リンド 昔語り
此寺 美津己
第1話 紅玉の瞳
リンドの戦歴の中には、鋼糸使いも含まれる。
当時、リンドは人間にまじり、中原の今はなき、都市国家に暮らしていた。
そこは、商人たちが政を行う国で。
一定の規模、例えば大通りに固定の店を構える、とか、搬送に携わるものなら馬車を何台、港湾関係ならば、一定の規模以上の倉庫を持つ、など、ある程度の条件を満たせば、男女も問わずに、「立法院」や「執行院」のメンバーを互選する「選挙」に参加することができる。
豊富な財力に、強大な軍事力を兼ね備え、一時は中原でも支配的な地位をしめる国家となっていた。
そこで横行したのが「暗殺」だった。
「立法院」や「執行院」の重鎮といえども、そこは幼い頃から、地位に伴う責務をたたきこまれた貴族ではない。
「賄賂」や「甘言」ももちろん有効であったが、なにより幅をきかせたのが「脅迫」である。
それは、あっという間にエスカレートし、対立相手を非合法に抹殺することを容易にした。
会議室も議事堂もあったが、意見を戦わす前に、彼らは対立者をすみやかに、この世から排除する道を選んだ。
もともとが、「家」を護衛する“影”や“暗部”といった組織を持たない、ただの市民たちである。
振りかざす暗殺者の刃から身を守るすべもない、彼らは、「殺される前に殺すこと」を選択し、かくして、都市はいくつかの暗殺者によるギルドが実質的に支配する街となっていたのである。
リンドは、そのひとつ「紅玉の瞳」に雇われていた。
素性は隠していない。
相手を速やかに抹殺できる技量の持ち主ならば、人間だろうが、魔族だろうが、彼女のような吸血鬼だろうが、「長」は雇い入れることに躊躇しなかった。
「わざわざ、呼び出されるのは珍しいな。」
そこは、波止場から近い酒場だった。
『会員制』と看板はおかれているものの、混み合っていなければ、まず断られることはない。
潮風ですっかり輝きを失った銀文字で書かれた店の名前は「紅玉の瞳」・・・・そのままである。
リンドは、カウンター席のスツールで、次の一杯を注文しながらそう言った。
カーキのロングコートに、ストールをぐるぐるに巻いている。
ロングコートは、体のラインを隠すため、ストールは口元を隠すためであったが、店内では少々浮いている。
酒場とはいえ、腹を満たす料理のメニューも豊富なのだ。
カウンター席を選ぶのは好みの問題であるが、少なくとも上着くらいは脱いで、もう少しくつろぐべきであろう。
「なんぞ、厄介事でなければいいですがね。」
隣に座るのは、ヤッカ。
魔族出身の男で、いつもの上下ともに黒のスーツ。
組まされるのは、荒仕事のときばかりで、つまり、今日は厄介事に違いない。
「また新調したのか?」
リンドが尋ねると、ヤッカはうれしそうに笑った。
「よくぞ、気がついてくれました!
先月、ラコッド織りの生地がやっと手にはいりましてね。そこから仕立てに一ヶ月かかりました。
気がついてくれるのは姐さんくらいですよ、まったく。
ほんとに仕立てや色合いに差がわかっちまうのは黒なんです。
凡人共はそれがわからない。」
「すまんな。それだとわたしも『凡人』のうちだ。」
リンドは、バーテンからグラスを受け取りながら言った。
「わたしに言えるのは、おまえの着る『黒』は、夜の闇を正確に模しているからだ。
今度のその生地はいいな。
この街にくるまえに過ごした西方の古城の地下室を思い出させるよ。」
「はあ」
ヤッカは、首をかしげた。
「それは、褒められたんでしょうか?」
「ああ、安心と安寧をくれる闇だ。わたしは好きだよ。」
ヤッカは素直に喜んだ。
魔族の中には、常時、濃縮された魔素を摂取することで、体力、魔力、知力を高めておこうとする連中も多いが、そういった奴らは、ほぼ例外なく、好戦的になる。
ヤッカは、ふだんは魔素を取らない。
グラスを飲み干すと、底に文字が現れた。
「潮風は北から吹く」
リンドは立ち上がると、店の一番奥。ちょうど入口からは見えないテーブルに足を運んだ。
「依頼人」はそこに座ることになっていた。
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