第10話 まともな交渉相手もいないし交渉する気もない
「どういうことですか? ウィルニア先生。」
エゼルハック商会の会頭は、たぶん四十の半ば。恰幅が良いと、言えばそうなのだが、ようはこの年頃の男性に多い、肥満気味の体型で、着ているスーツは南洋生地を使った高級品なのだが、“太ってる分、生地がもったいないな”とリンドは思った。
「どうもこうも」
ウィルニアは肩をすくめてみせる。恐れ入りますのポーズなのだが、政財界に顔の広いエゼルバック商会の会頭殿の怒りをそよ風のごとく、受け流していた。
「お探しの方をお連れしたまでで。」
「そいつは勘当いたしました! もう、親でもなければ子でもない。お引取り願いましょう。」
表情な固く強張っている。
「ところがそうもいかないのですよ。」
リンドが声をかけると、会頭ははじめてその存在に気がついたように、ぎょっとしてこちらを眺めた。
リンドがいたことに、そして彼女がけっこうな美人であることに気がつくと、少々態度を軟化させた。
「失礼ですが、どちらさまかな? もし娘の知己というのなら、残念ながらあなたの友情にはふさわしくない所業をしでかした娘です。即刻、縁をきることをおすすめする。」
「それはたしかに、実の家族に殺し屋を差し向けるようなお嬢さんですからね。」
リンドの言葉に、会頭は顔色をかえた。
「どこでそんな噂を聞きつけたか知りませんが、これは立派な名誉毀損ですぞ!」
「殺し屋に狙われたほうが名誉を既存されたなんてきいたことがありませんよ。」
リンドはストールを少しずらして、尖った犬歯をみせた。
「“紅玉の瞳”。お嬢さんが、殺しを依頼された組織のものです。」
会頭のことばはもはや悲鳴と化していた。
リンドの身体を見えない鋼糸がしばりあげ・・・一瞬で凍って砕けた。ナイス、ウィルニア。
「いやいや、わたしはあなた方を害するために来たのではありません。」
しゃあしゃあと、リンドは言った。
「むしろ、この不毛な争いを終わりにしたいと切に願うもうのなのですよ。」
武器を手に現れたものの中に、“糸使い”らしきものの姿は見えなかった。
手にしているものはただの鋼の刃物。人数は5人。よし、10秒で殺せる。
「もともと、あなた方がお嬢さんを殺し屋をやとって襲わせた、彼女からはそうきいていますよ?」
「馬鹿な!」
会頭は叫んだ。
「なぜ、勘当までした娘にわざわざ殺し屋を差し向ける!」
「でしょうねえ。本当に殺す気なら家のなかで毒殺でもしたほうが、確実でてっとりばやい。そもそもプロの殺し屋に襲わせておいて失敗するなんてことも信じがたい。」
「・・・・いったいなにが言いたいんだ?」
「頭に血がのぼったお嬢さんが、うちに殺しの依頼をかけてくるように仕向けたんです。『銀月』さんが。」
なにかに気がついたように会頭はあえいだ。
「銀月騎士団だったら、たしかに婿の実家で最近やとったという傭兵集団だときいている。しかし、なぜそんなことを・・・」
「この街で名を上げるためですよ。そして、案の定、雇った殺し屋は銀月のみなさんに返り討ちにあってしまった。
これで、“紅玉の瞳”より“銀月騎士団”のほうが上、と。」
そういうことにしたかったんでしょうが。
会話についてこれないマルカを、ため息をついて見やった。
「お嬢さんは、自分の処女の生き血を代償に、さらに次の殺し屋を要求してきた。ここまでは銀月騎士団も想定してたかもしれない。
お嬢さんとの待ち合わせの場所に殺し屋を送り込んできましたからね。
だが、このわたしと」
サングラスをずらして真っ赤な目をみせた。
「わたしの相棒が返り討ちにしてしまった。」
「そ、それで・・・」
「ここらで手打ちにしたいんです。お嬢さんの殺しの依頼を、そっちで費用をもって取り下げてもらえませんか?」
通常、殺人の依頼をしたら、それを取り下げるのは依頼料の十倍が相場だった。いくら殺人が横行するこの港町でも、殺しの依頼を遊び半分でされては、殺し屋のほうが迷惑なのである。
「なぜうちが・・・・」
「もともとは、お嬢さんの婚約者を、妹さんにすげ替えたのが、きっかけです。お嬢さんもある意味被害者だ。お気の毒です。」
「なら、マルカの血でもすすったらどうだ、吸血鬼。」
ああ、亜人差別だ。公安にチクったろう。殺し屋が大きな商会の代表を告訴できるものかしらないが。
「ただの生き血ではありません。お嬢さんが提供するといったのは“処女の生き血”です。」
リンドはいやあなにやにや笑いを浮かべた。
「お嬢さんはそれを提供できないですよね?」
会頭は絶句した。
マルカも真っ赤になって口をパクパクさせている。
「・・・まあまあまあ・・・」
こんなに虚しいまあまあまあを聞いたのは、長い年月を生きてきたリンドにとってもはじめてだった。
「男遊びの激しい娘さんも、入婿が処女厨だったお父さんもいったん話をおいてください・・・」
「いや、おまえが話をややこしくしてるだろっ」
リンドは叫んだ。
リンドはウィルニアにこの言葉を、その後1300年あまりの間に、98,346回使うことになる。
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