Part 3

「この写真に写っている人が出てくる夢も、昨晩見たの。何か辛そうだったけど……。わたしもとても暗い気分だったわ。全然うまくいっている雰囲気じゃなかった。わたし、どうしたらいいのかしら」


「そうですね。戻りたい気持ちがあるんだったら、必死になって体をさがした方がいいと思いますよ。僕も力になりますから。……あなたの体さがしを手伝わせてもらってもいいですか」

「手伝う? あなたはどうするの」

「僕ですか? 僕はどうでもいいんです。急いでないですから」


「……変な人ね。周りの人たちは必死になって、体をさがしているのに」

「二十年という歳月が長過ぎたんですよ。昨日、今日という問題じゃあないんです」

「どういうことですか」


 置部は自己紹介と共に、自分の現在の境遇について話した。


「ところであなたのお名前を訊いてもいいですか」

 話の終わりに彼は言った。

「窪原です。窪原頼子。よろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしく」

「置部さん。その……いろいろ分からないこともあるので、お手伝いいただけますか」

「いいですよ。それじゃあ、まず僕の知っている穴場を紹介しましょう。けっこう体が見つかる確率の高い所をね」

「ほんとうに? うれしいわ」

「早速、行きますか。意外と近くにあるんですよ」

「そうなんですか」


 彼は平地の隅にある、とりわけ大きな扇の形をした岩に向かって、歩き始めた。頼子もそれに付き従う。


「置部さん、夜は怖くないの? あの嫌な夢をあなたも見るんでしょう?」

「そりゃあ、怖いですけど。しょうがないです。我慢できなかったら、死ぬしかない」

「そうよね。でもよく我慢できるわ。わたし、一日だけでも耐えられなくて泣き出してしまったのに」

「僕も毎晩泣いてますよ」

「そうだったんですか」

「はは、冗談ですよ。冗談」

 置部は笑った。それにつられて頼子も笑った。


                      



 窪原秀弘は、先ほどから海岸の砂浜を歩き続けていた。

 陽は既に高く上り、真昼近くになっている。それなのに、今日の窪原には何の収穫もなかつた。このまま何も見つからないかもしれない。昨日のものよりもさらに重い焦燥が、彼の心にのしかかっていた。


 一歩一歩足を踏み出す度に、可能性が無くなっていくような気がして、ふと立ち止まる。結果はその逆のはずなのに、と窪原は思う。いや、この島に俺の体が全部埋まっているという保証がどこにあるのだ。昨日の置部の話では、現実に戻れる人は、ごく稀だという。本当は、戻れる人はあらかじめ決まっていて、そういう人にだけ体は簡単に見つかることになっているのかもしれない。ひょっとしたら俺は死を選ぶべき人間なのかもしれない。現に〈導き〉は最初に俺を島の影に連れて行こうとしたではないか。結果は決まっているのだ。俺のこの行動は無駄なことなのだ。もし、この行動に意味があるとしたら、死への心構えをさせることだけだ。


 窪原は海の方に身体を向けた。いつの間にか、この北の海岸に来てしまっていた。死へと誘われるこの海岸に。

 丸みを帯びた水平線――静かに蠢く海面――黒々した島の影――わず数メートル先の死。

 彼は、ふらふらと海に近づいていった。朝に感じていた希望は、もうかけらも無くなっていた。


 ふと、左の視界の片隅に大の字になって砂浜に寝転がっている男が映った。顔立ちの整った若い男である。薄いサーモンピンクのブランド物と思しきサマースーツを着ている。服は、ところどころ砂や土が付着し薄汚れていた。

 派手ではあったが、その服装には気障なところがなく妙に男に似合っていた。窪原は瞬間的にこの男に興味を持った。と同時に、窪原は我に返った。衝動的に死を選ぶことを、この寝転がっている男によって免れることができたのだった。窪原は、この男に感謝したい気持ちになった。


「どうしたのかな。そんなところに寝転がって。空でも見てるのか?」

 窪原は、男にできるだけ明るい口調で話し掛けた。

「迷ってたんだよ。入るか、入らないか」

 男は、ぶっきらぼうにそう答え、横になったまま海を指差した。

「ほう。それは大変だな。どうだ、煙草でも吸いながらじっくり考えてみたら」

 男はそれを訊くと、跳ね起きた。


 窪原は煙草のボックスをジャケットのポケットから取り出して、男の目の前に持っていった。

 男はボックスを受け取り、震える指で煙草をボックスから取り出した。窪原は笑いながら、ライターを差し出した。ボックスの中の煙草は十八本になった。

 窪原も煙草に火を点けた。

 二人は、煙草を吸いながら、自己紹介をした。男は赤本達昭という名前だった。


「あんた、ウイスキーを飲んだりするかい?」

 突然、赤本は言った。

「あるのか?」

「これがあるのさ。驚いたろ」

 赤本はスラックスのポケットから、ウイスキーのミニチュア瓶を取り出した。琥珀色の液体が半分くらい入っている。


「もしそれを俺に飲ませたら、なくなってしまんじゃないか?」

「まあな。三日ぐらい前に、ある奴に飲ませたら、半分に減っちまった。だから全部は飲まないでくれよ。少しでも残っていれば、ちびちびながら無限に飲める。俺はね」

「それを俺に飲ませてくれるのか」

「ああ。煙草のおれいだよ。あんたの煙草だって一本減ったんだろ」

「そうだが。とりあえず遠慮しとくよ。思いあまって、全部飲んじまうかもしれない。たぶん嫌いな方じゃないんでね。おまけに、今すごいストレスを抱えているところだ」

「そうか。奇遇だな。俺もだよ」

 二人は苦笑いして、それからまた紫煙をくゆらせた。

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