第20話 ディエス殿下と2

「……ここがこうでああなって………出来ましたわ!」

「フィリア、その結び方だと簡単に針が抜けてしまう」

「ああっ! 本当ですわ!」


 俺が殿下に釣りをしようと提案してからニ時間———

 思いの外、準備に時間がかかってしまった。

 提案したは良いものの、俺は釣りをしたことがない。もちろんディエスもだ。

 頭に閃いた時には良い案だと思ったんだ。

 一緒にいて、無言でも気まずくならず不自然でもない時間を過ごせる、それが釣りだと。


 以前散歩していて学園内に池を見つけたのも、選んだ理由の一つだ。

 釣り場スポットの良し悪しは分からないが、水面を覗き込むと大小様々な魚影が見えたんだ。


 しかし俺たち二人が釣り初心者だと判明し、出鼻を挫かれたその時——救いの主が現れた。

「これから釣りをなさるんですか?」

 釣りが趣味だと言う寮の料理長のおじさんが、俺たちの話を耳ざとく聞きつけ、声をかけて来た。

 夕食の支度があるから同行は出来ないと前置きした上で、親切なおじさんは釣り道具の貸出と、簡単なレクチャーをしてくれた。


 ———そして今に至る。


「これでいい」

「ありがとうございます、殿下」

 ディエスに結び直してもらい、針に餌までつけてもらった。

 いざ、異世界で初フィッシングだ! 



 ポチョンと針がオモリと共に水に沈み、しばらく経って、

「何故フィリアは私を釣りに誘ったのだ? 初めてなのに」

 と、当然の疑問を俺に聞いた。

 殿下との会話が弾まないからとは正直に言えない。


 いろいろ理由はあるが、その一つとして、

「やったことがないからですわ」

 これも大きな理由だ。

「?」

 当然、さすがの無表情も怪訝そうな顔になる。



 生前の俺は釣りをする機会もなく、興味も薄かった。

 だけど一度だけ、父親に誘われたことがある。

 父親は子どもに興味がない人で、母親に言われなければ、俺と妹は公園にさえ連れて行ってもらえなかった。

 その父親が、一緒に行かないかと言ったのだ。

 子どもの俺は今以上に釣りに興味がなかった。

「行かない」「そうか」の二言で会話は終了した。

 俺は死んでしまったので、父親と釣りをするという機会は永遠に失われた。

 まあ、父親は俺が高校生の頃、不倫をして母親と離婚しているので俺が生きていたとしても、その機会は訪れなかっただろう。


 釣りに行ったか行かないかで、運命が変わるものでもないが、父親との思い出が一つ増えたかもしれないとは思う。

 だからディエスを誘った。

 代替行為ではないが、やらなかったことが気にかかるなら、実行してしまった方がいい。

 殿下とどうこうなる気はないが、この機会に彼のことをもう少し知ってもいいだろう。



「ところで殿下は今、好きなものは何ですの?」

「好きなもの?」

「ものではなく、ことでもいいですわ。何をしている時が一番楽しいとか、そういうことですわ」

 初歩的な質問だが、フィリアの記憶のデータベースに現在のディエスの『好きなもの』は具体的に見つからなかった。

 もっと彼がよく笑っていた幼い頃の好みは『甘いもの』らしいが、そこから更新はされていない。


「……よく分からない」

 ディエスは未だピクリとも動かない水面を見つめて、ポツリと言った。

「分からない……ですか?」

「ああ、いや、分からないというのとも違うな」

 ディエスの眉間に僅かな皺が寄った。


「多分、私は失くすのが怖いから作らないんだ。陛下のように」


 彼が陛下と呼ぶのは、現王モーレス・パルマだ。

 先王の父親と産みの親である母親、育ての親である先王の妃が亡くなってから、実質モーレス王がディエスの親代わりだ。

 王がディエスの性格に、大いに影響を与えたことは確かだ。

 モーレス王の弟であり、ディエスの叔父であるノクスなら経緯を知っているだろう。

 立ち入り過ぎかもしれないが、今度聞いてみよう。


「フィリアは」

「へ?」

 考え込んでいたら急に振られた。

「フィリアの好きなものは?」

「ええと……」

 これがフィリア自身なら、すかさず「殿下!!」と即答しそうなものだが、残念ながら中身は俺だ。

「去年は誕生日に、赤と青の宝石のついた小箱をねだられたな。赤と青が好きなのか?」

 殿下、それは『推しカラー』というヤツですな。

 お前もねだられた時点で気づけよ、朴念仁め。


「なーんか、交際前の男女みたいな会話してるね。君たち婚約者同士なんでしょ?」


 シルワがひょこっと、俺とディエスの間に顔を出した。

「シルワ先生!? 魔物対策会議はどうされたのです!?」

「僕、頭脳労働担当じゃないからねえ」

 キャラ人気No.1は、いけしゃあしゃあと言う。

 ノクス先生が彼に書類を提出させようと、校舎内を探し回っているのを良く見かけるが、こういう訳かと腑に落ちた。


「では、何故こんなところに? 今なら街でハメを外してきても、ノクス先生にはバレませんわよ?」

 言外に早く立ち去って欲しいと言ったのに、残念ながらシルワには伝わらなかった。

 フッと鼻で笑うと、

「フィリア嬢は悪い子だね。遠回しに僕と火遊びしたいと誘っているのかな?」

などと世迷言を並べて、俺に近づいて来た。

 いやいや、仮にも婚約者が——しかも一国の王子——がいる目の前でそんなことしたら、火遊びどころか大炎上だぞ!


「フィリア」

 ほら見ろ! あの無表情王子でもコケにされたら黙っていないぞ———って、呼ばれたの俺か?

「引いてる」

「!」

 言われて俺の竿を見れば、ウキが沈み、竿先がグンと曲がっている。

 慌てて引き上げようとするも、滅茶苦茶引っ張られるぞ、コイツ!?

「ああ、早くしないと逃げられちゃうよ」

 横から茶々を入れるシルワにも構っていられない。

「分かっていますわ!!」

 何だコレ、もしかして凄い大物なのか? 非力な少女の身体が、引っ張られて竿ごと持ってかれそうになる。


「手伝う」

 背後からディエスが俺ごと抱えるように竿を握る。

「感謝しますわ、殿下」

「……魚なのか」

「え?」

「引きが強すぎる」

 ディエスの竿を握る手に力がこもり、足がしっかりと踏みしめられた。


「うーん、コレは僕が手伝わないとダメなヤツだね」

 水面を覗き込んでいたシルワが、片手をヒョイと虚空へ突き出す。

 その掌がほのかに光を帯びた。

「殿下、今だよ。勢いよく釣り上げちゃって!」

「っ!」

 シルワの掛け声に応じて、ディエスが勢いよく竿を引き上げた。


 ブンッ!!


「あっ!」

 空中を魚が舞う。デカい。テレビで観たマグロよりずっと———


 ドサンッッ!!


 土埃をあげて、それは地上に落ちた。

「うわあ……」

 形態は間違いなく魚だ。鱗もあり、エラもヒレもついている。

 しかしその頭部の中央と左右に、ゴツい角が隆々と生えている。

 そして何よりデカい。10メートルは軽くありそうだ。

 生前の世界でも見た目や生態が不思議な生き物は、そこそこいたから、こういうのもアリなのか?

 むしろ気になるのは———


「コレ魔物ではないですわよね?」


「違うな」

「違うね」

 即座に否定された。良かった。

 俺は遭ったことはないが、人や他の生き物に擬態する魔物もいるらしい。

「でも、この池の主ではあるかな」

「主?」

「そう。おそらく僕がここの生徒だった頃からいるね。どうする? フィリア嬢。料理長に頼んで捌いてもらう?」

「リリース…いや、池に戻しますわ」

 さすがにこれだけの大物を、俺一人でどうこうするつもりはない。

「殿下、それでよろしいですか?」

「私はかまわない」

「じゃあ僕が戻しておくね」

 シルワが手慣れた手つきで針を主から抜き、彼の重力魔法で軽くなった巨体を水面まで抱えて、そっと放した。


 バシャンッ!


 尾鰭で水面を叩き、大きな水飛沫を上げ、その巨体は池の中へ再び沈んでいった。

「ディエス殿下ーっ!」

 魚影を見送っていたら、コスタがこちらに駆け寄って来た。

「あー、彼が来たってことは、ノクス先生ももうすぐ帰ってくるよね。フィリア嬢、これあげるから竿と桶、料理長に返しといて」

「え、でもこれ……」

 バケツ状の入れ物の中には大小の魚がギッシリ入っていた。

「僕の今日の釣果。君たち今日、主以外釣れなかったでしょ? 今度コツを教えてあげるから、また一緒にしよう」

「はい」

「殿下!?」

「フィリア嬢は?」

「……シルワ先生が変なこと言わないのなら、考えて差し上げますわ」

「じゃあ決定」

 ニッコリ笑うとシルワは手をヒラヒラさせて校舎に向かっていった。

 彼は屈託なく笑うと、少し子供っぽく見えるのだなと今気がついた。


 でも、ちょっと意外だ。

「殿下はシルワ先生のお誘いを断ると思いましたわ」

「何故だ?」

「今日は私に付き合って下さっただけですもの。殿下は学業や鍛錬以外でもお忙しいでしょう?」

 将来は国政を担う身だ。今日は例外として、暇なわけではないだろう。

「もちろん、無理な時は断りを入れる」

「それは当然ですわ。私がお聞きしたいのは、いつになく積極的に見えると申しましょうか……」

『国のため』とか『民のため』とかの理由があれば、『王子』であるディエスは積極的に任務をこなすのだろう。

 でも今の時間は完全に私的——言わば無駄の極みだ。


「……そうだな。嫌ではなかったからか」

「私とシルワ先生と釣りをすることが、ですの?」

「ああ、行為そのものというより、空間というか、それ自体は不快ではなかった」

「もう一度やっても良いと思うくらいには?」

「そうだ」

 成程、何となく理解した。


「ディエス殿下。それは『ちょっと好き』ってことだと思いますわ」

「ちょっと?」

「好きにも種類がありますわ。『ちょっと』から『大好き』まで。だから今回は『ちょっと』です」

「……それは良いことなのか」

「はい! 殿下は好きなものを失くすのが怖いと仰いましたが、好きなものは一つじゃなくて良いんですのよ? 替えの効かないものを失くすこともあるかもしれませんわ、でもそれを怖れて好きにならないなんて、勿体無いじゃありませんか」

「どうして断言出来る」

「だって、好きでいるって幸せな時間じゃありませんこと?」

「……」

 俺の言葉を、ディエスは瞬きもしないで聞いている。


「あっ、でも好きなものによって、本人が幸せでも周りを不幸にしている場合もありますわ。例えば、結婚しているのに他の人を好きになったりとか……」

 生前の俺の父親のことだ。

 燃え上がったらどうにもならない恋心の問題とはいえ、その後始末はグダグダで、俺と妹と母親の三人で家を出ざるを得なかった。

 まあ、俺の過去はどうでもいいか。


「もったいないか……」

 ディエスはここではない、遠いどこかを見るように目を細めた。

「はい! 国や民が第一の王様だって王子様だって、何かを好きになる権利はあるはずですわ!」

「いいのか、好きになっても」

 遠くを見ていたディエスの目が、今度は俺を捉える。

 ……この「好きになっても」は俺にかかる言葉じゃないよな、多分。


「え、ええと……殿下が何を好きになるかは、自由だと思いますのよ、僭越ながら」

「そうか」

「あの……そろそろ、よろしいでしょうか、殿下」

 空気の読める侍従、コスタがここでようやく口を開いた。

 ごめんな、今まで待っててもらって。


 シルワの釣果と借りた竿等は、コスタが料理長に渡しておくと言うので、持っていってもらった。

 二人と別れて一人寮までの帰り道、俺は色を変えていく空を見ながら歩く。


 ディエスの考え方を根本から変えるほどの影響力は、俺自身にはないだろう。

 よく考えなくても、お節介なことしてるよな、俺……。

 別に好きなものがなくったって、生きていける。

 でも好きなものが多い方が人生は楽しいって、俺は知っている。


 ……そうだな。

 俺もちょいちょい助けてもらったせいか『いけ好かない』から『ちょっと好き』くらいには、アイツへの好感度がランクアップしてるかもしれない。

 もちろん恋愛的な意味はないけどな!










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