わらず。家でオリオンと過ごしながら、晩酌するぐらいしか、楽しみがなくなってきた。
「さてと、俺は風呂に入るよ。お前はクッションの上にいな」
膝の上のオリオンをクッションの上に置いて、俺は風呂へと向かった。
「ニャー」
オリオンがついてきた。寂しいのだろうか。
さすがに、トラウマの風呂場までは来ないだろう。俺は脱衣所で服を脱いで、浴槽に入る前に、桶ですくって体を湿らせていた。
その時だった。ガラッと音がして、オリオンが顔をのぞかせたのは。
「……」
「……」
しばらく見つめ合う、俺と、オリオン。
「なんだよ、さみーよ」
「……ニャー」
オリオンが浴室に入ってきてしまった。そして風呂場の端っこで、ジト目で俺を凝視しながら座る。
そんなところにいたら、シャワーの水しぶきが当たるだろう。そしたら、びっくりして勝手に浴室から出て行くに違いない。俺は無理にオリオンを追い出しはせず、浴槽に身を沈めながら、オリオンと語った。
不思議なことに、シャワー中もオリオンはそのまま動く事はなく、ほんのりビシャッとなって、俺と一緒に浴室から出てきた。
もしかして、俺が仕事に行っている間に、ものすごく寂しい思いをさせてしまっているのでは? 風呂場まで来たのは、それが原因なのか?
スマホで、猫が風呂場までついてくることを検索してみると……意外なことが知れた。
ほとんどの猫は、自身が濡れるのを嫌う。そもそも野生動物にとって、体がずぶ濡れになって体温が下がる事は、時として命の危険につながるからだ。風邪をひいたって、野生動物は人間のように安静にしたり薬を飲んだりもできない。
そして猫は、人間のことも、猫だと思うのだそうだ。やたらにでかい猫だと。つまりオリオンは俺のことを、巨大な猫だと思っている可能性がある。
オリオンから見た俺は、疲れてるくせに湯船に浸かってシャワーを浴びて、わざわざ全身ずぶ濡れになる、要領の悪い巨大な猫なんだろう。満月のような瞳を三日月のようにして「こいつはアホなのか……?」と思いながら、俺を眺めていたに違いない。
身近な動物とも文化の違いがあるとは。風呂に入らないわけにはいかないから、俺はオリオンが死ぬまで「メシくれるでかいアホ」として認識されるのだろう。なんとも残念な話だ、そう思いながらスマホの画面をスクロールしながら続きを読んでいると――猫はずぶ濡れになったあなたを心配し、溺れないように見守っているんです――と記されていた。
「弱った
ビールで酔っ払い、寝落ちしかけながら風呂場までヨロヨロと歩いていくおっさんを、オリオンがわざわざ?
この記事は猫と水場についての、所説あるうちの一つだが、これが一番胸にきた。
そういえば、オリオンは風呂場がトラウマなのだった。それまで一切近づこうとしなかった。それなのに、最近は必ず浴室にやってくる。シャワーの水しぶきがヒゲにかかろうが、湯気で体毛が湿ろうが、いつも。
俺の膝の上で、今日もゴロゴロと喉を鳴らしているオリオン。三つ白い団子が並んだ背中を、よしよしと撫でた。
「心配してくれて、ありがとうな」
オリオンはゆっくりと俺を見上げて、
「ニャー」
と鳴き、また目をつむって、喉を鳴らしていた。
日本の片隅に、おっさんと、おっさん猫一匹。今夜も一緒に、布団に丸まっている。
いつの間にか借りているのが、猫の手だったりする 小花ソルト(一話四千字内を標準に執筆中) @kohana-sugar
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