猫の手

あんころまっくす

1

 薄暗い部屋の中、そこには紙の束と僅かなに囲まれてひたすら書類仕事に没頭している少年の姿があった。

 十代中頃だろうか。吊り目に三白眼、舌打ちを繰り返す歪んだ口元からはわんぱくというよりは擦れ切ったワルガキという風情を感じさせるが、重厚な書斎机に向かう所作は随分と様になっている。

 書類に隅々まで目を通し、署名しては捺印する。読みもせずに署名と捺印だけならもっと早く終わるのだろうが、そうもいかないのが辛いところだ。


「オ・ニ・イ・ちゃあん」


 鼻にかかった甲高くも甘えた声とともに少女が扉を開いた。

 若い肌を見せつけるような露出が多くかつ大きめなサイズの服は一見すれば歳相応の無防備さを演出しているが、その顔には他者をあなどるいやらしい笑みが浮かんでいる。


「ヒマだからぁ、アソンであげにきたよお?」


 書斎机に腰を載せて覗き込んだ少女は蠱惑的に囁く。衣類の隙間から覗く熟れる僅か前の素肌に一瞬だけ視線をやった少年は不愉快そうに眉を寄せて舌打ちした。


「うるせえぞメスガキババア」


 彼の静かながら辛辣な一言に少女はまなじりを吊り上げた。


「はぁ!? ババアってゆうなし!」


「うるせえババア。俺様は今死ぬほど忙しいんだどっか行ってろ。ちなみに今日のお勧めスポットはあの世だ。マジお勧めだ。今すぐ逝け」


 取り付く島もないその態度に言い返そうとして止めた少女は、書斎机から離れると面白くなさそうに傍のソファに寝転がった。


「貴様はほんっとノリが悪いのう。興ざめじゃわ」


 少女の口調がガラリと変わる。どうやら少年の言い草はただの罵詈雑言ではないらしい。


「忙しいっつってんだろ。おかげ様でなあ」


「ちょっと隣領まで旅行しただけじゃろうが」


「全然ちょっとじゃねえし留守の間に俺の自律人形勝手に貸し出したろうがアレが戻ってこねえからなってんだよわかってんのか!?」


 そう、本来なら少年には秘書役がいるのだ。


「えへへーオニイちゃんなにムキんなってんのキモーイ」


「テメェが! 俺様の手駒を! 適当かましたンだよブッ殺されてえのか!?」


 目を血走らせて唾を飛ばしまくりながらキレる少年を見てさすがに少女も気まずくなったらしい。


「わかった、わーかったわい。わしにも非が無いとは言えんからの。手を貸してやろう」


「テメェに書類仕事できんのかよ?」


 訝しげに問い返す少年に向けて、少女は何処から取り出したのかもふもふと毛の生えた棒状のものを取り出して突き付けた。


「わしはそんなことはせんが、代わりにを貸してやろうではないか」


「はあ? 猫の手だあ?」


 差し出されたソレは確かに言われてみれば猫の前足だった。まあではあるだろう。少年は首を傾げる。


「ガキの玩具みてえだな。んで? こんなもんでどうしろっつーんだよ。これが書類仕事でもしてくれんのか?」


「わしの故郷には忙しいことを指す慣用句として『猫の手も借りたい』というものがあってのう」


 少年は「お、おう?」と相槌とも疑問ともつかない声を上げたが、少女は構わずに続けていく。


「それをもとに言霊を封じたものがこれじゃ。こいつに少々魔力を注ぎ込めば、魔力の持ち主の“忙しい”状況を解消するよう因果に干渉する呪を発する」


「なるほど」


 少年は神妙な顔で頷いて差し出された猫の手をまじまじと見つめて、ひとつ大きく息を吐いた。


「因果に干渉とか気軽に言いやがって、くっそヤベェマジモンの呪具じゃねえかこのメスガキ呪詛ババア頭湧いてんのか」

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