第52話 賢王と魔法使い
視界に現れたのは、俺の学舎——ノーティオ魔法学園の講堂だった。
普段の授業はノクス先生、シルワ先生と別れているが、座学の合同授業等で使用する場所だ。
……しかし、間取りは一緒だが何か違和感がある。
そもそも俺はアンゴル大峡谷の戦場に居たはずだ。瞬間移動出来る能力が魔王にはあるのか?
それに、目の前の光景は現実感がない……。
『当然だ。これは私の記憶だからな』
突然、脳内に魔王フィデスの声が響き、ギョッとする。
『便利なものだな。お前に触れるだけで記憶の共有も可能らしい』
俺の心が筒抜けだったように、持ち主側の出力を上げれば、脳内だけで会話が出来るということか。
便利ではあるが、少しゾワゾワして気持ちは良くない。
『そう言うな。フィリアに面白いものを見せてやろう。ほら、これから私に話しかける男が、全ての元凶、偉大なる魔法使いノーティオだ』
「おはよう、フィデス」
「おはようございます、フィデス殿下」
親しげな呼び掛けに、視界がぐるりと動く。
確かにここは魔王となる以前の、フィデス・パルマの記憶の中らしい。
フィデスの目は、彼に声をかけた人物をしっかりと捉えた。
「おはよう、ノーティオ。ミリュー。今日も二人で登校とは、仲の良いことだ」
フィデスの揶揄う声に、ノーティオとミリューと呼ばれた男女は、顔を見合わせ照れ臭そうに笑っている。
後に伝説の大魔法使いと呼ばれた男は、思ったよりも凡庸で特徴の無い顔をしていた。
『ここはノーティオ魔法学園の前身、アウルム魔法学園だ。ノーティオとミリューは戦争で両親を失った孤児だったが、孤児院で魔力があることがわかって、特別枠で入学してきた。あの頃から、既にノーティオは人とは違っていた……』
また視界の風景が変わった。
今度は砂塵の舞う戦場だ。
敵味方の人馬が入り乱れ、混乱する現場で一瞬光が膨らみ、次の瞬間、馬ごと百人以上の敵兵が弾き飛ばされた。
「フィデス殿下! 僕が道を開きます! このまま殿下は進軍してください! ミリュー、殿下に同行して守ってくれ」
「任せて、ノーティオ! さあ、殿下、ノーティオが敵軍を抑えているうちに我々は進みましょう!」
振り返ったノーティオの顔は、アウルム魔法学園在学時より幼さが消え精悍になっていた。
ノーティオとミリュー、二人の指にはお揃いの指輪が光っていた。
戦場では息の合った頼れる仲間だが、実際は恋人同士なのだろう。
『ああ、彼らはお互い唯一無二の存在だった。そして私はそれを羨んだ。私はいつの間にかミリューを愛していたんだ。彼ら二人に割って入る隙間などないと分かっていたのに』
視界は再び暗転し、場所を変えた。
焦げ臭い、物の焼ける匂いがまず嗅覚に伝わってきた。
フィデスが目を開けると先程とは場所が違うが、ここも戦場だった。
いや———今度は城の中か?
『そうだ。戦況は悪化して、とうとうあの日パルマ城に攻め入られた。折り悪くノーティオは敵国へ遠征中で、城の中には僅かな兵士とミリューしかいなかった——』
「フィデス殿下! こちらへ早く! 敵兵に見つからないうちに城を脱出しましょう」
秘密の地下通路のような狭い空間に、ミリューがフィデスを促す。
城内に敵兵が侵入して、最早逃げる以外道がない状況らしい。
彼女の他に警護の兵もいないことから、事態が切迫している様子が窺える。
「大丈夫です、殿下。すぐにノーティオが助けに来てくれます。彼がいてさえくれれば、こんな状況すぐに」
「君はいつもそれだな。口を開けばノーティオ、ノーティオと」
「殿下……?」
怒気を孕んだ声に、ミリューが怯んだ。
視界がぐにゃりと歪み、音も歪んだ。
『私の心はとうに限界を超えていた。戦禍に倦み、愛する人は親友のもので、私の手には何も残らない。あるのは王という重責だけだ』
フィデスがミリューの手を掴んだ。
「殿下? 何を」
彼は無言で腰に刺していた短剣で、彼女の手と壁を縫い付けた。
「あーっっ!!」
ミリューの悲鳴が狭い通路に反響する。
深々と突き刺さった剣は、ミリューの力で容易く抜けるはずもなく、動けば動くほど彼女の身体を傷つけた。
「殿下、何故、こんなことを……」
「もうすぐここも敵兵に見つかる。君はここで死んでも足止めをしろ。私はこの国の王として、死ぬわけにはいかない」
「…………」
フィデスの無慈悲な命令に、ミリューは何も言わなかった。
ただ悲しげにフィデスを見つめ、その視線に耐え切れなくなったように、彼は逃げた。
実際、通路の遠くから敵兵の声が近付いていた。
フィデスが城から近くの森に逃げ込んだ直後、ミリューのいる通路の辺りが爆発し、火の手が上がった。
炎は城の各所で起こっていた火災と合流し、最終的には城ごと炎の中に包み込んだ。
『パルマ城は落ちた。ノーティオは遠征先の敵国で戦果を上げたが、帰ってくるのは間に合わなかった。焼け落ちた城跡から、私の短剣と一緒にミリューの死体が見つかった。ヤツはすぐに私の仕業だと気がついた筈だ。しかし何も言わなかった。何も言わずにヤツは姿を消した』
———その怒りが、ノーティオを魔界創造に向かわせたのか?
でも、あんな空間や魔物を作るなんて、いくら魔力が強くたって普通の人間が出来ることじゃない。
『そうだ。アイツはこの世界に人間の姿で生まれてしまった神なのかもしれない。だったらとても人間臭い神だ。ノーティオは両親を奪った戦争を憎み、恋人を間接的に殺した私を恨んだ。ヤツが姿を消してすぐに、ネブラ王国にアンゴル大峡谷が生まれ、地の裂け目から現れた魔物が地上を蹂躙した。その災禍は大陸全土に及び、最早覇権争いどころではなかった。皮肉なことにな』
また視界が一変する。
フィデスは地面に横たわり、誰かが魔物を従え崖の上から見下ろしている。
「やっと舞台が整ったよ、フィデス」
逆光で表情は分からなかったが、声でその人物がノーティオだと知れた。
「ミ、ミリューの復讐か、ノーティオ!……ッゴフッ!!」
フィデスが血を吐きながら問うた。
横たわっていたのは、ノーティオに崖から突き落とされたからだ。
身体がバラバラになりそうな痛みが、俺にまで伝わる。
あの高さから落とされたのなら絶命していてもおかしくはない。
辛うじて生きてはいるが、フィデスは虫の息だ。
「ああ、それだけじゃない。僕は人間というものに愛想が尽きたよ。無益な戦いばかりで何も学習しない」
「だから、魔物を……そいつらを作ったのか……ゲホッ! お前がっ」
「そうだ。でも今すぐ皆殺しにするつもりは無い。人間には時間と希望を与えよう。僕はこれからここを———魔界の入り口を結界で閉じる。低級の魔物が地上に出入り出来るくらい開けてね。それから魔力で動く道具——魔具を与えよう。いざという時にどう使うかは人間次第だ」
「お前は……神なのか、ノーティオ」
「僕は人間のつもりだよ、フィデス。それから君には地上ではなく、魔界の王になってもらう」
「……は?」
「君の『死』を僕が奪った。それがミリューを僕から奪った、君への復讐だ」
「っ、どういう意味だ……っ」
「じきにわかるよ。君が地上に出る頃には僕はもういない。さようならだ、フィデス・パルマ」
「おいっ、ノーティオ……っ!」
ノーティオが会話を一方的に打ち切って、片手を上げた。
それを合図に彼の周囲にいた魔物と、おそらく他にも側で待機していた魔物が、一斉にフィデスに襲い掛かる。
「うがぁぁっっ!!」
魔物たちの爪や牙が、フィデスの肌に食い込む前に視界が暗転して、俺はホッとした。
『ノーティオの言葉は真実だ。魔物に身体の大半を喰われても、翌日には元通りだ。反撃しても相手は多数だ。そしてまた喰われる』
想像するだけで恐ろしい地獄の責め苦だ。
ノーティオは本当にフィデスを許す気はなかったらしい。
『一年位同じことの繰り返しだった。しかし捕食されている最中に、小さな魔物の脚が私の口に入った。噛み砕いて飲み込んだら、身体に魔力が増える感触があった。それからだ、変わったのは。今度は私が魔物の捕食者になったのだ』
顔は見えないが、魔王フィデスがニヤリと笑った気配がした。
魔物に喰われた男が、今度は魔物を喰らって力を得て、心まで魔物と同化し最強最悪の王となったのか。
———これがフィデスとノーティオの因縁で、魔物と魔界が出来た由来———
俺——フィリアの本来の使用目的としては、魔物を殲滅するための秘密兵器だったんだ。
それが現在、敵方の魔王に奪われてしまっている………。
いや、そもそもの話。
ご先祖様の因縁のせいで、魔物による大量虐殺が起こって良いわけないだろう。確かに魔物という共通の敵のお陰で、国家間の争いはなくなったかもしれないが。
世界平和の理想の実現が難しいのは生前の世界でも、歴史やニュースで嫌と言う程知っている。
だからって、大義にために魔物による犠牲を見逃せって——そんな馬鹿な話があるか!
「ふふっ、憤ったところでお前には何も出来ぬよ。さあ、見よ! 世界が魔物によって滅びゆく様を!!」
視界が急に開けた。
魔王フィデスとの記憶の共有が解けたんだ。
目の前に先程と同じ、戦場となったアンゴル大峡谷の風景が広がる。
同じじゃない。
空にも地上にも、魔物が先程の比じゃないくらい溢れかえっている。
いかに無敵を誇る騎士団でも、この量を全部討伐するのは不可能だ。
そして最悪なことに、ヤツらは皆同じ方向に進んでいる。
おそらく魔物たちの目指す先は———
「そうだ。まず殲滅するのは、ノーティオが愛して憎んだ我が故郷『アルカ王国』だ!」
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