白と灰の優しい獣
Ru
1 白の神様
深い深い山の奥。自然豊かなその山は一人の神によって守られ、たくさんの動物達が暮らしていた。
この山の掟にもちかい約束事。それは、弱肉強食という自然の摂理を準じながらも、不必要な人との殺生は禁ずるというものだった。
人は恩を忘れはしても、怨みは忘れない。それは、血統ではなく種族に引き継がれ、必ずこちらに降りかかる。身を守る以上に、人に危害を加えてはいけない。
怨みを受け止めるのは、私一人だけで良い。
神様の言葉が動物達のみならず、近隣の村々へも届いてから数百年と時が過ぎた。
この話は、そんな神の言葉が伝わる、ひとつの山での出来事。
【白と灰の優しい獣】
その日は、ひどく冷えた夜の事だった。日が登る時間が短い冬場。木々の隙間から差し込む月明かりが朧気に辺りを映し出す。
「この辺りに逃げ込んだぞ!」
「子供を狙え!そっちの方が高く毛皮が売れる!」
山に響く怒声にも近い声。動物達の鳴き声ではない。静かな森に響いたのは人の声だった。
木々の焼け焦げる臭いに火薬の臭い。そして、血の臭いが混ざり合った酷い空気を、怒声が引き裂く。複数人で現れた人々は、若木をナイフで切り払い、真っ白な雪にはおびただしい数の足跡がつけられていた。
「居たぞ!そっちの崖際に追い込め!」
風とは違うものに木々が揺られ、人の怒声に続き、高く遠吠えが夜に響く。数頭の狼の遠吠え。そして、それを引き裂くように森に銃声が鳴り響いた。
獣は、人の作る兵器には叶わない。爪も、牙も、それが届くよりも早く鉛玉が獣の肉を突き破る。
気高い遠吠えはか弱い鳴き声へと変わり果て、複数匹居たであろう鳴き声も少しずつ数を減らしていく。
緑に、白に、そして赤。
今宵の山は、日頃見ない色で彩られた。
銀灰の毛皮が赤黒く汚れていく。折り重なる狼の亡骸。大きなものから、小さなものまで。例外なく血に染る。
「おい、ある程度数を減らしたら銃はやめろ。毛皮の質が下がる」
男の声がけ一つで銃声がぴたりと止んだ。それを合図に複数の男達が狼達へと近寄ると、もぞりと、その山がうごめいた。
一人の男が一匹の狼を掴みあげた時だった。
「ぅ、ぁぁぁあ?!な、こいつ、生きて……っ!」
灰の毛皮を押しのけて、中から一匹の小さな狼が男へと飛びかかった。弾丸のように飛び出した獣はひと一人を軽々しく押し倒し、乗り上げたままに片腕に牙を立てる。
衣服など鋭い牙の前には紙切れ当然。容易く貫かれ、柔らかな肉から狼達と同様に真っ赤な鮮血を垂れ流した。
闇夜に光る狼の黄金の瞳。それは怒りに打ち震え、先程で顔色人使えずに獣を狩り殺した男を一気に恐怖で染め上げた。
だが、その出来事はものの数秒で事態を変える。
ガツン
脳を揺らす強い衝撃が狼を襲うと、その小さな身体は空へと弾かれるように浮かび上がる。飛びかかった男とは別の男が、狩猟用の棍棒で殴りあげたのだ。
柔らかな雪へと投げ出される獣の身体は僅かに震えるも、ろくに身動きすら取ることもせずに弱々しい声だけが聞こえてくる。命を散らす前の、鼻を鳴らした弱々しい鳴き声だけが。
「くっ、そ……コイツ、殺してやる……!」
狼のぼやける視界に映るのは、よろよろとこちらへと歩み寄る一人の男。金属の棍棒が月夜に高く振らあげられ、怒りと憎しみの中でそれが振り下ろされるまでを、狼は見送るしか出来なかった。
そんな、時だった。
嵐のように吹き抜ける突風が木の葉はおろか雪をも舞いあげる。白く霞んだ視界の先に狼が見たものは、雪とおなじ真っ白の影。長い白髪を風に靡かせたその者が、命を奪おうとしていた棍棒を弾き飛ばし、男の前に立ちはだかっていた。
「ここは人が立ち入るべきところではない」
細く美しい声。
落ち着いているような、静かな声色で紡がれた声は、全ての音を吸収するように静かに森に響き渡る。
「な、なんだお前……!」
突然の事態にうろたえる男の言葉に返答はない。どたどたと慌ただしい足音を重ね、白い者を取り囲む。
収めたはずの猟銃を手に取り、まるで先程の仮と変わらぬ様子でその銃口を突き付けた。
「まだ殺すつもりなのか」
穏やかな声がぽつりと、投げかけるわけでもなく呟いた。嘆きにも、怒りにも似たその声色が狼にも届く。
朧気な狼の瞳に映るのは、白な雪と、鮮やかな赤。
遠のく意識の中で、狼は思った。
これが、白の神様。
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