最弱悪役令嬢に捧ぐ

クロタ

第1話 最期の日

『ねえ、聞いてる? にい

「聞いてるよ」


 右耳にイヤホン、左耳にスマホを押し当てながら、俺はゲーム画面に視線を移した。可愛らしいミニキャラがピコピコ踊り、ヒロインのレベルアップを祝福している。

 優しい兄の俺はゲームの片手間に、酔っ払いの妹に付き合っていた。


「いいのかー、初めての旅行なのに彼氏放っておいて」

『それは大丈夫。ターくん、爆睡中だから』

 深夜のテンションのせいか酒が入っているからなのか、我が妹の機嫌はすこぶる良い。クスクスと笑い声まで聞こえてくる。


『それがさー、旅館に着くまで大変だったんだよ。雨で事故って渋滞してて、乗り換えのバスに間に合わなくて、しかも二人ともスマホの電池切れてて、宿まで歩いて行ったんだから!』

「そりゃ災難だったな」

『ほんと途中で険悪な空気になったりして最悪!』

「でも仲直りしたんだろ」

『うん。宿にたどり着くまで励まし合ったりしてね。ただ本当にクタクタだったから、美味しいご飯食べて温泉入ったら、すぐ寝ちゃった』

「そうか……今度は大丈夫そうか?」

『……』


 少しの沈黙があった。

『うん。先のことまで分かんないけど、ターくんとなら大丈夫だって思う。多分だけど』

「そっか」

 妹は前の彼氏と婚約まで行ったが、相手の浮気で破談になった。

 その傷心中の状態を知っているだけに、曇りのない答えは素直に嬉しい。

 ニヤつきながら意識をゲーム画面に戻して、俺は固まった。

「あ」

『何?』

「またグランスルート確定っぽい」

『えー、今何周目?」

「スキップ使って三十周目くらい。お陰で王子以外はほぼコンプしたわ」

『うわ、それホントに攻略出来んの!?』

「他人事みたいに言うな! お前が『王子攻略しといて❤︎』なんて頼むからだろ!」

『えー、でも全員攻略しないとトゥルーエンド行けないしー、元はと言えばにいが私を乙女ゲーの世界にハメたんだから、責任とって手伝ってよね!』


 まあ、事実なので反論はしない。

 婚約破談後、会社も辞め、引き篭もり状態の妹を心配した母親から相談を受け、俺が一人暮らしをしていた借家に受け入れたのだ。

 そこで気晴らしになればと与えた乙女ゲームが、実に効果絶大だった。

 イベント参加で引き篭もりからの脱却、グッズ回収と新作購入費用捻出のため近所のパン屋さんに就職と、こちらが驚く速度で妹は社会復帰を果たした。

 さらに新たな職場で彼氏ゲットとなれば、乙女ゲーム様様である。


「パラメータが王子は厳しいんだよな。片寄るとすぐ別キャラのルート行っちゃうし」

『そうそう! そのくせ魔物討伐イベントはランダムで調整出来ないし!』

「ゲーム自体は面白いんだけどな」

『うんうん! シルワ先生サイコー!!』

「ハイハイ」

 今俺がプレイしているのは通称『ソラトキ』、正式名称『空の彼方、刻の狭間でキミと…』という王道の乙女ゲームだ。

 妹に勧めておきながら、俺自身の嗜好とは異なるので、この手のゲームをプレイするのは初めてだったりする。

 ただ、このメーカーが以前作った美少女ゲームが俺は好きだったので、ほぼ同じスタッフが作った『ソラトキ』は抵抗なく楽しめている。

 何よりヒロインのキャラデザが可愛い。悪役令嬢も乙女ゲームにあるまじき愛らしさだ。


「あー、王子よりフィリア攻略してー」

『キモっ!……って言いたいとこだけど、その気持ちよっく分かるわ。フィリアって悪役令嬢でライバルキャラのはずなのに、らしくないよね』

「そうなのか? 乙女ゲーは良く知らんけど」

『漫画とかでもそうじゃん。普通ライバルって主人公と同程度か、それ以上のスペック持ちじゃない? 主人公に立ちはだかる壁なんだから』

「確かに」

『でもフィリアは可愛いけどスタイルが良いわけでもない。魔力は最弱だし、ヒロインの脅威にならないってのは、悪役令嬢としては致命的でしょ?』

「どっちかっていうとマスコットキャラだよな」

『そう、それ! あ、王子ルートはフィリアの出番多いんだって。王子の婚約者だから当然だけど』

「おっしゃ! やる気出てきた!」

『うっわ、単純』


 画面の片隅で『New』の文字が点滅する。アップデートのお知らせだ。

 俺は躊躇いなくボタンを押す。

「何か更新来てたぞ」

『え!? 追加要素!?』

「いや、秒でダウンロード終わったから、軽微なバグ修正ってやつだろ」

『なーんだ。こんな深夜に、中の人もお疲れ様だね』

 時刻は草木も眠る丑三つ時。午前二時を回ろうとしていた。


 ザー ザー ザー


 スマホとイヤホンで塞がってる耳に、雨音がやけに大きく響く。

 築六十年の格安賃貸物件は雨漏りも酷く、バケツで対処しているが、あらゆる箇所に突然増えるから要注意だ。

『そっちまだ雨降ってる?』

「夕方からやまないな」

『こっちはやんで月が……あーっっ!!』

「なんだよ、大きい声出して」

『私の部屋の押し入れ、先週雨降った時、雨漏りしてた!!』

「そういうことは早く言えよ!」

 スマホ片手に予備のバケツを探し回るも見つからない。

 仕方ない。とりあえず洗面器でいいか。


『……そろそろ引っ越し考えたら? にい

「お前が家賃多く払ってくれるんならな」

 俺の職場の食品工場に近くて格安で一軒家ってのは、建物がボロなのを除いても、こんな好条件の物件は他にないだろう。

にいは怖くないの?』

「幽霊でも見たか?」

『馬鹿。車の音だよ、トラックの! 一日中家の横通るじゃん! 振動だって凄いし……』

「あー、抜け道になってるからなあ。慣れだよ慣れ」


 ザー ザー ザー ザー


 雨音が一段と激しくなった気がした。

『もし今日みたいな雨で………して………が………きたらって、怖くない?』

「ん? 雨音で聞こえなかったわ」

『だからぁ!………うん? 何? この音?』

「え?」


 雨音が消えた。

 いや、轟音に掻き消された。


 ドォォォン!!!


「!?」

にいっ!』

 突然壁を突き破って現れた大きな車体に、俺の身体はあっけなく潰された。

「カハッ!」

にいっ、にい! 嘘でしょ!? やだ……にいーっ!』

 部屋の隅に飛んで行ったスマホから、妹の悲鳴が聞こえる。

 全身を耐え難い苦痛が襲い、否が応でも自覚した。

 俺はここで死ぬんだ、と———

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