第16話 演習戦4

 深い森の遠くで爆音が聞こえた。

 別の班が『擬似魔物』と接触したのだろう。

 赤味を帯びた日は静かに陰り、空は夜へと徐々に移行しつつあった。


 演習戦終了まで後少し。

 幸いな事に俺とグランスは、あれ以降『擬似魔物』と接触していない。

 だが良い事ばかりではない。


「グランス様、森の入り口はこちらで本当に合っていますの?」

「……ええ、間違いありません。おそらく」

 森の地図に視線を落としたまま、グランスは答えた。

 彼の声に僅かだが、焦りの色が滲む。


 そう、現在進行形で俺たちは迷子だ。


 無論こうなった責任の一端は俺にもある。

 同行させてもらっている以上、進行方向に口出し無用と当初黙っていたのが悪かった。

 グランスは『擬似魔物』を回避しつつ、終了時刻近くになったら、森の入り口近くまで移動しようとしていたらしい。

 その間に、どうやら森の奥にまで入り込んでしまった。

 俺が地図で確認した時には、既に現在位置が分からなくなっていた。


「あの……グランス様。こうなったら不本意ですけれど、ここで先生たちの迎えを待ちませんこと? 戻ってこない生徒がいれば、さすがに探してくださいますわ。ね、そうしましょう?」

 俺の提案に、グランスがムッとした顔をする。

「僕は迷子になった訳じゃありません」

「ええ、グランス様のせいではありませんわ。私の足が限界なのです」

「え?」


 ブーツを脱いで、足を彼に見せる。

 長時間、足場の悪い森の中を歩き続けた結果、俺の足は靴擦れで悲惨な事になっていた。

 タイツに滲んだ血を見て、グランスが眉を顰める。

「何でもっと早く言わないのです。あなたなら治癒魔法で治せるでしょう?」

「念の為ですわ。当て付けでは無くグランス様の仰るとおり、私の魔力量では治癒するのにも上限がありますもの」

「……」

 他の班にディエス殿下やササPがいる事を考えれば、既に『擬似魔物』は狩り尽くされていてもおかしくはない。だから本当に念の為だ。


 無言でグランスがその場に腰を下ろした。

「グランス様?」

「僕も歩き疲れました。迷子の汚名は甘んじて受け入れましょう」

「……はい!」

 彼から一人分くらい間を空けて、俺も隣に座った。

「もうじき夜になります。『擬似魔物』数体程度なら僕は何の問題もありません。問題は帰りの方です。今のうちに治癒魔法で、その足を治してしまった方がいいと思います」

 早口で明後日の方向を向いて、グランスが言った。不器用だが一応気遣ってくれてるらしい。


「ええ、そうしますわ。では治癒中素足になりますので、こちらを見ないで頂けますか?」

「! わ、分かりました……」

 グルンと勢いよくグランスが向きを身体ごと変えたのを見て、俺はタイツを脱いだ。

「っ!」

 タイツにめくれた皮がひっ付いてしまっている。

 痩せ我慢せずにもっと早くグランスに言っておけば良かったと、ちょっとだけ後悔した———その時、


「伏せろ! フィリア様!」

 グランスに勢いよく押し倒された。

「!?」

 抗議する前にジュッと嫌な音がして、元いた場所にレーザー光線のような光の帯が通過する。

 少しだけ顔を上げると、光線が当たった木々の幹に大きな穴が空いていた。


「ひえっ!! 何!? 何ですの、今の!?」

「……『擬似』じゃない本物の『魔物』です」

「!」

 ジリジリと俺を抱える様にして、グランスは大きな木の陰に移動する。

 そうは言っても現状がよく分からない。俺は陰からそっと『魔物』がいるらしき場所を覗いた。


 それは闇よりも黒い物体だった。

 俺がササPと初めて見た魔物より平べったくて無毛で、猫みたいに瞳孔が縦に長い目が七つ、その身体には付いていた。

 平べったい尻尾を引き摺りながらズルリズルリと森の中を移動し、獲物である俺たちを探している。


「……どうしましょう、グランス様」

『擬似魔物』は演習用だから当然命までは取られない。でも今目の前にいるのは本物だ。

 捕まったが最後、確実に俺たちは殺される。

 自然と鼓動が速くなり、俺の肩を抱くグランスの手に力が込められる。

「僕がやります。フィリア様は逃げてください」

「でも! グランス様に何かあったら私も死にますわ!」

「足手纏いなんですよ!」

「っ!」

 それを言われては、ぐうの音も出ない。


 グランスは俺から離れ、両手に魔具の銃を構える。

「僕がアイツを引きつけてる間に確実に逃げてください。出来るだけ遠くに」

「……分かりました。どうかお気をつけて」

 ここに居てもいずれ見つかる。

 もう迷っている時間はないと、二人同時に飛び出した。


 パンッ、パンッ!


 グランスの銃から発砲されるのは鉛ではなく、魔力を圧縮した銃弾だ。

 それが狙い過たず、魔物の眼球に命中する。


 ブウウウウゥゥゥッッ……


 苦悶の呻きか、魔物はグネグネとのたうちまわって地面を振動させた。

 俺はグランスとは反対側に走り出す。

 俺の存在が彼の邪魔にならないように、出来れば応援を呼んで来れるように———そう願って。


 ボオオォォォォォォ………!


 しかし魔物は知ったことかと、二つの目を負傷しながらもビームの標準を俺に合わせた。

「あ」と思う間もなかった。


 コォォォォォォッッ!!


 ビームが当たる直前、グランスに体当たりされて俺は直撃を免れた。

「っ!」

「グランス様!?」

 俺は無事だったが、魔物のビームはグランスの左腕と腹を掠め、右腕と両足を貫いた。

「グッ……、あと五つ……っ!」

「無茶ですわ! グランス様!」

 彼は流れる血を構いもせず、辛うじて動く左手を銃を構える。


 パンッ、パンッ、パンッ、パンッ!


 最後の一つを撃とうとした時、その目がビームをこちらに放った。

「っ!」

 間一髪、グランスを抱き込んで俺は攻撃をやり過ごす。

 腕の中の彼はぐにゃりと俺にもたれ掛かり、負傷した箇所からは血がドクドクと流れ続けている。

「……っ、あなたは、逃げろっ……」

 荒い息の中、それでもグランスは俺を命懸けで助けようとしてくれている。

「———そんなわけに、いかないじゃありませんか!」

 どうしたらいい、俺はどうしたらいい!?

 俺の治癒魔法では彼を瞬時に治せない。今の状況では、その隙すらない。

 グランスを担いで逃げようとすれば、あのビームの餌食になることは明白だ。

 絶望しかないじゃないか———!!

 無力を嘆くことしか出来ず、俺は魔具の杖をギュッと抱きしめた。


「!」


 その瞬間——天啓のように俺は閃いた。


「……っ、フィリア、様……?」

 俺はグランスを木の根元に横たえ、立ち上がる。


「グランス様。御命この私に預けてくださいませ!」

「!?」

 グランスの瞳が驚愕に見開かれる。

 彼がとっさに掴んだ手を、俺はそっと解いた。

「馬鹿な真似はよせ!」

「私にはもう、これしか思いつきませんの」

「あなたの魔力で敵う相手じゃない!!」

「ええ、使うのは私の魔力じゃありませんわ」


 コォォォォォォ……


 俺はグランスの静止を振り切り、魔物の前に立つ。

 ヤツの一つだけ残った目が俺を捕らえる。

 チャンスは一瞬だ。それが上手くいく保証もないが。


「来なさい!」

 杖の先を魔物に突きつけ俺は叫ぶ。

 ヤツの目が光り始め、次の瞬間ビームが真っ正面から俺に向かって放たれる。

「フィリア様!」


 俺が待っていたのは、これだ!

 ビームの先端が杖の魔石に到達する。

「んっ!」

 勢いで、俺の身体が後ろにずり下がる。

 裸足の靴擦れだらけの足に、小石や地面に落ちた枝やら突き刺さるが、今はその痛みにも構ってられない。

 ビームの光は真っ直ぐに魔石に吸い込まれている。

「これは……」

 後ろでグランスが息を呑む。

 良かった。俺の読みは当たっていた。


 このビーム光線は魔物の魔力そのものだ。

 つまり俺の魔具の防犯装置が反応して、魔力を吸い取っているんだ。

 これが殴る蹴るの物理攻撃だったら、正直手も足も出ない。

『ありがとう、お父様!』と、俺は今は遥か遠くメンブルム領にいるフィリアの父親に感謝の念を送った。


 ゴオオォォォォッ!


 目の前の魔物は幸いなことに、エポカより知能が低そうだ。

 俺が倒れないことに業を煮やしたのか、ビームの出力を上げた。

「くうっ!」

 ビームは魔石が全部吸収してくれるが、勢いまでは殺せなかった。

 足がぐらついて倒れそうになったその時、

「フィリア様!」

 グランスが背後から俺を抱え込んで、尻餅を突いた。


 その手が、杖を握る俺の手に重なる。

「グランス様?」

 静かに頷いた顔を見ると、俺の意図した作戦を正しく読み取ってくれたようだ。

 心強いことこの上ないじゃないか!

「さあ、最後まで搾り取りますわよ!」

 魔石の耐久性と魔物の魔力量、どちらが上か。

 持久戦を覚悟した勝負は、予想より案外早く決着した。


 コォォォォ…………


 魔物のビーム光線が不意に先細りしたかと思うと、ぶるりとその巨体が波打った。

「?」

 ブルブルと蠢動を繰り返した後ピタリと停止し、そのままドウッと地面に倒れた。

「………」

 俺とグランスは顔を見合わせる。魔物は倒れたままピクリとも動かない。

「やった……のか」

「やりましたわ……」

 一拍置いて、じわじわと勝利の喜びが沸いてきた。


「やりました! 私たち勝ちましたわ! グランス様!!」

「ああ、良かった、僕たち生きてますよ、フィリア様!」

 お互い身体の痛みなど一瞬忘れ、思わず抱き合った。


 ヒュー……


 生前の世界で聞いたことのある音が、微かに俺の耳に届いた。

 記憶を辿る前に、その答えが頭上で花開く。


 ドーン! ドンドン、パチパチ……


「あれが……終了の合図?」

「花火ですわ!!」


 終了の合図が花火なんて、シルワ先生たちも粋なことをする。

 色とりどりの光が夜空で花開き、消えては咲きを繰り返している。

 この世界では初めて目にした花火に見惚れ、俺は気がつかなった。


 魔物がまだ生きていたことに———


「フィリア様!」

 先に気づいたグランスが叫ぶ。

 地に伏せていたはずの魔物の身体の一部が持ち上がり、俺たち目がけて凄い勢いで伸びた。

 腕だ!

 平べったい先端は刃物のように鋭く鈍く光り、俺たちの首を狙った。

 グランスが俺を抱きしめ守ろうとするが、もう間に合わない。

 俺は目を瞑ることも忘れ、その死神の刃が届く瞬間を見つめていた———


「フィリア!」


 声と同時に、魔力を凝縮した青い刀身が魔物の腕を貫き、俺の目前で止まる。

 ……助かったのか……俺たち。

 ズルリと魔物の腕から剣が抜かれ、次の瞬間目にも止まらぬ速さで、魔物は真っ二つどころか粉微塵にされていた。


「無事か?」

「……ディエス殿下!? 何故ここに!?」

「君の声が聞こえた。それから魔物の気配も」

 ディエスの長い耳がピクリと動く。


「ハアハアッ、殿下、お待ちください、ハアッ……あれ、フィリア様? え!? あの、これは一体どういう状況なのです!?」

 ディエスの後から走って来たコスタが、俺とグランスを見て、赤くなったり青くなったり動揺しまくっている。

 そうだ、先生たちに早く連絡を! 特にラティオ先生に一刻も早くグランスを診てもらわないと!

 身じろぎして、俺は自分たちの現状にハッと気づいた。


 俺の身体はグランスの腕の中、いわゆる膝抱っこ状態で抱きしめられている。

 そして目の前には、フィリアの婚約者のディエス殿下。

 グランスも事の重大さに気づいたのか、そろそろと腕を解いた。

「あの! 殿下、これは……ですわね」

 疚しいことなど一つもないのに、ついつい言い訳がましくなってしまう。

 ディエスはそんな俺の嵐のような内心などお構いなしにツカツカ歩み寄ると、そのままヒョイと俺を抱き抱えた。

 俗に言う『姫抱っこ』である。


「ででで殿下ーっっ!?」

「その足では歩けないだろう」

 さも当然のように言われた。

 いや、確かにそうなんだけどな! フィリアではなく、俺の男としての矜持というものがだね!

 もちろん、そんな反論を出来るはずもなく、俺はディエスに渋々身を委ねた。


 去り際、ディエスはグランスを振り返り、

「感謝する。フィリアを魔物から守ってくれたこと」

 と、ごく短い謝意を伝えた。

 良かった。ディエスは正しく現状を認識していた。

「コスタ。彼に止血をしてから、早急に先生に連絡を」

「は、はい! ディエス殿下!」


 抱っこされながらチラリとグランスを振り向くと、彼もホッとした表情でコスタの手当を受けていた。

 空を見上げると花火はとっくに終わっていた。

 火薬の匂いだけが、名残惜しげに微かに漂っている。


 こうして俺の長い演習戦はやっと終わった———








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