猫招き開く小さな旅の

川清優樹

猫招き開く小さな旅の

 猫の手も借りたい――なんて言われるととんでもなく忙しいのだろうなと思ってしまうけれども……。


「借りたとして、猫の手というのは果たして役に立つのでしょうか?」


 一緒に呑んでいた気の合う友人からの素朴な疑問。ふむ、と私はロックグラスをそっと回した。


「やー、猫ってのは凄いんだよ」


 中の琥珀色が明かりをまとってゆらりと揺れている。まあここは洒落たバーでもなんでもなく、気安い宅飲み会場なんだけどね。


「大昔から信仰の対象だった、とかそういう話ですか?」

「ん、それもだけどね。猫の手を借りるって意味で……そうだなあ」


 グラスを少しだけ傾けた。薫りと味、喉を通る熱が心地良い。


「そういう話は然るべき場所にて、来週お出かけしない?」


 目の前の彼女の反応を見ようと視線を向ける。我が愛すべき友は自作のカクテルを優雅な所作で飲んでいたが、ふわりと首を縦に振ってくれた。


「今回もそんな流れになるのですね」


……様になるね、流石はお嬢様だ。


「いいかな? それとも駄目?」

「前者で。来週は予定、大丈夫ですよ」


 そして、行き先は貴女にお任せしてよいのでしょう? と。んー嬉しい事言ってくれるねえ、その信頼にはお応えしないとだ。


「ありがと、それじゃあ来週金曜夜に」

「……いつもの場所で待ち合わせ」


 という事で私、姫原美都の次の旅は親しい友人とともに。とある未来に猫の手を借りる予定の地へと決まった。



 * * * * * *



 温泉付きの宿に車をおいて、私たちは川を遡るようにして国道沿いのゆるやかな山道を歩いていた。振り返れば木と川の町の森と緑に春の気配、先を見れば揺れる木々に僅かな冬の名残。


「手袋とマフラー、持ってきてよかったでしょう?」


吐く息に白が混じるのではないかと思われる寒さは、少し強い風と共に去りゆく季節の声のように聞こえる。


「まったくもって仰る通り、流石だね」

「ふふ、褒めていただいて嬉しいです」


 私もそれなりにはという自負はあるが、友人は本当に健脚だ。少し小柄で歩幅も私より小さいのに、すたすたと軽快に登り道を進んでいく。流石はそこそこ本格的な登山とキャンプが趣味なだけある。夏山に誘われてはいるけどこれはそいつに向けて鍛えておかねばかな。


「このまま道なりで良いのですか?」

「うん、あってるあってる」


 太い水の流れを遡りどこまでも。途中ぽつんとあったホームセンター隣接の売店で休憩を取りながら進めば、やがて道は古い宿場町を思わせる小さな街並へを入る。


「あっちに橋が見えるでしょ」

「小さく」

「それを渡ったとこだから……ちょっと休む?」


 いいえ大丈夫です、と笑う彼女。


「予行演習と思っておきます、貴女との」


 ……うん、やっぱり鍛えておこう。なんて事を考えながら常温のペットボトルの水を一口して、短い家々の並びを過ぎ、そこから更に暫く歩いて橋を越えると目的地はすぐだ。


「さあ着いたよ」


 少しだけ開ける視界。歩道から見晴らせるそこには、迫る山が両手のように抱き、背後の大きな川からわかれたせせらぎが穏やかな時を告げる平地が広がっていた。


「……綺麗な土地です。でも、ここは?」


 首を傾ける彼女に向けて、私は両手を広げてみせた。


「近い未来に、猫の手を借りる場所、さ」



 * * * * * *



「猫の手も借りる場所?」

「ううん、猫の手を借りる場所」


 一つの文字で伝わり方を変える言葉を空に流しつつ私は続ける。


「手も……じゃなくてさ、手を借りたいってのはある話だよーって思ったんだ」


 水と風の清い場所が魅せる琥珀の夢……なんていうと気取り過ぎだけど。


「ここのあたりにウイスキーの蒸溜所が出来るの、数年後にね。ちょい前に地域のニュースで見たんだけど」

「お酒絡みのニュース、の間違いじゃないですか? ……失礼、それが猫に何の関係があるのでしょう」

「簡単簡単、となると守護者になるのさ、猫がね」


 鳥や鼠から、大切な命の水の命の源を守る――それを。


「ウイスキーキャットと人の言う」

「……その響きは聞いたことがありましたが。成程。猫の手を借りた結果として」

「うん」

「天使と人間は美酒を分け合う事ができると」


 ……気取っているのは彼女もだった。いやはや親友にして心友だね。思わず頬が緩んでしまい、そして軽く愉快なやり取りはなおも続く。


「そう。そしてそれがあなたが先週言ってたさ」

「ふとした言葉の……」

「一つの答えと、そういうハナシ」


 ついでに猫が好きな人は多いでしょ、と付け加え。


「ま、ここにできるそれが猫様を雇うかなんてわかんないけどね」

「……マスコットとして、とか」

「おーたしかに。今なら大いにありそうだ」


 涼し気な川の音と風の調べ。人の足音ともしかしたら猫の鳴き声ででここはそのうちもう少し賑やかになるだろう。


「でも呆れました。『まだ』何もないじゃないですか」

「だから、『また』来られるでしょう? その時も、できれば君と、なーんてね」


 ああそういう事ですか、と呟いた顔は多分笑っていたはずだ。だって彼女と私は。


「本当。似た者同士ですね、わたしと貴女」


 あれ先を越された。……んん、なんか不思議な感覚だぞ?



 * * * * * *



 さてさて猫の話として、帰り道での話も一つ。


「ところで」

「んー?」

「わたしは構わなかったのですけど、今回歩いてくる必要あったんですか?」

「おお」

「麓に着く頃には日が暮れていますよ。車止める場所ありましたよね、さっきの場所の道の脇」


 ごもっとも。下り道だから疲れはないけど、伸びる影はそのまま歩いた時間の長さ。

いやあ、でもね、我が友よ。


「あー……あのさ、途中いい雰囲気の場所あったでしょ」

「宿場町」

「それ」

「あそこに知る人ぞ知る日本酒の酒蔵があってー……ね?」


 試飲で気に入ったものを買えるみたいなの、と。


「だから車は無理って話、どうかな寄ってもいい?」

「……お付き合いしましょう」

「ありがとね」


 と。それに対してぴたりと立ち止まり手招きするような仕草を作る友人。


「にゃあ」

「……何それ」


 私より遥かに真面目な彼女にしては珍しく、茶目っ気たっぷりの鳴き真似だ。その意を汲むのが難しく、ちょっと尋ねれば見える淑やかな微笑み。


「貴女といると幾ら時間あっても足りないですから」

「猫の手も借りたい……って?」

「どう取って頂いても」

 

 なんと手強いお答えでしょう。

 

 嗚呼、そこの気持ちを翻訳してくれる猫の手を借りたい気分かもー……なんてね。

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猫招き開く小さな旅の 川清優樹 @Yuuki_Kawakiyo

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